日本と米国におけるインフレによる債務圧縮の企図と相違点

はじめに

日本と米国はいずれも巨額の政府債務を抱える先進国である。日本の政府債務残高は近年GDPの約2.4倍(240%前後)に達し、米国もGDPの1.2倍(120%超)と歴史的高水準にある。こうした状況下、両国政府は共通してインフレーション(物価上昇)による債務の実質的圧縮を一つの方策として意識している。しかし、その企図の背景と効果には日米で大きな相違が見られる。本稿では両国のマクロ経済構造、債務構成、通貨の国際的地位の違いを踏まえ、インフレ誘導による債務圧縮の狙いと相違点を弁証法的観点(対立・矛盾・統一の観点)から論じる。

両国の政府債務の現状と構造

日本の政府債務は対GDP比で世界最高水準にあり、その特徴は債務の大半が国内で消化されている点である。日本国債の約9割は国内の金融機関、年金基金、日銀などが保有しており、海外投資家の保有割合は1割強に過ぎない。さらに、日本は数十年にわたり経常収支の黒字を積み重ねてきた結果、対外純資産残高が約数百兆円規模に及ぶ世界最大の対外純債権国である。政府こそ巨額の借金を抱えるものの、日本全体では海外に対する債権超過となっており、国としての貯蓄が国内債務を下支えする特殊な構造にある。

一方、米国の政府債務は国外への依存度が高い。米国債の約3割前後が海外投資家(各国政府や民間)に保有されており、米国は対外純債務が数兆ドル(数千兆円)規模にも達する世界最大の対外純債務国である。これは、米国が長年にわたり経常赤字を続け、海外から巨額の資本流入によって財政赤字を賄ってきたことを反映している。米国債は中国や日本をはじめ各国の外貨準備として保有されるなど国際市場で売買される割合が高く、米国の財政はグローバルな市場の影響を強く受けやすい。債務構成の違いから、日米両国はインフレによる債務削減を試みる際に、それぞれ異なるメリットと制約に直面する。

日本におけるインフレ誘導と債務圧縮の企図

日本政府・日銀は長期停滞とデフレからの脱却を図る中でインフレ誘導政策をとってきた。2013年に始まったアベノミクスでは、2%の物価目標を掲げ大胆な金融緩和(量的・質的緩和やマイナス金利政策)を実施し、長年ゼロ近傍に張り付いていたインフレ率を押し上げる試みがなされた。その背景には、持続的な物価上昇により名目GDPを拡大させ、債務残高の対GDP比を引き下げる狙いがある。実際、緩やかなインフレは**「債務の実質的な圧縮」につながる。例えばインフレ率が2~3%で推移し金利がそれ以下に抑えられれば、政府債務の実質負担は時間とともに目減りする。日本では日銀が国債の約半数を保有し金利を低位に抑える金融抑圧的な政策を継続しており、この間に適度なインフレを発生させることで、政府は事実上の「インフレ税」**によって債務を国内の債権者に薄く負担転嫁している形になる。

日本の場合、この戦略が可能なのは、先述のように債務のほとんどが国内投資家によって引き受けられているためである。国民の預金や年金基金が低利で国債を支える構図となっており、インフレによる実質価値のめべりというコストを最終的に負うのも国内の債権者(銀行や保険、年金など)である。これは国内経済における資源配分の内部調整と言える。高齢化が進む日本では、多くの国民が債権者(貯蓄・年金の受給者)でもあり、インフレは彼らの購買力を奪う矛盾も孕むが、一方で長期のデフレは経済停滞と賃金低迷をもたらしてきた経緯がある。この矛盾した状況(インフレは債務軽減に有効だが国民の実質資産を目減りさせるという対立)は、適度なインフレ率の実現という形で統一的に解決が図られている。すなわち、急激なインフレによる混乱を避けつつ、デフレで膨張した債務の重みを緩和し、経済成長と財政再建の両立を目指すという微妙なバランスが日本の企図なのである。

米国におけるインフレ誘導と債務圧縮の企図

米国政府もまた、インフレによる債務軽減効果を享受し得る立場にあるが、その企図は日本とは異なる様相を呈する。米国は公式には低インフレと通貨価値の安定を最重視しており、連邦準備制度理事会(FRB)は2%程度の物価上昇率を目標として独立した金融政策を運営してきた。したがって政府が公然とインフレ誘導による債務圧縮を掲げることはない。しかし実際には、戦時や危機対応の巨額支出の後、インフレが債務比率引き下げに寄与した歴史的事例がある。第二次世界大戦直後の米国では、高成長と適度なインフレにより債務対GDP比が急低下した。また近年では、新型コロナ危機後の大規模財政出動と金融緩和により、2021~2022年にインフレ率が一時8%を超える水準に達した。結果として米国の2020年代初頭の債務対GDP比はわずかながら低下傾向を見せた。このようにインフレは米国債務の実質的な負担を軽減する効果を持ち、特にその一部は海外債権者に転嫁される点で、米国政府にとって魅力的な側面がある。

もっとも、米国の場合、このインフレによる債務圧縮には特有の矛盾が伴う。第一に、米ドルは世界の基軸通貨であり、各国中央銀行の外貨準備の約6割を占めるなど国際的信用が支えとなっている。もし米国が自国債務軽減のために意図的に高インフレ政策を採用すれば、ドルの信認を損ない基軸通貨としての地位を揺るがす恐れがある(ドル安による輸入物価上昇や他国経済への悪影響も招き、国際的責任が問われる)。つまり、債務削減の企図と通貨価値維持の責務の間に対立が存在する。第二に、独立性の高いFRBは雇用と物価の安定を使命としており、近年のインフレ高進局面では急速な利上げによって物価抑制を最優先した。この結果、政府にとって望ましい「インフレで債務軽減」という環境は長続きせず、むしろ金利上昇により利払い負担が増大するという逆風に転じた。これは金融政策と財政目標の矛盾とも言え、政府がインフレ容認によって得ようとする利得は、自国の中央銀行の引き締めによって制約を受ける構造である。

他方で、米国には依然インフレによる債務圧縮の誘惑が存在する。巨額の債務を税収だけで賄うことは政治的に困難であり、議会の歳出削減や増税には限界がある。ゆえに、明示的ではないにせよ、適度に潜在インフレ率を上振れさせることで債務を相対的に軽くする戦略が議論されることもある。特に米国債の一定割合を占める海外保有分については、インフレとドル安によって国外投資家が実質損失を被る形で米国の債務負担が削減される。この点で米国は自国以外の経済主体に一部コストを転嫁できる立場にあり、これは債務のほとんどを国内で抱える日本との大きな相違点である。ただし、そのような戦略は長期的には海外からの資本逃避や金利急騰を招きかねず、結局は市場の懲罰(bond vigilantesによる国債売り浴びせ)に直面する可能性が高い。したがって米国政府のインフレ利用の企図は、日本に比べてより慎重かつ間接的なものとなっている。

日米の政策にみる対立・矛盾・統一(弁証法的考察)

上記の検討から、インフレによる債務圧縮をめぐる日米の立場には共通の論理(統一)と相反する要素(対立)が併存していることが浮かび上がる。両国とも高水準の公的債務に直面し、それを実質的に減らす手段として適度なインフレを利用しようとする点では統一的である。インフレは税収を名目上増大させ、既存債務を実質目減りさせるため、政治的コストが高い緊縮財政やデフォルトに頼らず債務問題を緩和する妙手となり得る。この基本的企図自体は日米共通の「テーゼ(正)」と言えよう。

しかし、その実現手段や直面する制約には対立がある。日本では長期停滞というアンチテーゼ(反)に対し、金融緩和とインフレ目標の導入によって経済再生と債務圧縮を両立させようとした。一方の米国では、基軸通貨国としての責務や独立した中央銀行の存在が、財政主導でインフレを利用することへの強いブレーキとなっている。日本が国内の債権者との間で内在する矛盾を抱えつつも金融当局と政府が一体となってインフレ誘導に舵を切ったのに対し、米国は財政当局と金融当局の役割分担という構造的対立を内包し、積極的なインフレ誘導には踏み切れないでいる。

それでも最終的には、両国とも**「高債務」という共通の課題に対し、インフレの力を利用せざるを得ない現実に収斂している点で統一されている。日本ではデフレ脱却と財政安定の統一を図る政策として緩やかなインフレが受容されつつあり、米国でも近年のインフレ高進を経て結果的に債務比率が調整される局面が見られた。すなわち、対立する要素(低インフレ維持 vs 債務削減の必要)が動的に作用しあった結果、「穏当なインフレ率の下で債務を持続可能にする」**という弁証法的統合が志向されているのである。両国の差異は大きいものの、最終的には債務とインフレの均衡点を模索するという政策哲学において共通の地平に立っていると言えよう。

結論

日本と米国におけるインフレ誘導を通じた債務圧縮の企図は、共に高債務時代の現実的対応策として浮上しているが、その動機と制約には国情に根差した相違がある。日本は自国通貨建て債務を国内で循環させる閉鎖的な金融構造の下で、緩慢なインフレと低金利を維持することにより、債務の実質的軽減と経済活性化を図っている。これは高齢化社会で債権者でもある国民に負担を強いる矛盾を孕むものの、デフレからの脱却と財政維持を両立させる統一的方策となっている。一方米国は、基軸通貨ドルの信認と国際資本市場の動向を常に考慮せねばならず、表立ってインフレによる債務圧縮を掲げることはない。それでも結果的にインフレ率の高まりが債務比率調整に寄与する局面では、国外債権者も含めた広範な主体にコストを分担させる形で債務負担を軽減している。だが過度なインフレはFRBによる金融引き締めとドル価値の低下を通じて自国経済に跳ね返るため、米国のアプローチは日本に比べ制約の下での折衷的なものとなる。

総じて、インフレ誘導による債務圧縮は日米双方にとって**「毒にも薬にもなる両刃の剣」であり、それぞれの経済構造に合わせた巧みな運用が求められる。両国は高債務という共通の難題に対し、インフレ活用という統一的解決策を見出しつつも、その道筋には国内外要因の対立や政策上の矛盾が顕在化する。弁証法的視点で見れば、日本と米国は対立する条件を抱えながらも最終的にインフレと債務の均衡点を追求する**という同じ課題に取り組んでいる。異なる軌跡を辿りつつ収斂するこの姿こそ、高債務時代における日米の政策的意図の相違と共通性を映し出すものである。

要約

日本は自国通貨建ての巨額債務を国内貯蓄で賄い、デフレ脱却と穏やかなインフレによる実質債務削減を図っている。米国も高債務に対しインフレで負担を和らげる狙いを潜在的に持つが、ドルの基軸通貨としての信認維持やFRBの物価安定政策との矛盾に直面する。両国ともインフレ活用により債務問題への統一的解決を模索しているが、その手法とリスクは経済構造と国際通貨体制の違いにより対照的である。

コメント

タイトルとURLをコピーしました