米国株式市場では、1929年以降に主要株価指数がピークから30%以上下落するような深刻な大暴落が幾度も発生しています。以下、時系列順に各大暴落の発生年・期間、下落率(おおよそのピークからの下落率)、主な原因や背景、暴落の継続期間や市場回復までの期間について説明します。
1929年:ウォール街大暴落(世界恐慌の発端)
期間・下落率: 1929年10月に始まった株価大暴落。ダウ工業株30種平均は1929年9月に高値をつけた後、同年10月24日「暗黒の木曜日」から急落が始まり、10月28日・29日(ブラックマンデー・ブラックチューズデー)にかけて数日で約25%下落しました。その後も断続的な下落が続き、1929年のピークから1932年夏のボトムまでに株式市場は約85〜90%もの大幅下落となりました。
原因・背景: 1920年代を通じた株価の投機的な高騰と信用取引(借金による株購入)の蔓延が背景にありました。実体経済では生産過剰や所得格差の拡大など構造的問題がありましたが、多くの投資家は株価は永遠に上がり続けると信じ、過熱した相場に資金を投じていました。利上げや景気減速の兆候、さらにイギリス経済悪化による米国からの資金流出などをきっかけに投資家心理が一転し、一斉売りが発生してバブルが崩壊しました。
影響・結果: この暴落によってアメリカは世界恐慌に突入しました。銀行への取り付け騒ぎと金融機関の倒産が相次ぎ、企業も資金繰りができず倒産が増加、失業率は25%近くに達しました。経済の低迷は長期化し、米国株式市場が1929年のピーク水準を回復したのは約25年後の1954年になるほど、影響は深刻で持続的でした。大暴落の反省から、米国では銀行と証券業務を分離するグラス・スティーガル法(1933年)や、証券取引委員会(SEC)の設立、預金保険制度(FDIC)の創設など金融規制改革が行われました。
1937〜1938年:景気後退による株価急落(「ルーズベルト不況」)
期間・下落率: 1937年中頃から1938年にかけて発生した株式市場の急落です。ダウ平均株価は1937年秋頃から1938年にかけて約40%前後の下落を記録しました。この下落は、1929年の大恐慌から回復途上にあった経済が再び景気後退に陥った局面で起こり、「不況の中の不況」とも形容されました。景気後退は1937年5月から1938年6月まで約13ヶ月続き、その間株価も大幅に下振れしました。
原因・背景: この急落の主因は、政府と中央銀行が景気刺激策を早期に縮小したことにありました。具体的には、米連邦準備制度理事会(FRB)が銀行の準備預金率を引き上げる金融引き締めを行い、財務省も金流入の滞留策(金の滅殺政策)を実施して通貨供給を抑制しました。同時に、ルーズベルト政権は財政赤字を懸念して公共支出を削減し均衡財政を志向したため、経済に急ブレーキがかかりました。これらの政策によるマネーサプライ縮小と需要減退が重なり、1937年後半に景気が悪化、企業収益の落ち込みとともに株価が急落しました。
影響・結果: 株価下落と景気後退は1938年まで続きましたが、1938年後半以降は政府が再び財政出動を拡大し、FRBも引き締めを緩和したため経済は持ち直し始めました。加えて、第二次世界大戦に向けた軍需拡大が1939年以降の産業生産を押し上げ、株式市場も戦時景気の中で回復していきました。1937年の株価ピークを回復するまで数年を要したものの、1930年代末までに大恐慌からの回復軌道に戻っています。
1968〜1970年:ベトナム戦争期の弱気相場(36%下落)
期間・下落率: 1960年代後半の好景気と株価上昇は1968年末をピークに反転し、1968年末から1970年半ばにかけてS&P500指数は約36%下落しました(ダウ平均も同程度の下落率)。この弱気相場(ベアマーケット)は約20ヶ月続き、戦後の米国株式市場で大きな調整局面となりました。
原因・背景: インフレ率の上昇と金融引き締めが主な原因です。ベトナム戦争に伴う政府支出拡大や財政赤字により物価上昇圧力が高まっていたため、FRBは金利引き上げによるインフレ抑制に動きました。1969年には実際に景気後退(不況)も訪れ、企業収益の悪化懸念と相まって株式への投資マインドが冷え込みました。また1968年まで続いた強気相場への過熱感が剥落し、高PERのハイテク銘柄や成長株(当時のいわゆる「Nifty Fifty」銘柄など)に対する調整売りが起こったことも一因です。
影響・結果: 株価は1970年半ばに底を打ち、その後は金利の安定や景気回復を背景に持ち直しました。1971〜72年にかけて米国株式市場は再び上昇基調となり、主要指数は1972年頃までに1968年のピーク水準をほぼ回復しました。しかし次の1973年から始まる更なる大暴落(オイルショック)により、この時の回復も短命に終わることになります。
1973〜1974年:オイルショックと株式市場の崩壊(約45%下落)
期間・下落率: 1973年1月頃に株価が下落に転じ、1974年末まで続いた深刻な暴落です。S&P500指数はピーク(1973年初頭)からボトム(1974年末)までに約48%下落し、ダウ平均も約45%下落しました。暴落の期間はおよそ21〜23ヶ月に及び、第二次世界大戦後では最悪規模の株式市場の下げとなりました。
原因・背景: 最大の引き金となったのは1973年の第一次オイルショックです。中東戦争に伴うアラブ産油国の石油禁輸により原油価格が数倍に急騰し、先進国は深刻なインフレと景気停滞(スタグフレーション)に見舞われました。米国では、1971年のニクソン政権によるドルと金の交換停止(ニクソンショック)でブレトンウッズ体制が崩壊していたこともあり、為替不安とインフレが重なって経済環境が悪化。高インフレに対処するための金利上昇や物価抑制策が導入される中、企業収益は圧迫され株価は下落トレンドに入りました。また、当時の米政権はウォーターゲート事件の影響で政治的混乱に陥っており、先行き不透明感も投資家心理を冷やしました。これら複合的な要因が重なり、1973-74年にかけて世界的な株価崩壊が起きたのです。
影響・結果: 株価の急落と同時に経済は不況に陥り、米国の失業率も上昇しました。株式市場は1974年末に底を打った後、徐々に回復に転じましたが、1970年代後半を通じて株価は低迷気味で、インフレ率の高さもあって実質的な投資リターンは伸び悩みました。ダウ平均が1973年のピーク(約1,050ドル)を再び上回るのは、インフレが沈静化し経済が安定軌道に乗った1982年頃まで待つことになります。このように1970年代は「停滞の十年」と呼ばれ、1973-74年の暴落からの本格的な回復には長い時間がかかりました。
1987年:ブラックマンデー(史上最大の単日暴落)
期間・下落率: 1987年10月19日に発生したブラックマンデーは、米国株式市場の単一営業日として史上最大の暴落です。この日、ダウ平均株価は前週末比で一日で22.6%もの急落となり、S&P500指数も約20%下落しました。1987年8月に株価は当時の史上最高値をつけていましたが、その2ヶ月後の10月19日を中心とする急落によってピークからの下落率は30%以上に達しました。主要指数は数営業日で累計3割以上値下がりし、株式市場全体が短期間で弱気相場に陥りました。
原因・背景: 暴落の直接の誘因として、**新興のコンピュータプログラム取引(プログラム売買)**による売り連鎖が挙げられます。当時、市場ではインフレ懸念から金利が上昇傾向にあったことや、双子の赤字(貿易赤字・財政赤字)に対する不安、さらに一部では中東情勢の緊張などマイナス材料が意識され始めていました。そうした環境下で一旦売りが優勢になると、損失回避のため自動的に売り注文を出すプログラム取引が次々と発動し、下げに拍車をかけました。売りが売りを呼ぶ展開で市場の流動性が低下し、取引停止を挟むこともできないまま株価は急落しました。このシステム的な売り圧力と投資家パニックが相まって、ブラックマンデー当日の前例のない暴落となったのです。
影響・結果: 1987年の暴落は市場に大きな衝撃を与えましたが、幸い実体経済への打撃は比較的限定的でした。FRBのグリーンスパン議長が直後に流動性供給を表明し、金融システムへの不安を鎮めたこともあり、経済はリセッション(景気後退)には至らずに済みました。株式市場も比較的早期に落ち着きを取り戻し、株価水準は1989年までに暴落前のピークを回復しています。この事件を契機に、米国市場では急激な暴落時に取引を一時停止するサーキットブレーカー制度が導入されました。ブラックマンデー以降、同様の大暴落を防ぐための市場インフラ整備が進められています。
2000〜2002年:ITバブル崩壊(ドットコム・バブルの崩壊)
期間・下落率: 1990年代後半に膨れ上がったインターネット・IT関連株のバブルが2000年に弾け、2000年3月のピークから2002年10月の底にかけて株式市場は大幅下落しました。S&P500指数はこの期間に約49%下落し、ハイテク株の比率が高いナスダック総合指数に至ってはピークから約78%もの暴落となりました。暴落の期間は約2年半に及び、ITバブル期に株価が急騰していた銘柄群が軒並み崩落したことで市場全体が弱気相場に転換しました。
原因・背景: インターネット革命への過度な期待と投機が背景にあります。1990年代後半、人々の生活やビジネスを一変させると期待されたインターネット関連企業に資金が集中し、「.com(ドットコム)」銘柄と呼ばれる新興IT企業の株価が急騰しました。多くの企業が実体以上の評価を受け、新規公開株(IPO)ブームも相まって株価は高騰を続けました。しかし2000年に入るとFRBがインフレ懸念から金融引き締め(利上げ)を進めたことをきっかけに、市場は次第に冷静さを取り戻します。収益モデルが脆弱な企業や赤字続きの企業にもバブル的な資金が流入していた現実が顕在化し、IT株から資金が一斉に引き揚げられ始めました。さらに**2001年には米国同時多発テロ(9.11)**による経済不安や、エンロン・ワールドコムといった大企業の不正会計スキャンダルが発覚したことも重なり、投資家心理は一段と冷え込みました。その結果、2000年春を頂点としてIT関連株を中心に株価が長期間下落したのです。
影響・結果: バブル期に乱立したドットコム企業の多くが倒産・清算に追い込まれ、投資家に大きな損失が生じました。米国経済自体も2001年に短い景気後退局面となり、一時的に失業率が上昇するなど影響が出ました。ただしITバブル崩壊の後も住宅市場など他分野への資金移動ですぐに景気は持ち直し、株式市場も2003年以降は回復基調に転じます。**S&P500指数が2000年のピークを再び超えるまで約7年(2007年頃)**かかりましたが、その矢先に後述する2008年の金融危機が発生したため、実質的な「失われた10年」に近い状況となりました。一方、ハイテク株中心のナスダック指数が2000年のピーク(5048ポイント)を回復するには実に15年(2015年)を要し、ITバブル崩壊の傷の深さを物語っています。この暴落を経て、企業会計の信頼性向上のためサーベンス・オクスリー法(2002年)が制定されるなど、市場改革も行われました。
2007〜2009年:世界金融危機(リーマンショック)
期間・下落率: 2000年代半ばの住宅バブル崩壊に端を発した金融危機により、2007年10月にピークを付けた株式市場は下落に転じ、2009年3月まで続く大暴落となりました。S&P500指数は高値(2007年)から安値(2009年)までに約57%下落し、ダウ平均も50%以上の下落となっています。暴落期間は約1年半ですが、特に2008年9月15日のリーマン・ブラザーズ破綻を引き金に下落が加速し、2008年後半から2009年前半にかけて世界中の株式市場がパニック的な売りに見舞われました。
原因・背景: サブプライム住宅ローン危機に端を発する一連の金融システム不安が直接の原因です。低所得者向け(信用力の低い借り手向け)住宅ローンが2000年代に大量に供与され、不動産価格の上昇を前提とした証券化商品(MBS・CDOなど)が世界中に拡散していました。不動産バブルが2006年頃から崩壊し住宅価格が下落し始めると、これらローン債務の延滞・焦げ付きが急増し、担保価値の毀損によって金融機関が巨額の損失を抱え込む事態となりました。2008年に入ると米国大手投資銀行ベア・スターンズが経営危機に陥り政府支援で救済されましたが、市場の不安は収まらず、ついに9月に大手証券のリーマン・ブラザーズが破綻します。リーマン破綻は金融システム全体の信用収縮を招き、銀行間取引やクレジット市場が凍結状態となりました。金融危機は瞬く間に世界へ波及し、各国の銀行も巨額損失や資金繰り難に直面、投資家はパニック的に株式を売却しました。結果として株価は急落し、実体経済も2008年末から2009年にかけて深刻な景気後退(世界同時不況)に陥りました。
影響・結果: この世界金融危機は世界恐慌以来最悪とも称され、米国では失業率が10%近くまで急上昇し、多数の企業倒産や住宅差し押さえが発生しました。各国政府・中央銀行は緊急対応に追われ、米国では不良資産救済プログラム(TARP)による公的資金注入や、政府系住宅金融機関(ファニー・メイ、フレディ・マック)の救済、ゼロ金利政策・量的緩和の導入など大規模な対策が実施されました。その効果もあり金融システム崩壊は回避され、株式市場は2009年3月を底に反転上昇に転じます。S&P500指数がピークだった2007年の水準を回復したのは2013年頃で、約5〜6年を要しました。経済成長自体も緩やかなペースではありましたが回復し、危機から10年後の2018年頃には米国の失業率はほぼ完全雇用の水準にまで低下しました。この金融危機の教訓から、金融規制改革(ドッド=フランク法2010年)や国際的な資本規制強化が進められ、同種の危機再発防止策が講じられています。
2020年:コロナショックによる急落(パンデミック・クラッシュ)
期間・下落率: 2020年2月下旬から3月下旬にかけて、新型コロナウイルス感染症(COVID-19)の世界的流行により株式市場が突然崩落しました。S&P500指数は2020年2月19日に過去最高値を付けた後、コロナ感染拡大による経済停止への懸念から暴落し、わずか1ヶ月余りで約34%の急落となりました(ダウ平均も同様に約37%下落)。この2020年のコロナショックは、史上類を見ないスピードでの下落(史上最短の弱気相場入り)として記録されています。
原因・背景: 新型コロナウイルスの感染拡大を防ぐため各国でロックダウン(都市封鎖)や経済活動の停止措置が講じられ、それに伴い世界経済が急停止するリスクが顕在化しました。航空機や旅行・外食産業をはじめ多くの業種が事業停止や需要蒸発に直面し、企業業績の壊滅的悪化が避けられないとの見方から投資家が一斉にリスク資産を手放しました。特に3月中旬にはアメリカや欧州で感染が爆発的に拡大し、3月16日には米国で経済活動の大規模停止が発表されたことから市場はパニック状態に陥りました。わずか数週間で株価指数が3割以上も下がる急落は、投資家に「世界の終わり」のような恐怖を与え、株式のみならず社債市場などでも売りが殺到しました。
影響・結果: コロナショックによる景気悪化は急速かつ深刻で、米国では2020年4月に失業率が一時14%台に跳ね上がり、経済成長率も急落しました。しかし各国政府・中央銀行は直ちにかつてない規模の金融・財政政策を発動します。FRBは政策金利をゼロ近くまで引き下げ無制限の量的緩和に踏み切り、米連邦政府も巨額の現金給付や企業支援を含むCARES法を成立させました。こうした迅速な対策により市場の信用不安は鎮静化し、投資家心理も持ち直します。株式市場は2020年3月下旬を底に急反発し、5月頃には経済活動再開への期待もあって上昇基調に転換しました。S&P500指数は暴落前の高値を同年8月には早くも回復し、その後もIT企業を中心に株価は上昇を続けました。結果的にこの暴落は短期で終息し、経済も異例の速さで回復局面へと移行しました。ただし実体経済へのダメージは完全には戻らず、サービス業を中心に多くの企業が倒産・業態縮小を余儀なくされました。株価に関しては各国当局の介入が奏功したことで、コロナショックは歴史的には急落と急回復が特徴の異例のケースとなりました。
主要暴落の年表(1929年以降の主な株価急落一覧)
- 1929年(ウォール街大暴落): 株価が約85%下落。過度な株式投機と信用バブルの崩壊が原因で、世界恐慌の引き金となった。市場がピーク水準を回復するまで25年を要した。
- 1937〜1938年: 株価が約40%下落。大恐慌からの回復途上で金融引き締めと財政緊縮により「ルーズベルト不況」が発生。約1年で景気悪化は収束し、その後再度回復軌道に。
- 1968〜1970年: 株価が約36%下落。インフレ高進とベトナム戦争費用による金融引き締めで弱気相場に転換。約20ヶ月で底を打ち、1972年頃までに一旦回復。
- 1973〜1974年(オイルショック): 株価が約45〜48%下落。石油危機とスタグフレーション、ドル不安が重なり世界的株価崩壊。約2年にわたる停滞の後、回復までほぼ10年を要した。
- 1987年(ブラックマンデー): 株価が約30%以上下落(単日では22%以上の急落)。プログラム売買と投資家パニックが要因だが、景気後退は回避。市場は2年以内に回復した。
- 2000〜2002年(ITバブル崩壊): 株価が約49%下落(ハイテク株中心のナスダック指数は78%下落)。インターネットバブルの破裂により長期弱気相場。S&P500は7年後になってピーク回復。
- 2007〜2009年(世界金融危機/リーマンショック): 株価が約57%下落。住宅ローン危機に端を発した金融崩壊で戦後最悪の株価下落と景気後退。各種救済策の後、約5〜6年かけて回復。
- 2020年(コロナショック): 株価が約34%下落。パンデミックによる急激な経済停止で歴史的急落。ただし前例のない政策対応により数ヶ月で急回復し、半年以内にピークを奪回した。
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