米ドルは世界の基軸通貨(国際的な決済や価値保存の中心となる通貨)として長らく君臨してきた。しかし近年、ドルの地位が揺らぎつつあるのではないかという議論も聞かれる。特に、急激なドル安・ドル売りが生じれば米ドル覇権が崩壊しかねないとの懸念が一部で指摘されている。果たして米ドルは今後10年以内に基軸通貨としての地位を失ってしまうのだろうか。
第一に、米ドルに取って代わり得る現実的な基軸通貨の候補が存在しない点が挙げられる。代替候補として真っ先に名前が挙がるのは中国の人民元だろう。しかし、中国経済の規模と影響力は確かに増大しているとはいえ、中国は一党独裁体制下にあり市場原理が十分に機能していない不完全な資本主義国家である。通貨の国際的な信用には発行国の政治・経済体制の透明性と安定性が不可欠だが、その点で中国には依然として不安が残る。そもそも自由主義陣営の盟主として世界から信頼を得る立場に中国が立てるかも疑問である。中国政府は厳格な資本規制や為替管理を維持しており、人民元は依然として完全に自由な国際通貨とは言い難い。したがって現状では、人民元が米ドルの地位を脅かすには至っていない。
第二に、通貨の価値は結局のところその通貨で購入できる財やサービスの価値に裏付けられるという点である。人々や国家がドルを必要とするのは、ドル紙幣そのものに特別な価値が宿っているからではなく、ドルを用いて手に入れたい商品やサービスが存在するからに他ならない。米国は世界最大の経済規模を有し、GAFA(Google、Apple、Facebook、Amazon)をはじめ世界をリードするデジタル企業群が数多く本拠を置いている。これらの企業が生み出す革新的な製品・サービス(スマートフォン、ソーシャルメディア、クラウドプラットフォームなど)は世界中で高い需要を誇り、それらを享受する過程で直接・間接的に米ドルが用いられている。言い換えれば、米国の豊かな経済と魅力的な財・サービスがある限り、人々はそれらを得る手段としてのドルを保有し続けようとするだろう。
第三に、米ドルは既に国際金融の中枢を担う存在として深く根付いているという現実がある。現在でも各国中央銀行の外貨準備の約6割近くをドル建て資産が占めており、主要な国際貿易や資本取引もドルで決済されている。さらに、世界の原油取引は「ペトロドル」と称されるようにドル基軸で行われており、エネルギー市場でもドルへの信頼と需要は揺るぎがたい。こうした国際経済におけるドルの支配的地位は一朝一夕に他通貨へ置き換わるものではない。
結論として、以上の論拠を踏まえれば米ドルが基軸通貨としての地位を今後10年以内に失うことはないと考える。急激なドル離れや他通貨への移行がしばしば取り沙汰されるものの、ドルの信用と需要を支える経済的・制度的基盤は依然盤石である。むしろドルに代わる新たな基軸通貨が台頭するためには世界の政治経済体制そのものに劇的な変化が必要であり、少なくとも今後10年の間にその兆候は見当たらない。
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