ブレトンウッズ体制(1944年)からニクソンショック(1971年)までの約30年間、国際通貨システムは米ドルを基軸とする固定相場制を採用していた。しかし、この体制は内部矛盾を抱えており、最終的には崩壊した。この過程を**弁証法的視点(正-反-合)**で分析すると、通貨と物価の変化がどのように相互作用し、制度の矛盾が展開・解消されていったかが明確になる。
1. 正(テーゼ):ブレトンウッズ体制の確立(1944~1950年代)
① 通貨:米ドルを基軸とした金本位制
- 1944年のブレトンウッズ会議により、1オンス=35ドルの固定相場で金と米ドルの交換が保証され、各国通貨はドルに対して固定相場を維持。
- ドルは「金の代替物」となり、各国はドルを準備通貨とすることで安定的な国際取引が可能となった。
② 物価:戦後復興とインフレの抑制
- 戦後のインフレは各国で深刻だったが、ブレトンウッズ体制の下で固定相場制と金融引き締めによって物価が安定。
- 米国はマーシャル・プランを通じてヨーロッパ経済を支援し、ドルの信認を確立。
③ 矛盾の種:ドル供給と金準備の不均衡
- 各国は成長のためにドルを求めたが、ドルが増えるほど金の裏付け(米国の金準備)は相対的に減少するという**「トリフィンのジレンマ」**が生じる。
2. 反(アンチテーゼ):ドルの供給増加とインフレ圧力(1960年代)
① 通貨:ドル供給の膨張と信認の低下
- 1960年代、米国は冷戦政策(ベトナム戦争)と「偉大な社会(Great Society)」政策によって財政赤字が拡大。
- これにより、世界に流通するドル(ユーロドル市場を含む)は増加し、米国の金準備とドル供給のバランスが崩れ始める。
② 物価:米国のインフレ加速
- 財政支出の増加は、米国内でインフレ圧力を生み出し、物価が上昇。
- 他国(特に西ドイツやフランス)は米国の金融政策の影響を受け、インフレ抑制のためにドル売り・金買いの動きを強める。
③ 矛盾の深刻化:ドル危機と金の流出
- 1965年、フランスのド・ゴール大統領が**「ドルではなく金での決済を要求」**し、米国の金準備が減少。
- 金兌換の維持が困難となり、固定相場の持続可能性が疑問視されるようになる。
3. 合(ジンテーゼ):ニクソンショックと変動相場制への移行(1971年)
① 通貨:金ドル本位制の終焉
- 1971年8月15日、ニクソン大統領は**金とドルの兌換停止(ニクソン・ショック)**を発表。
- これにより、ブレトンウッズ体制は崩壊し、世界は変動相場制へと移行する準備段階に入る。
② 物価:インフレの波及
- 金兌換停止により、米国は事実上ドルの増発が可能となる。
- ドルの信頼性が揺らぎ、米国をはじめとする世界的なインフレが加速(1970年代のスタグフレーションの始まり)。
- 1973年のオイルショックが重なり、世界的な物価上昇を引き起こす。
③ 新たな矛盾:不換紙幣と経済の不安定化
- 金の裏付けを失った通貨は、政府の金融政策や市場の信頼に依存するようになり、ドルの変動リスクが高まる。
- 1973年、主要国は変動相場制へ移行し、ドルは金とのリンクを完全に断ち切る。
- 以降、通貨政策の主軸は金ではなく、各国の金融政策(FRBの金利政策など) へとシフトしていく。
結論:弁証法的総括
- テーゼ(固定相場制)
- 戦後の国際経済安定のため、ドルを基軸とする金本位制が確立。
- 物価は比較的安定し、世界経済は復興。
- アンチテーゼ(ドル供給増大とインフレ)
- 米国の財政支出とインフレによって、ドルの価値と金の裏付けに矛盾が生じる。
- 他国の不満が高まり、金とドルの交換が持続不可能になる。
- ジンテーゼ(変動相場制へ)
- 金との交換停止により、通貨は政府と市場の信認に依存するものへ変化。
- 物価は市場要因(オイルショック、金融政策)に大きく左右される時代へ。
この流れを通じて、通貨制度はより柔軟な変動相場制へと進化したが、その代償としてインフレリスクと通貨の不安定性が新たな問題となった。この新たな矛盾は、1980年代の金融引き締め(ボルカーショック)やその後のドル覇権戦略へと続く布石となる。
今後の展開(さらなるジンテーゼ)
現在も、「基軸通貨の信頼性」と「物価安定」のバランスは課題であり、2020年代のドル覇権の揺らぎやデジタル通貨の台頭は新たな矛盾を生みつつある。将来的には、中央銀行デジタル通貨(CBDC)や金・デジタル資産の組み合わせによる新たな国際通貨体制が模索される可能性もある。
通貨と物価の動態を弁証法的に捉えることで、今後の金融制度の行方も予測できるのではないだろうか。
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