主題
世界恐慌時に英国や日本が相次いで金本位制を停止した理由として、「各国の外貨準備に占める金の割合が減り、通貨の発行量が低下したため」とする見方がある。この論点を巡って金本位制のメカニズムや各国の政策を検討し、反対意見を参照しながら弁証法的に論じる。
正テーゼ(命題)
- 金準備率と通貨供給の制約
金貨本位制では銀行券と金貨の兌換を認めていたため、景気拡大期に人々が手元資金を増やすと民間銀行は中央銀行から金貨・銀行券を引き出し、その結果中央銀行の金準備率が低下する。金準備率が一定水準を下回ると中央銀行は公定歩合を引き上げるなど金融引き締め策で金準備を防衛せざるを得ず、現金通貨供給量が金の総量によって規定される。この仕組みは金準備が減少すると通貨供給を収縮させ、デフレを引き起こす。 - 国際金為替本位制下の金不足と金節約政策
第一次世界大戦後は金を多く保有する米国が早く金貨本位制へ復帰したのに対し、欧州は戦時インフレーションで紙幣流通が増え相対的に金不足になった。そのため各国は金貨流通と国内兌換を制限し、金地金本位制・金為替本位制といった制度で金を中央銀行に集中させ、国内準備としての金を節約して対外準備を増強した。しかしこの制度でも金準備の減少が続けば貨幣供給は縮小し、景気悪化を招く。 - 外貨準備の減少による防衛策
1920年代後半の日本は戦後の貿易黒字が解消され、1920年末の正貨(金・外貨)と外貨準備は2,179億円から1928年末には1,199億円へと減少した。当時は金本位制復帰を議論していたが、金融当局は金準備が十分でないと判断し、復帰を延期していた。1931年に英国が金本位制を離脱すると、国際投資家は日本も外貨準備を守れないと見て大量の円売り・ドル買いに走り、金流出が加速した。 - 金準備の減少と貨幣の発行制限が金本位制停止を促した
金本位制では中央銀行が保有する金準備の何倍まで通貨を発行できるかが決まっており、金準備が減少すれば法定上の通貨発行余地も縮小する。大恐慌期には金不足から「金準備率が低下すると金融引き締め政策を採らざるを得ない」とされ、景気悪化下でさらなる引き締めを強いられた。英日両国とも金準備の低下と通貨供給の収縮が続いたため、金本位制の維持が困難になったという説明が生まれる。
以上の観点から、金準備率や貨幣供給の減少が金本位制停止の主因であるとする見解が成り立つ。
反テーゼ(反論)
- 金準備は十分に残っていた
英国が金本位制を停止した1931年、イングランド銀行はなお1億3000万ポンド以上の金準備を保有しており、金兌換要求への対応には十分だった。実際にはポンド売りへの対処、つまり対外収支の悪化とポンド暴落を止めるための措置が主眼であり、金準備の枯渇が原因ではなかった。金本位制は通貨の信認を保証すると期待されていたが、投機的な資金移動を抑える機能を持たず、相場安定には役立たなかった。 - 主因は国際収支危機と投機による資本逃避
世界恐慌が深刻化した1931年、ドイツなど中央ヨーロッパで銀行危機が起き、ドーズ案に基づく賠償支払いが中断された。英国では輸出不振と失業増加によって経常収支が悪化し、ポンド暴落を予想した投資家がポンドを売却した。イングランド銀行は金準備を維持しつつも、ポンド売りに対処するため公定歩合引き上げや外貨借入を行ったが効果がなく、9月21日に金兌換を停止して変動相場制に移行した。つまり、金準備の割合よりも資本逃避と国際収支危機が主要因であった。 - 日本の金流出は政治事件と海外情勢に起因
日本は1930年1月に金輸出禁止を解除して復帰したが、その直後に世界恐慌が本格化し、国内はデフレと高金利に苦しんだ。1931年の満州事変と英国の離脱で「円はすぐに切り下げられる」との観測が広がり、投資家が円を売ってドルを買ったため金流出が急増した。財務省史料によれば、犬養首相のもとで高橋是清蔵相が就任した12月13日に直ちに金輸出を再禁止し、金兌換中止と外国為替の管理に踏み切った。これは金準備率の低下ではなく、国際政治と相場不安への対処だった。 - 金本位制の構造がデフレを悪化させた
ベルナンキとジェームズは、金本位制のもとでは多くの国の金準備のうち自由に使える部分が少なく、例えば1929年の41か国合計金準備9378百万ドルのうち「余剰」準備は2178百万ドルしかなかったことを指摘する。各国は最低準備率を気にしており、金準備の10%程度しか余裕がないと金防衛のために通貨を引き締めざるを得なかった。40%準備制下で金流出が起きれば、通貨供給の縮小は外部流出の2.5倍となり、金融収縮とデフレを招いた。この構造的不均衡が世界恐慌を深化させ、各国が金本位制を離脱して通貨を切り下げる原動力となった。 - 離脱後の政策自由度と景気回復
金本位制を離脱した国々は変動相場制の下で通貨を切り下げ、金融緩和と財政拡張を実行した。日本では高橋是清による円切り下げと財政出動・金利引き下げ(Takahashi Economic Policy)が1932年以降の景気回復をもたらし、英国でもポンド切り下げと「cheap money policy」が輸出競争力の回復と失業率の低下に寄与した。これらは金準備率の制約を取り払うことで可能になった政策であり、金本位制からの離脱が経済回復の条件だったとされる。
総合(統合的見解)
金本位制下では金準備と通貨発行量の比率が法的に定められており、金準備の減少は中央銀行に通貨供給の抑制を迫る。世界恐慌期には、金準備が十分でも準備率の低下を恐れて金融引き締めが行われる構造的要因があり、金流出が起こると内外金利引き上げや緊縮財政で景気を悪化させる「デフレスパイラル」を招いた。この意味で金準備率の低下と通貨供給の収縮が各国経済を圧迫し、金本位制の持続を困難にしたというテーゼには一理ある。
しかし、1931年の英日両国の離脱を促した直接要因は国際収支危機や政治事件に伴う投機的な資本逃避であり、金準備の絶対的不足ではなかった。英国は十分な金準備を保持していたが、ポンド暴落を防ぐために金兌換を停止し、日本も満州事変と英国離脱に伴う円売り・ドル買いに直面し、金準備の防衛よりも為替安定と政策転換が目的だった。
さらに、金本位制の固定為替制度は各国の政策余地を奪い、世界的な金融収縮を誘発した。当時の金準備の多くは「余剰」ではなく、わずかな金流出で通貨供給が大幅に縮小した。金本位制が持つ構造的な不安定さが世界恐慌を悪化させ、各国が相次いで制度を放棄したことが、離脱の根本的な理由である。
要約
世界恐慌期に英国と日本が金本位制を停止した背景には、金準備率の低下と通貨発行量の制約という制度的な弱点が存在した。金本位制下では金準備の減少が即座に通貨供給の収縮を引き起こし、デフレを促す。しかし、1931年に金本位制が停止された直接の契機は、外貨準備の枯渇ではなく、世界恐慌に伴う国際収支の悪化、投機的な資本逃避、政治的事件といった外部ショックであった。英国は十分な金準備を持ちながらポンド急落を抑えられず離脱し、日本も満州事変と英国離脱に伴う円売り攻勢に対応するため高橋是清が金輸出を再禁止した。金本位制を離脱したことで両国は為替切下げと金融緩和を実施し、景気回復への道を開いた。したがって、金準備率の低下は危機を深める一要因ではあったものの、金本位制停止の主因は国際収支危機と制度の硬直性に起因する経済の深刻な悪化であった。

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