ドル基軸通貨体制の行方

テーゼ:戦後の金・ドル本位制の成立と背景

第二次世界大戦直後、戦勝国アメリカと敗戦国・欧州諸国との経済力には圧倒的な格差があった。終戦直後の米国は世界のGDPの約半分と各国通貨準備の8割を占めており、世界経済に君臨する存在であった。さらに米国は当時世界の金準備の約3/4を保有し(1948年時点で約74.5%)、豊富な金保有量と経済規模によって通貨ドルの信用基盤を形成していた。この圧倒的経済・金融優位を背景に、1944年のブレトンウッズ会議では米ドルが戦後世界の基軸通貨に選定された。

ブレトンウッズ体制の狙いは、大戦前のような為替切り下げ競争を繰り返さず、戦後復興に必要な貿易を円滑に発展させる決済システムを構築することにあった。具体的には、各国通貨の対ドル為替レートを固定し、米ドルと金との交換比率(1トロイオンス=35ドル)も固定するという金・ドル本位制が採用された。ドルを仲立ちとする間接的な金本位制であり、各国はドルを保有すればいつでも金と交換できると認識され、ドルは「良質なドル=疑似的な金」として受容された。このようにドルを国際決済手段の中心に据えることで、米国の莫大な金備蓄と経済力を礎とした戦後の通貨秩序(ブレトンウッズ体制)が誕生したのである。

しかし、このテーゼ(ドルを軸とする金為替本位制)は内在的な矛盾を孕んでいた。戦後の経済成長に伴い貿易とドル供給量が増大する一方、基軸である金の供給量は有限で拡大できないためである。固定相場の下で各国通貨とドルの交換比率を維持するには、本来ドル発行量は米国の金準備に見合う範囲に抑えねばならない。しかし現実には各国の決済需要に応じてドルは増発され、「増えない金を担保に米ドルが増発される」という矛盾が生じていた。この矛盾(後にトリフィンのジレンマと呼ばれる)はやがてドルへの信認低下を招き、テーゼであったブレトンウッズ体制崩壊への伏線となった。

アンチテーゼ:ニクソンショック以降の管理通貨体制とドル覇権の維持

1960年代に入ると、戦後復興を遂げた西欧諸国や日本が輸出競争力を高め、世界経済における米国一極の優位は相対的に低下し始めた。1950年代にはドル不足に苦しんでいた各国も、60年代には輸出増によりドルを蓄積し過剰なドルを抱えるようになる。そして各国は余剰ドルを米国に持ち帰って金と兌換し始めたため、米国の金準備高は急速に減少し、金価格の高騰(ドル価値の下落)を招いた。これがいわゆる「ドル危機」であり、ブレトンウッズ体制の維持が次第に困難となっていった背景である。加えて、冷戦下での軍事支出拡大(とりわけベトナム戦争の費用負担)や、西欧の統合・日本の高度成長による追い上げにより、1960年代後半には米国が享受していた経済的優位は大きく揺らいでいた。もはや米国一国の金準備をもってドルの価値を維持し、戦後世界経済を支えることは不可能となりつつあったのである。

そして1971年8月15日、ついにニクソン米大統領がドルと金の交換停止を電撃的に表明した(ニクソンショック)。これにより各国通貨は事実上アンカー(錨)を失い、戦後のドル=金本位制、すなわちブレトンウッズ体制は崩壊した。固定相場制から変動相場制への転換は各国通貨の急激な変動をもたらしたが、同時に米ドルそのものは基軸通貨の座から陥落したわけではなかった。ドルと金の兌換停止というアンチテーゼ(反命題)は、ドル体制そのものの崩壊ではなく、新たな形でドルの覇権を再編・再定義する契機となったのである。

ニクソンショック後、世界は米ドルを担保する金本位制なき管理通貨体制へと移行した。各国は変動相場制の下で自国通貨の価値安定策を模索したが、その過程で米国を中心とする国際的な金融協調が重要な役割を果たすようになった。実際、ブレトンウッズ崩壊後には主要国の政府・中央銀行が通貨・金融安定のため共通の金融規制やマクロ経済政策の協調に力を注ぎ、「国際協調」というソフトな担保を新たなアンカー(基軸)として国際通貨制度を支える体制が発展していった。また同時に、米国は自国通貨への信認を維持するため地政学面でも動いた。1970年代の第一次オイルショックを機に、米国はサウジアラビアとの間で「原油はドル建てで取引し、その収入(オイルマネー)は米国債等で運用する」という密約を結び、産油国の巨額な資金を再びドル圏内に循環させることに成功した。このいわゆるペトロダラー体制の成立によって原油取引を軸としたドル需要が半永久的に確保され、金の裏付けを失った後もドルは国際商品市場・金融市場で圧倒的な地位を維持した。各国中央銀行は引き続き準備資産の大部分を米ドル建て資産(米国債など)で保有し、ドルは「信用力のある紙の金」として機能し続けたのである。こうした金融資本・国債を中核とする新たなドル支配の構図の下、米ドルは変動相場制の時代にも依然として国際基軸通貨として君臨し続けた。

要するに、アンチテーゼとしてのニクソンショック以降も、冷戦下で米国が提供する安全保障の枠組みや巨大な米国経済への信頼感を背景に、同盟国・資本市場はドルへの依存を継続したのである。ドルと金の結びつきは断たれたものの、「ドル本位制」そのものは形を変えて存続したと言える。このようにテーゼ(ドル金本位)に対するアンチテーゼ(管理通貨ドル体制)は、ドル基軸の論理そのものを覆すには至らず、むしろドル覇権は金融・軍事両面から補強される結果となった。

ジンテーゼ:冷戦後の多極化と脱ドル化の進行、国際通貨秩序のゆくえ

1991年の冷戦終結後、米国は唯一の超大国として政治・経済両面で圧倒的地位を占め、「ドル一極支配」はしばらく盤石に見えた。しかしグローバル化が進展する中で、21世紀に入ると中国を筆頭に新興国が台頭し、世界経済のパワーバランスは徐々に変容していった。戦後復興を遂げた西欧や日本も含めた主要各国の成長により、世界GDPに占める米国の比重は戦後直後の約50%から低下の一途を辿った。例えば米国の世界GDPシェアは、戦後復興が軌道に乗った1960年に約40%、1970年には約30%へと低下しており、ドル一極体制の前提だった「圧倒的な米国経済の優位」は時間とともに相対化されていったのである。冷戦後はEUの結成と共通通貨ユーロの誕生(1999年)により欧州も通貨面で結束を強め、さらに2000年代にはブラジル・ロシア・インド・中国・南アフリカ(BRICS)といった新興経済国が急成長を遂げた。こうした国々は莫大な生産力・資源を背景に世界経済に占める比重を高め、従来のドル・ユーロ中心の体制に挑み始めている。実際、21世紀初頭に比べ世界のドル使用量は大幅に減少しており、新興国グループBRICSはドル覇権打破に向けた取り組みを公然と加速させている。これらの国々は自国通貨建てでの貿易決済や通貨スワップ協定の網を広げ、米ドルに依存しない二国間・多国間決済のインフラを築こうと模索している。

こうした潮流の中で、各国中央銀行の外貨準備におけるドル資産の割合も漸減傾向を辿っている。国際通貨基金(IMF)の統計によれば、各国中銀の外貨準備に占める米ドルの比率は1999年の71%から低下を続け、2020年末に59%と過去25年で最低の水準を記録した。その後も脱ドル化の動きは続き、2024年には世界の準備資産に占めるドルのシェアが58%程度まで低下したと報じられている。これは2002年時点の72%から14ポイントもの大幅下落であり、その分ユーロや人民元を含む「ドル以外の通貨」の持ち高が増えていることを意味する(※実際、中国人民元など「その他通貨」のシェアは同期間に数%から約9%に上昇した)。このように各国の準備通貨構成は徐々に多様化しており、ドル独歩の状態に変化が生じ始めている。

もっとも、国際通貨秩序のジンテーゼ(総合)としていきなり「ポスト・ドル体制」が出現するわけではない。現在のところ、ドルに代わって単独で覇権を握りうる通貨は存在せず、ドルの基軸通貨としての地位はなお大きい。実際、国際決済や資本移動に占めるドル建て取引の割合は依然突出して高く、外為市場取引に占めるドルのシェアは2022年時点で88%(※通貨はペアで取引されるため200%中)に上る。こうした中、多くの専門家は「ドル崩壊論」は誇張であり、少なくとも近い将来にドルが基軸通貨から転落する可能性は低いと指摘する。現にアメリカは巨大な債務と財政赤字を抱えつつも、基軸通貨発行国としての“過剰な特権”(Exorbitant Privilege)を享受し、自国通貨建てで国債を発行できる強みを維持している。この信用力・流動性の高さに各国は引き続き魅力を感じており、基軸通貨ドルへの根強い需要は残っている。

とはいえ、冷戦後に顕在化した新興国台頭という現実を踏まえれば、ドル一極支配が今後も不変とは考え難い。米国自身の内向き志向や金融制裁の濫用などが重なれば、むしろそれが「脱ドル化」の流れを促進する可能性すら指摘されている。現にトランプ前米大統領の孤立主義的政策は欧州を含む各国に米国離れ・ドル依存低減の動きを意識させ、皮肉にもドル基軸体制の持続性に一石を投じたとの分析もある。こうしたダイナミクスを考慮すると、将来の国際通貨体制はドル単独ではなく多極的な通貨秩序へ移行していく可能性が高い。すなわち、ドルの基軸通貨としての優位は維持されつつも相対的には縮小し、ユーロや人民元といった他の主要通貨がシェアを拡大して併存する構図である。実際、BRICS諸国や湾岸産油国などはドル以外の通貨による取引決済や、新たな国際決済網・デジタル通貨の構想にも乗り出しており、ドル依存から脱却しようとする試みが各地で続いている。もっとも、そうした多極化が真に進展するためには、新興国側の通貨・金融システムに対する信頼醸成や政治的安定が不可欠であり、時間を要すると見られる。結局のところ、ドル基軸通貨体制の行方はテーゼ(ドル覇権)とアンチテーゼ(脱ドル化)のせめぎ合いの中で揺れ動きながら、最終的には両者を折衷したジンテーゼとしての新たな国際通貨秩序へと段階的に収斂していくものと考えられる。そのシナリオでは、ドルはもはや絶対的な一極ではなくなるものの、主要な複数の国際通貨の一角として依然重要な役割を担い続けるだろう。すなわち、戦後から続くドル基軸体制は形を変えつつ存続し、弁証法的発展を経た**「多極化したドル体制」**とも呼ぶべき秩序が現出しつつあるのである。

ドル基軸通貨体制の変遷と今後の行方を弁証法的に要約する。

テーゼ(戦後の金ドル本位制の成立)

第二次世界大戦直後、米国は世界の金保有量の大半を占め圧倒的な経済力を持っていたため、ブレトンウッズ体制(金ドル本位制)が成立。米ドルが金に裏打ちされ、国際通貨秩序の中心となった。しかし、ドル供給量の増大に金の保有量が追いつかないという「トリフィンのジレンマ」が内在していた。

アンチテーゼ(ニクソンショック後の管理通貨制度)

1971年のニクソンショック(金とドルの交換停止)を契機に、金との裏付けを失った米ドルは変動相場制下の管理通貨制度へ移行。ドルの地位は揺らぎつつも、冷戦構造の下で米国の軍事・経済力がドルへの信認を維持し、ペトロダラー体制の構築などでドル覇権は再編された。

ジンテーゼ(BRICS台頭と多極化する国際通貨秩序)

冷戦後のグローバル化とBRICS諸国の経済的台頭により、米国一極の通貨秩序の維持は困難になりつつある。ドルを基軸とした体制から人民元やユーロなど複数通貨が共存する多極的な通貨秩序へと移行中である。ただし、ドルは依然として主要な国際通貨としての地位を保ちつつ、相対的地位は低下していくことが予想される。

こうしてドル基軸通貨体制は、弁証法的展開を経て「多極化したドル体制」という新たな形態へ向かいつつある。

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