はじめに
S&P500や全世界株式インデックスといった株式指数は、これまで歴史的に右肩上がりの成長を示してきました。**「歴史的に上昇しているから将来も上昇するだろう」**というこの投資前提は、多くの投資家や制度で広く共有されています。しかし、この前提は本当に確固たる根拠に基づいているのでしょうか。それとも、過去の経験に頼った一種の信念に過ぎないのでしょうか。
現実には、科学や経済の世界には、理論的に完全には解明されていないが経験的に受け入れられている現象が存在します。例えば、全身麻酔がなぜ意識を消失させるのか、その詳細なメカニズムは完全には解明されていないとされています。それでも麻酔は医学で日常的に用いられ、その効果は経験的に確かめられているため信頼されています。また、経済政策の世界では、多くの国の中央銀行が**インフレ目標を2%に設定していますが、この2%という数値自体に明確な科学的・理論的根拠があるわけではありません。それでも各国が2%を目標に掲げるのは、「大きな不都合もなく機能してきたから」といった慣習的・経験的な判断によるものです。つまり、人間社会では「ひとまずうまく回っているから採用されている」**制度や前提が少なくありません。
本稿では、この株式指数への楽観的前提について、ヘーゲル哲学の弁証法的手法にならい**正(テーゼ)・反(アンチテーゼ)・合(ジンテーゼ)**の構図で論じます。まず「正」として歴史的上昇に基づく楽観的見解を整理し、次に「反」としてそれに対する批判的見解を検討し、最後に「合」として両者を統合したバランスの取れた視点を探ります。制度的背景や経験的事実、哲学的考察も織り交ぜながら、この投資前提の妥当性について考察します。
正:歴史的実績に基づく上昇継続の主張
まず、テーゼ(正)として**「株式指数は長期的に見れば上昇し続ける」という楽観的前提**を整理します。この見方は、過去の豊富な実績に裏打ちされたものです。実際、20世紀から21世紀にかけてS&P500指数やMSCIオールカントリー・ワールド指数(全世界株式指数)は度重なる暴落や景気後退を乗り越えて、長期的には着実に高値を更新してきました。投資家や金融当局がこの歴史的事実を重視するのには、いくつかの経験的・制度的根拠があります。
- 経済成長と企業利益の長期的拡大:世界経済は長期的には人口増加や技術革新によって拡大してきました。新製品・新サービスの創出、生産性の向上により企業の利益は成長し、株価もそれに伴い上昇してきたという実績があります。株式指数の上昇は、突き詰めれば人類経済の発展という大きな潮流とリンクしています。
- 適度なインフレと名目成長:各国の中央銀行が共有する**インフレ目標2%**という枠組みも、株式の長期上昇を裏から支える要因です。2%程度のインフレ率は貨幣価値を穏やかに希薄化させ、名目GDPや企業収益を押し上げます。劇的な高インフレやデフレを避けつつ緩やかな物価上昇を誘導することで、経済の安定成長と株価の緩慢な上昇を促す環境が整えられているのです(たとえ2%という数字自体は便宜的な目安に過ぎなくとも、この政策協調は市場に安心感を与えます)。
- インデックスの構成とサバイバルバイアス:株式インデックスは定期的に構成銘柄の入替えが行われ、成長著しい企業が指数内で大きな比重を占める一方、衰退した企業は指数から姿を消していきます。成功した企業が指数を牽引し続ける構造になっているため、指数全体として見ると長期的に逞しく成長する傾向があります。言い換えれば、インデックス投資は市場の新陳代謝によって「勝ち残った者の成果」を常に享受できる仕組みです。
- 長期分散投資の経験則:時間分散と世界分散によるリスク低減効果も見逃せません。ある年やある国では株価が下落しても、十分長い投資期間(例えば20年、30年といったスパン)とグローバルな分散によってその下落を相殺し、最終的にはプラスのリターンに落ち着くという経験則が語られます。歴史的にも、大恐慌やリーマンショック、パンデミックなどの危機が起きても、世界全体の株式市場は回復し、新たな高値を更新してきた事実があります。このため「長期で見れば株価は上がる」という信念には一定の説得力が伴っています。
- 制度的支援(金融政策):前述のインフレ目標だけでなく、各国政府・中央銀行の政策全般が株式市場の下支えとなってきました。例えば米国では景気後退の際に果断な金融緩和や財政出動が行われ、市場を早期に立て直す努力がなされています。近年でも金融危機やパンデミック下で各国当局が大規模な流動性供給・資産買入れを実施し、株価の急落を食い止めたことは記憶に新しいでしょう。各国が経済成長を重視し、市場の安定を図る姿勢を共有していること自体、長期的な株価上昇を信じる根拠の一つとなります。
- 制度的支援(年金運用):さらに、年金や積立投資の制度にもインデックス重視の姿勢が組み込まれています。例えば米国の退職プラン(401k)やターゲットイヤーファンドでは低コストのインデックスファンドへの投資が奨励・デフォルト選択肢となっており、日本の公的年金(GPIF)でも国内外の株式インデックスに巨額の資金配分がなされています。こうした巨額の長期資金が機械的・継続的に株式市場へ流入する仕組みは、市場の底堅さを支えると同時に「市場全体への長期投資が合理的だ」という共通認識をさらに強固なものとしています。
以上のように、「歴史的に株式指数は上昇してきたし、今後も上昇し続けるだろう」というテーゼには、経験的事実と制度的枠組みの両面から多くの裏付けが存在します。過去のデータは長期投資の有効性を物語り、経済・金融の制度はその延長線上で動いているように見えます。この前提のもと、インデックス投資は**「時間を味方につけた最適解」**として広く受け入れられているのです。
反:過去実績への懐疑とリスクの指摘
次に、アンチテーゼ(反)としてこの楽観的前提への批判的視点を考察します。過去の傾向が未来も続くと安易に信じることには、論理的・経験的にいくつかの落とし穴やリスクが指摘されています。
- 過去の延長に未来は保証されない:最大の問題は、「これまでそうだったからこれからもそうだろう」という推論が帰納法の飛躍に他ならない点です。データ上100年上昇し続けたからといって、101年目も同じ動きをする保証はありません。株式市場の上昇はこれまで特定の歴史的条件(豊富な資源供給、安定した地政学環境、爆発的な人口増加など)の下で実現してきた側面があります。将来、環境が劇的に変化すれば、過去の傾向が通用しなくなる可能性があります。例えば、先進国で進む少子高齢化や気候変動に伴う経済コスト、新興国の台頭による国際バランス変化など、歴史上例のない事態が今後の成長を阻むリスクも議論されています。過去の規範的な延長線上に未来を描くことは危うく、常に「今回は違う」(This time is different)シナリオを念頭に置く必要があるという指摘です。
- 市場によって異なる歴史:世界全体や米国市場は長期上昇を遂げましたが、全ての市場で常にそうだったわけではありません。典型例として日本の株式市場を見れば、日経平均株価は1989年に史上最高値を付けた後、バブル崩壊によって長年低迷し、失われた数十年を経てもなおその最高値を超えられていません。他にも、かつて栄えた新興市場が低迷に転じた例や、政情不安で市場機能が麻痺した例もあります。つまり、「指数は長期では必ず上がる」は、生存者バイアスの可能性があります。上昇し続けた市場(米国)の成功に注目しすぎ、その陰で停滞した市場の存在を軽視してはいないか、という批判です。将来の全世界株式指数が常に上昇基調を維持するとは限らず、長期停滞や成長の頭打ちも起こり得ると考えるべきでしょう。
- ブラックスワンと未知のリスク:過去の経験則は、未知の破壊的事象(ブラックスワン)によって覆される危険も孕んでいます。歴史に一度も現れていないような大規模リスク――例えば、未曾有の技術的失業、グローバルな資源枯渇、制御不能な気候災害、あるいは世界的な秩序崩壊――が今後100年の間に全く起こらないと誰が言い切れるでしょうか。過去200年の株式市場は確かに右肩上がりでしたが、それは逆に見ればわずか200年程度の特殊な観測結果にすぎません。人類史全体から見れば資本主義市場経済の隆盛そのものが一時的現象である可能性もあります。想定外のイベントが起きた際には、これまで有効だった長期分散の戦略も通用せず、歴史的トレンドを断ち切る破局が訪れる可能性はゼロではないのです。
- 科学的・理論的根拠の不十分さ:前提への懐疑として重要なのは、この信念が科学的な法則ではなく経験的仮説に過ぎない点です。医療の麻酔に例えれば、麻酔は経験上効くから使われているものの、その作用メカニズムは完全には解明されていません。同様に、「株式は長期で上がる」という主張も、いまだ経済学的に普遍の真理として証明されたものではありません。たとえば、先述のインフレ目標2%という政策目標も、主要国がこぞって採用しているにもかかわらず「なぜ2%なのか」について明確な理論的根拠がないように、経済の前提には合意された慣習以上のものではない部分があるのです。株式市場の長期上昇という前提も、厳密な理論よりは「これまでそうだったから」「みんながそう望んでいるから」というコンセンサスによって維持されている側面があるのではないか、という批判的見方が成り立ちます。言い換えれば、それは信頼に足る経験則ではあるが自然法則ではないという指摘です。
- 制度への過信と構造的リスク:制度的背景を逆に捉えると、その前提に頼り切ることの危うさも見えてきます。中央銀行による市場支援や年金資金の株式投資偏重は、平時には市場の安定要因となりますが、裏を返せば市場原理を歪める可能性もあります。仮に市場全体が実態以上に高いバリュエーションに膨張しても、政策当局が過剰流動性で下支えし、年金資金が機械的に買い支える構図では、資産価格バブルが形成されやすくなります。さらに市場参加者の多くがインデックス運用に傾斜すると、個別銘柄の適正価格形成メカニズムが弱まり、いざ下落局面では一斉に資金が引き上げられて流動性リスクが増幅される懸念もあります。つまり、「みんなが信じているから大丈夫」という集団心理がかえってシステミックリスクの火種になる可能性があるのです。制度的な後ろ盾は万能ではなく、状況次第では機能不全に陥ることも念頭に置かねばなりません。
このように、「歴史的に上昇してきたから将来も上昇する」という前提には根本的な不確実性が内包されているとするのが反対の立場です。要約すれば、過去は未来を保証しないし、経験的な仮説は絶対的な真理ではないということです。市場や経済を取り巻く環境は刻々と変化し、人間の知の及ばないリスクも潜んでいます。「長期的に見れば上がるだろう」という信念に寄りかかりすぎることは、見えざる落とし穴を見過ごす危険を孕んでいるのです。
合:統合的視座から見た将来展望
最後に、ジンテーゼ(合)として両者の見解を統合したバランスの取れた視点を提示します。ヘーゲル的弁証法の精神にならえば、テーゼとアンチテーゼの対立から単なる中間を取るのではなく、両者を高次で包含・統合することで新たな理解に到達することが求められます。ここでは、楽観的前提と批判的見解の双方を踏まえ、現実的かつ柔軟な将来展望を考えてみましょう。
まず認めるべきは、歴史的な株式市場の強靭さと成長力は事実であり、その背後には合理的な理由があるという点です。世界経済の発展、イノベーションの連鎖、企業家精神、そして各国政府・中央銀行の不断の努力といった要因が相まって、株式指数の長期上昇という成果が生み出されてきました。このこと自体を過小評価すべきではありません。過去200年にわたり市場が繁栄してきたのは決して偶然ではなく、人類社会の前進と制度的工夫の積み重ねの賜物です。したがって、「歴史的に常に市場は回復し成長してきた」というテーゼは大筋において真実であり、将来に向けても一定の希望を託す根拠となります。ゆえに、長期の視野で幅広く分散された株式投資を行うことは、依然として合理的な資産形成戦略だといえます。実際、年金基金や個人投資家にとって他に代替しうる確実な長期成長エンジンは見当たらず、歴史に学びつつ市場の成長性に賭けることは一つの妥当な選択肢でしょう。
しかし同時に、未来に対する謙抑(けんよく)な姿勢を忘れてはならないことも確かです。統合的視座では、歴史が教える楽観と未知が孕む悲観を**両立的に受け止める「慎重な楽観主義」**が重要になります。すなわち、*「市場は長期的に成長する可能性が高いが、それは確定事項ではなく条件付きの予測である」*という構えです。過去の教訓から得た知恵を活かしつつも、その教訓が通用しなくなる局面への備えを怠らないというバランスです。具体的には、以下のような姿勢が考えられます:
- 前提を定期的に検証する柔軟性:市場環境や経済の前提条件が変化していないか常に目を配り、「歴史的常識」の更新に努めることです。例えば、かつて常識だった経済モデルが通用しなくなった場合には、ポートフォリオ戦略を見直す勇気も必要でしょう。「長期では上がる」という前提自体も、不断に検証されアップデートされるべき仮説として扱います。
- リスク管理とヘッジ:楽観シナリオに賭けつつも、悲観シナリオにも備えるという二面作戦です。具体的には、広範な分散投資をさらに進め、株式以外の資産(債券、不動産、コモディティ、現金など)も組み入れる、あるいは必要に応じて保険的なヘッジ手段を講じておくことです。**「上昇するだろう、しかし万一に備える」**という姿勢で、未知のリスクにも耐えうるポートフォリオを構築します。
- 制度・政策への主体的関与と監視:市場の長期的繁栄には公的制度の関与が大きい以上、投資家・国民として中央銀行や政府の政策動向にも関心を払い、より健全で持続可能な経済政策が維持されるよう議論に参加することも重要です。例えばインフレ目標の運用についても、機械的に2%に固執するのではなく、その枠組みが本当に経済全体の福利に適うかを問い続けることが必要でしょう。制度が時代遅れになれば見直すというメタ視点を持つことで、市場の前提条件が歪んだまま暴走するリスクを減らせます。
このようなアプローチによって、我々は歴史から得た恩恵を享受しつつも、歴史に囚われすぎない賢明さを保つことができます。ヘーゲル流に言えば、テーゼ(楽観的信念)とアンチテーゼ(批判的懐疑)の対立を経て、投資家の認識はより高次な地平へと深化するでしょう。それは、「長期投資の有効性を信じつつ、その前提条件を絶えず点検し、想定外への備えも怠らない」という統合的な投資哲学です。この哲学の下では、株式市場の歴史的上昇トレンドを単なる運命論としてではなく、人類の努力と知恵によって維持すべきものと位置付けます。もし前提条件が揺らぐ兆しが見えれば、柔軟に戦略を修正し、新たな状況に適応する意志を持つ——これが「正」と「反」を乗り越えた「合」の立場から導かれる実践知といえましょう。
まとめ
- 歴史的実績に基づく楽観(正):S&P500や全世界株式指数は長期的に成長してきた実績があり、経済成長・技術革新・適度なインフレ・制度的支援などを背景に将来も上昇が期待できるとの見方がある。特に主要国の政策や年金運用がこの前提を支えており、インデックス投資は合理的戦略として広く採用されている。
- 前提への懐疑とリスク(反):しかし、過去の延長で未来を語ることへの警鐘も鳴らされている。歴史的傾向が永遠に続く保証はなく、日本の事例に見るように市場によっては長期停滞も起こり得る。経験則は未知のリスク(ブラックスワン)によって覆される可能性があり、「株式は長期で上がる」という信念自体が科学的法則ではなく経験的コンセンサスに過ぎない点も忘れてはならない。また、制度に過度に依存することで新たなバブルやシステミックリスクを孕む恐れも指摘される。
- 統合的な視点と対応(合):歴史の示す市場の成長力を信じつつも、常に不確実性への備えを怠らない慎重な楽観主義が現実的な投資スタンスとなる。長期分散投資を基本としながら、前提条件の変化に注意深く目を配り、必要なら戦略を柔軟に見直す姿勢が重要である。市場や経済を取り巻く制度にも批判的・建設的に関与し、より持続的な成長環境を整えていくことが求められる。こうした態度により、歴史から学び未来に活かすという弁証法的プロセスを実践しつつ、「歴史的に上昇してきたから将来も上昇するだろう」という前提と上手に付き合っていくことができるだろう。
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