積極財政と財政健全化

日本経済に関する議論は、長引く低成長と人口減少、高齢化、巨額の債務残高、円安下でのインフレといった複数の矛盾を抱えています。このテーマを弁証法的に考察するため、積極財政を推進する立場(テーゼ)と財政健全化や構造改革を重視する立場(アンチテーゼ)を対比させ、両者を統合する観点(総合)を提示します。

テーゼ:積極財政と成長投資の重要性

最近の政策議論では、平成期に続いた新自由主義的な「小さな政府」と規制緩和に偏った改革から脱し、「官民連携の成長投資」へ転換すべきとの主張が高まっています。この立場では、以下の点が強調されます。

  • 社会課題解決型の投資:防災・国土強靱化、少子化対策、グリーン・トランスフォーメーション、コンテンツ産業支援、経済安全保障など、民間だけでは供給しにくい分野に政府が積極的に投資し、資本ストックと付加価値を高めるべきだという考えです。
  • 基礎的財政収支(PB)から純債務指標への転換:国債の償還費や利払費を除いた基礎的経費を税収で賄うという従来のPB黒字目標は、将来の投資を圧迫し、潜在成長率の低迷をもたらしたと批判されています。代わりに政府純債務残高のGDP比やネット債務対GDP比を指標とし、長期金利より名目成長率が高い間は積極的に投資を拡大すべきとされます。
  • 名目成長とインフレの好循環:国内の需要不足を補うためにネットの資金需要をマイナスに誘導し、実質賃金を押し上げながら2%程度の物価上昇を維持することで企業の投資意欲を刺激し、賃金と物価が相互に上昇する高圧経済を目指します。特に設備投資のGDP比が過去の天井である17%弱を超えるまでは、金融政策も早急な引き締めを避けるべきだと強調されます。
  • 投資支出を除いた“コアPB”の導入:将来価値を生む投資的経費を国債で賄い、経常的な支出だけを税収等の範囲で抑える「コアPB」という指標に切り替えれば、成長投資を阻害せずに財政規律を守れると提案されています。日本には建設国債という枠組みがあり、用途の線引きも比較的明確と主張されます。

アンチテーゼ:財政健全化と構造改革の必要性

一方、積極財政だけでは解決できない問題を重視する声も根強く存在します。主な論点は次の通りです。

  • 高債務と金利上昇リスク:日本の公的債務残高はGDPの2倍を超え、主要先進国の中で最も高い水準です。国際機関は、2023年時点で227%だった総公的債務対GDP比が2026年にかけて213%程度に改善する一方、金利上昇によって2030年までに利払い費が倍増する可能性を警告しています。財政余地を確保するには、歳出削減や増税を伴う中期的な財政再建計画が必要です。
  • 基礎的財政収支の改善ペース:OECDは、追加的な補正予算がない場合、基礎的財政赤字が2024年のGDP比1.5%から2026年には0.6%に縮小すると見込んでいます。これは一定の財政緊縮と税収増を前提としており、大規模な追加歳出は悪影響を及ぼす可能性があると指摘されます。
  • 物価高と家計への負担:近年のインフレは主に輸入価格上昇と供給制約によるもので、賃上げの追いつきが遅く実質賃金は伸び悩んでいます。利上げが家計の金利収入を増やすとの主張もありますが、多くの世帯は住宅ローンの変動金利返済を抱え、利上げは繰り上げ返済を促し消費を冷やす恐れがあります。
  • 構造改革と労働供給の拡大:IMFやOECDは、日本経済の潜在成長率の低下要因として、労働力不足や資本蓄積の停滞、革新力の弱さを挙げています。高齢者・女性・外国人労働者の参加促進や、スタートアップ支援、研究開発税制の見直し、大学と中小企業の連携強化など供給側改革が不可欠とされています。消費税の段階的引き上げや各種税控除の縮小を財源とする提案もあります。
  • 財政規律と信認:補正予算の濫用は資源配分の効率性と透明性を損ない、市場の信頼を弱めます。大規模な投資であっても財政規律を欠けば、国債金利の急騰や円急騰・急落を招き、民間投資や雇用に悪影響を及ぼす危険があると指摘されています。

総合:バランスの取れた新しい財政・金融戦略

弁証法的に両者の主張を総合すると、以下のような道筋が考えられます。

  1. 成長促進と財政規律の両立
    新自由主義的な「小さな政府」ではなく、官民連携による社会課題解決型の投資を拡大する。しかしその際、投資を無制限に膨張させるのではなく、投資効果や収益性を評価しながら、経常的な支出は税収の範囲内に抑える「コアPB」や純債務残高の管理を組み合わせることで、財政規律と成長投資を両立させる。
  2. 中期的な財政フレームワーク
    将来の債務残高対GDP比の安定的な引き下げを目標としつつ、医療・介護費の伸びや防衛費増額、グリーン投資など長期的な支出を織り込んだ中期財政計画を策定する。補正予算は自然災害や外的ショック時に限定し、日常的な景気対策に使わない。
  3. 投資の質と対象を精査
    単なる公共事業のバラマキではなく、デジタル・グリーン・防災・教育・子育てなど将来の生産性や生活の質を高める分野に重点配分する。公共投資の評価を透明化し、民間の創意工夫を引き出す枠組みを整備する。
  4. 供給側改革と労働力の確保
    財政出動とともに、潜在成長率を押し上げる構造改革を推進する。高齢者や女性の就労支援、技能再研修、移民制度の改善、研究開発支援、規制改革などを進めることで、労働力不足と生産性低迷を克服し、設備投資が自律的に増える環境を整える。
  5. 金融政策との協調
    設備投資サイクルが過去の天井を超え、持続的に設備投資比率が上昇するまで、金融政策は急激な引き締めを避ける。インフレ率が目標に定着し、労働市場が過熱しない範囲で段階的に金利を正常化しながら、投資環境を支える。

最後に要約

  • 積極財政派は、新自由主義的な小さな政府からの転換を提唱し、官民連携による成長投資を重視する。プライマリーバランス目標に縛られず、純債務残高やコアPBなどストック重視の指標に切り替え、社会課題解決型投資で実質賃金と物価を好循環させるべきだと主張する。
  • 財政健全化派は、高債務と人口高齢化による財政負担増を踏まえ、基礎的財政収支の改善と中期的な財政再建計画を優先すべきだと訴える。拡張的財政は利払い費や円急落のリスクを高め、家計の負担増や民間投資の抑制を招く可能性がある。
  • 総合的な視点では、成長投資の必要性を認めつつ、投資対象の選択と財政フレームワークの整備、供給側改革の推進、金融政策との協調を組み合わせることで、持続的な経済成長と財政健全化の両立を図る。このバランスの取れたアプローチが、日本経済の次の一手として求められている。

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