正(テーゼ):外貨準備の現状と円の安定性
日本は世界有数の規模の外貨準備を保有しており、その総額は約1.3兆ドルにも達しています。外貨準備の内訳を見ると、大部分が米ドル建ての資産(外国債券や預金など)で占められており、その他にIMFへの出資に基づくIMF準備ポジションや国際通貨基金の特別引出権(SDR)、そして一部に**金(ゴールド)**が含まれています。例えば、2025年時点では外貨準備全体の約90%近くが外貨建て資産(主に米国債などの米ドル資産)であり、金の保有は全体の数%程度(約6~7%)に留まっています。このように日本の外貨準備は量的にも質的にも非常に潤沢かつ安定的であり、円の信用を裏付ける重要な基盤となっています。
この巨額の外貨準備によって、日本の円は国際的にも安定した通貨であると評価されています。中央銀行である日本銀行と政府は、必要に応じてこの外貨準備を活用し、為替市場に介入して円相場の急激な変動を抑制することが可能です。実際、日本政府は過去に円安が急速に進行した局面で外貨準備を使った介入を行い、円の価値を支えた例があります。例えば、2022年には円相場が1ドル=150円前後まで下落し急激な円安が進んだ際、約9兆円(およそ600億ドル)規模のドル売り・円買い介入を実施し、一時的に円の下落を食い止めました。こうした十分な備えがあることで、投機的な攻撃に対しても円の価値を防衛できると市場に印象づけており、結果的に円の安定性への信認につながっています。
さらに、日本は長年にわたり低インフレまたはデフレ環境にあり、他国と比べても物価上昇率が抑えられてきました。これは裏を返せば、円の購買力が国内では比較的安定して推移してきたことを意味します。加えて、日本の経常収支は黒字基調で推移し対外純資産も世界最大級であることから、国家全体としての対外支払い能力や信用力も高水準です。総合的に見れば、莫大な外貨準備と堅調な経済基盤によって円の信用は支えられており、現状では円の価値はおおむね安定していると言えるでしょう。
反(アンチテーゼ):米ドル増刷による円価値下落のリスク
しかし一方で、日本の外貨準備の大半を占める米ドル資産に依存していること自体が、将来的な円の価値にとってリスク要因になり得ます。現在の国際通貨体制では、通貨の価値を直接「金」に裏付けることはしておらず、各国通貨は政府や中央銀行の信用によって支えられる不換紙幣(フィアット通貨)です。特に世界の基軸通貨である米ドルは、金のように自然の希少性で供給量が制約されるものではなく、必要に応じて事実上無制限に発行(増刷)することが可能です。米国が自国経済や金融市場を支えるために巨額のドルを市中に供給すれば、当然ながら米ドルの価値(購買力)は低下し、インフレ率が上昇します。日本が保有する外貨準備の価値も、その大部分は米ドル建てである以上、米ドルの価値下落に伴って実質的に目減りしてしまいます。言い換えれば、円の価値の裏付けとなっている外貨資産が劣化することになり、円自体の信認や購買力にも陰りが生じる可能性があるのです。
また、米ドル資産に偏重しすぎることの信用リスクも無視できません。米国政府の財政赤字や累積債務が拡大し続けている現状では、将来的に米国債の信用が低下したり、極端な場合には債務不履行リスクが意識されたりする可能性もゼロではありません。仮に国際的に米ドル建て資産の信用が揺らぐ事態になれば、日本の外貨準備の価値は大きく毀損し、それに比例して円の信用も動揺しかねません。さらに、米国がインフレ容認的な政策を取ってドルの実質価値が低下すれば、日本はその影響を免れられません。輸入物価の上昇などを通じて日本国内のインフレ圧力が高まり、円の購買力が低下(インフレによる価値下落)するのは避けられないでしょう。
加えて、日本自身の金融・財政政策も円の価値に影響を与えます。日本銀行は長期間にわたり大規模な金融緩和を実施し、潤沢な流動性を供給してきました。その結果、日本国内のマネタリーベースは大きく膨張しており、国債の相当部分を日銀が保有する形となっています。政府債務もGDP比で200%をはるかに超える水準に達し、その維持には極めて低い金利と日銀による国債買い入れ(事実上のマネタイズ)に依存しています。もし国内要因で財政・金融の信認が揺らげば、円の急激な価値下落を招くリスクがあります。現在は低インフレに抑えられているとはいえ、米ドルを含む法定通貨への信頼が損なわれれば、人々がより信頼できる資産(例えば金や他国通貨など)に逃避し、円安・インフレが加速する可能性も指摘できます。要するに、「金ではなく無制限に増刷できる米ドルを担保とする円」は、見方を変えれば脆弱な基盤に立つ通貨であり、長期的にはその価値下落(インフレ)を避けられないのではないか、という懸念が浮上してくるのです。
合(ジンテーゼ):円の価値安定の可否と総合的見解
以上の正反両論を踏まえ、円の価値安定の可否について総合的に考えると、結論は一筋縄ではいきません。確かに、日本の円は巨額の外貨準備とこれまでの低インフレ経済によって比較的安定した価値を維持してきました。国家としての信用力も高く、現時点ですぐに円の信用が失われる状況ではありません。国際金融体制において米ドルは依然として中核的な地位を占めており、日本を含め各国が保有する外貨準備の多くが米ドルであるのも現実です。つまり、円の安定性は米ドル体制の安定性と裏腹の関係にあり、米ドルへの信認が大きく揺らがない限りは、円も相対的には安定を保つ可能性が高いと言えます。さらに、日本政府・日銀は適切な政策運営によって、国内のインフレ率を低位に抑制しつつ為替相場を安定させる手段を持っています。その意味では、円の価値をある程度安定させ続けることは可能でしょう。
しかし同時に、長期的視野に立てば円の価値が緩やかに下落していく可能性は否定できません。事実、金本位制が崩壊した1970年代以降、日米を含む主要国通貨は緩やかなインフレの中で購買力を逓減させてきました。日本も例外ではなく、過去数十年で見れば物価水準はゆるやかに上昇し、貨幣の実質価値は減少しています。これは各国が経済成長と適度なインフレ率を容認する政策を採ってきた結果であり、「円の価値安定」と言っても、それは絶対的な価値不変を意味しないことに注意が必要です。むしろ、緩やかなインフレを伴う価値下落は現代の経済システムにおいてある程度容認されている現象であり、これ自体は「避けられない」側面があります。問題は、そうした緩慢な価値下落が制御不能な水準(高インフレ)に陥るか否かです。
円の価値安定を将来にわたって確保するためには、いくつかの重要なポイントが浮かび上がります。第一に、外貨準備の適切な運用と分散です。現在のように米ドル資産に偏った構成を徐々に是正し、金の保有割合を高めたり、ユーロやその他の安定した外貨資産を組み入れたりすることで、リスク分散を図ることが考えられます。実際、近年ではロシアや中国をはじめとする国々が外貨準備における金の比率を引き上げたり、ドル以外の通貨への分散を進めたりしています。日本も同様に、「有事の保険」としての金の役割や、基軸通貨ドルへの依存度を緩和する戦略を検討する価値があるでしょう。第二に、国内の財政・金融健全性の維持が不可欠です。債務残高の持続可能性や日銀による国債引受の正常化など、中長期的に市場の信認を得られる政策運営が求められます。日本経済が持続的成長と財政再建を果たし、日銀が物価安定目標の下で適切に金融調節を行うならば、通貨としての円への信頼は揺るがず、急激なインフレによる価値崩壊のリスクも低く抑えられるでしょう。
総合すれば、円の価値安定は「外的な基盤の脆弱性」と「内的な政策運営」の両面からの挑戦にさらされています。金のような絶対的価値基準を持たない以上、完全な価値不変は望めないものの、日本の円は適切な備えと対応次第で大きな崩壊を回避し、相対的な安定を維持しうると考えられます。言い換えれば、「米ドル担保ゆえに円のインフレは避けられない」という主張には一定の理があるものの、それは前提条件次第で緩和し得るリスクであり、決して一方向に決まった未来ではありません。円の価値が将来にわたって安定するかどうかは、米ドルを中心とする国際金融体制の行方と、日本自身の経済・金融政策の舵取りにかかっていると言えるでしょう。
要約
日本の外貨準備は世界有数の規模で、その大半が米ドル資産から成り、一部に金も含まれる形で円の信用を支える基盤となっています。こうした潤沢な準備と過去の低インフレ経済により、円は現在おおむね安定した価値を維持しています(正:テーゼ)。しかし、金のような有限資源ではなく無制限に発行可能な米ドルに依存する構造は、将来的な円の購買力低下(インフレ)リスクを孕んでおり、米ドルの価値下落や信用不安が生じれば円の価値も揺らぎかねません(反:アンチテーゼ)。総合的に見れば、円の価値安定は決して自明ではないものの、外貨準備の分散や堅実な国内政策によって相対的な安定を維持する余地はあります。つまり、円の将来的な価値は外的なドル体制の安定性と内的な政策対応に大きく左右され、無策では価値下落を避けられない一方、適切な対処によってそのリスクを低減し円の信認を保つことは可能と言えるでしょう。
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