第二次世界大戦末期の1944年7月、アメリカ・ニューハンプシャー州ブレトンウッズで連合国44ヵ国が通貨・金融問題について協議し、戦後の国際通貨体制を構築する「ブレトン・ウッズ協定」を締結しました。この協定にもとづき、米ドルを基軸通貨とした固定為替相場制が採用され、各国通貨はドルに対し固定相場(平価)で維持されることになりました。ドルは「金1トロイオンス=35米ドル」の公定価格で金と兌換される(金1オンス=35ドルに固定)ことが決まり、いわば「金・ドル本位制」が導入されました。これによって自由貿易の拡大と世界経済の安定化を目指し、西側諸国の経済復興を支える体制が生まれました。
歴史的背景
- 世界恐慌と保護主義の反省:1929年の世界恐慌以降、各国は自国通貨の切り下げや高関税で自国内優先の政策を進め、貿易は縮小して経済緊張が高まりました。このような閉鎖的な経済政策と通貨切り下げ競争が第二次世界大戦の原因ともされ、戦後はこれを繰り返さない仕組みづくりが求められました。
- ブレトン・ウッズ会議(1944年):戦争終結が見通せる1944年7月、米国ニューハンプシャー州のブレトンウッズ・ホテルに連合国の通貨担当者44ヵ国が集まり、国際通貨基金(IMF)協定と国際復興開発銀行(IBRD=世界銀行)協定を含む国際通貨体制の枠組みを協議・合意しました。この会議にはイギリスやソ連なども参加しました(ソ連は調印するも批准せず離脱)。会議終了後、1945年末にIMFとIBRDの国際条約が発効し、1947年には本格的に体制が発足しています。
- 自由貿易体制の整備:通貨体制と並行して貿易自由化も重視され、1947年には「関税と貿易に関する一般協定(GATT)」が発効しました。加盟国は貿易障壁の低減や多角的貿易交渉を通じて関税を削減し、自由貿易体制の下で経済発展を目指すことを確認しました。
金とドルの交換比率
- 金1オンス=35ドル:ブレトン・ウッズ体制では、米ドルと金の間の交換比率を「金1トロイオンス(約31.1グラム)=35米ドル」に固定しました。この比率は協定の公定価格とされ、アメリカ財務省が各国中央銀行からの兌換要求に応じる形で担保されました。
- ドルの金兌換保証:当時の国際規則では、各国中央銀行は公式準備として保有する米ドルを必要に応じてアメリカ政府に引き渡し、金と交換することができました。すなわち「1ドル=約0.0286トロイオンスの金」に相当する保証があったことになります。この金本位の仕組みで、各国通貨の価値はドルを介して間接的に金に裏打ちされました。
制度の基本構造(固定為替相場制)
- 固定相場制の仕組み:各国は自国通貨と米ドルの公定為替レート(平価)をIMF協定にもとづき設定し、これを維持する義務を負いました。相場変動を±1%以内に抑えることが原則とされ、為替介入などでレートを安定させました。
- 平価調整の仕組み:経済状況の変化で均衡が崩れた場合、各国政府はIMFの承認を得て通貨の切り下げ(対ドル安)や切り上げ(対ドル高)を行うことができました。ただし、協定上は原則として構造的均衡に問題がない限り平価変更は制限されており、頻繁なレート改定は認められていませんでした。
- 資本移動の取扱い:ブレトン・ウッズ協定では、投機的な短期資本移動による相場変動の抑制のため、各国が必要に応じて資本流出入に対して規制(管理)をかけることが認められました。このため固定相場制下でも、各国は自国経済の安定を優先して資本規制を用いることができる柔軟性がありました。
- 通貨の基軸性:米ドルは世界の基軸通貨として中心的役割を果たしました。IMF協定では米ドル以外に金も準備資産とされましたが、実質的には米国の経済規模と金準備高を背景に、国際決済の大部分はドルで行われました。
国際機関の設立と役割
- 国際通貨基金(IMF):IMFは1945年12月に発足し、加盟国(当初44ヵ国)を通貨安定と国際収支均衡の監視・支援機構として設立されました。加盟国には出資額に応じた加入枠(クォータ)が割り当てられ、IMFは各国の経済・金融政策や為替相場を監視するとともに、為替危機や収支悪化時の短期融資を行います。加盟国は必要に応じてIMFから資金を借り入れ、自国通貨の平価維持や貿易決済資金に充当できる仕組みです。また、為替平価の変更にはIMF理事会の承認が必要であり、これにより協調的な相場調整が図られました。
- 国際復興開発銀行(IBRD/世界銀行):IBRD(通称・世界銀行)もブレトン・ウッズ協定で設立され、戦後の復興と途上国開発を目的に長期資金供給を行う機関です。加盟国は出資し、世界銀行は融資と技術支援を通じて被害国の復興やインフラ整備、経済開発計画を支援しました。
- 自由貿易協定(GATT):通貨体制と並行して、1947年にGATTが成立しました。GATTでは関税引き下げや非関税障壁撤廃を通じ、加盟国が多角的に自由貿易を推進することを目指しました。ブレトン・ウッズ体制では通貨相場の安定を前提に、こうした自由貿易体制の整備も経済成長に重要と位置づけられていました。
まとめ
ブレトン・ウッズ体制は、戦後の国際経済の安定を図るために米ドルを基軸とした固定為替相場制を敷き、金1オンス=35米ドルの金・ドル本位制により各国通貨の価値を裏付ける仕組みです。これにより各国通貨はドルに対して固定され、IMFや世界銀行の設立で融資・監視体制が整えられました。自由貿易推進のためGATTも同時期に策定され、世界経済の復興と発展を支える体制が築かれました。本体制は米国の金兌換停止(ニクソン・ショック、1971年)まで維持され、以降は変動相場制へ移行しました。
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