智徳を備えよ

処世術

この主題は、パスカルの人間観とアリストテレスの政治哲学を弁証法的に結びつけ、人間の知覚や知能に対する優越性を検討することを求めています。まず、パスカルの思想とアリストテレスの政治観を整理し、その後に弁証法を用いてこれらを論じていきます。

パスカルの思想

パスカルは、『パンセ』において、「人間は考える葦である」という有名な言葉を述べました。彼の考えでは、人間は弱く有限な存在でありながら、自分自身を知覚し、考える能力を持つ点で自然や宇宙に優越する存在だとされます。つまり、人間は知覚する主体として、無限でありながらも物質的には限定されている自然や宇宙に対して優越的であると考えます。

アリストテレスの政治観

アリストテレスは『政治学』において、人間は「ポリス的動物」であり、社会や国家を形成するためには知恵と徳が不可欠であると主張しました。彼は、政治は知恵と徳を備えた豊かな人々によって行われるべきであり、愚かで貧しい者が政治に関わることは社会全体にとって危険であると考えました。

弁証法による論考

弁証法は、対立する二つの概念や命題(テーゼとアンチテーゼ)を対話的に統合し、より高次の真理(ジンテーゼ)に到達する方法です。ここでは、パスカルの「人間の知覚による優越性」とアリストテレスの「知恵ある者による政治」を対立する概念として捉えます。

  1. テーゼ: 人間の知覚による優越性 パスカルの立場から見ると、知覚する主体である人間は、宇宙の無限の広がりや自然の法則に対して、その存在を意識し、内省することができるという点で優越しているとされます。この優越性は、物質的な強さや大きさに依存するものではなく、あくまで知覚と内省に基づくものであり、これが人間の尊厳の根拠となります。
  2. アンチテーゼ: 知恵ある者による政治 一方でアリストテレスは、すべての人間が同等に賢く、または道徳的であるわけではないことを認識しています。彼の考えでは、賢く豊かな者が政治を指導するべきであり、愚かで貧しい者が政治に関与することは社会全体を混乱させる危険性があるとします。つまり、知能や道徳性に基づくヒエラルキーが存在することを前提としています。
  3. ジンテーゼ: 優越性と知恵の融合 この二つの命題を統合する際、まず考慮すべきは、知覚や内省が人間の優越性の源であるとしても、その優越性がすべての人間に平等に分配されているわけではないという現実です。アリストテレスの見解を踏まえると、知覚の主体としての人間の優越性は、知恵や道徳性によってさらに特化されるべきだと考えられます。つまり、すべての人間が知覚する主体であることを認めつつも、知恵ある者が社会の指導者となるべきだという結論に至ります。

知能で人間と動物に優劣をつける妥当性

ここで、人間と動物の知能差に基づく優劣をどのように捉えるかが問題となります。人間が知覚する主体であるという点で優越するのは、動物と比較しても同様です。しかし、アリストテレスの観点を踏まえると、単に知覚するだけでなく、知恵を持ち、社会を構築し、倫理的な判断ができるという点で、人間は動物に対して優越的であるとされます。この優越性は、人間が単に知覚する主体であるからではなく、知覚と知恵を統合して行動する存在であるからです。

愚かで貧しい人間との交際の危険性

最後に、アリストテレスは、知恵や徳が欠如した者が政治や社会に影響を与えると、その集団全体が混乱し、堕落する危険があると述べています。これを現代に置き換えると、無知や倫理観の欠如が蔓延する社会は、政治的に不安定であり、その結果として、全体の幸福が損なわれる可能性があると解釈できます。

結論

パスカルとアリストテレスの思想を統合することで、人間の知覚や知能による優越性を認めつつ、その優越性が適切に発揮されるためには、知恵と徳が不可欠であるという結論に至ります。これにより、人間は自然や動物に対して優越的な存在であると同時に、その優越性を適切に管理し、社会全体の幸福を追求する必要があることが示されます。

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