戦後国際金融体制の変遷

第二次世界大戦後、ソ連やイギリスは国力を消耗し、経済・軍事力に余力を残したアメリカが主導権を握った。1944年のブレトン=ウッズ会議では、各国通貨とドルの交換比率を決め、ドルを金と交換可能とした固定相場制の金・ドル本位制が成立した。この仕組みは、米国の経済力と金保有量を支柱として世界貿易を安定させることを目的とし、戦後復興や国際分業の拡大に貢献した。

thesis: 金・ドル本位制の成立
ブレトン=ウッズ体制の下で、各国通貨はドルと固定的に結び付けられ、ドルは1オンス35ドルの固定価格で金と交換できるという前提があった。ドルを基軸通貨とすることで、国際決済が容易になり貿易の拡大が可能になった。また、戦後の世界経済はアメリカの供給するドルによって流動性を得た。戦勝国であるアメリカは、軍需や復興援助を通じて世界経済にドルを供給しながら、自国の経済成長も維持した。

antithesis: 体制の矛盾とドル=ショック
しかし、この体制には内在的な矛盾があった。ドルは世界中に供給される一方で、その価値を裏付ける金は有限である。1960年代に入ると、米国の社会保障費やベトナム戦争の戦費増大に伴い財政赤字と貿易赤字が拡大し、国外へのドルの流出が加速した。ヨーロッパや日本の経済復興による競争激化も、米国の貿易収支を悪化させた。市場ではドルの過剰発行に対する不信感が高まり、為替市場ではドル売りが続いた。ドルを支える金保有高がドル供給に比べて不足するという矛盾が顕在化したのである。この矛盾の爆発が1971年の「ドル=ショック」である。ニクソン大統領はドルと金の兌換停止を発表し、ドルの価値を防衛するために輸入課徴金を導入するなど新経済政策を打ち出した。ドルの金兌換停止は、金・ドル本位制が持つ“金が有限である”という前提を崩し、体制の存立基盤を否定した。この措置は国内インフレや雇用確保を優先する側面もあり、固定相場制を維持するためにアメリカが自国経済の自由度を犠牲にしていたという矛盾が浮き彫りになった。

synthesis: 変動相場制への移行と新たな世界
ドル=ショック後、各国はドルと金の交換停止に応じざるを得ず、1971年のスミソニアン協定ではドルの切り下げと新しい固定相場を試みたが、投機的な圧力によって長続きしなかった。1973年には主要国が変動相場制へ移行し、通貨価値は市場の需給によって決まる体制が定着した。この変化は、ドルを金と結び付けるという制約を取り払い、各国が自国の経済状況に応じた金融政策を選択できる柔軟な仕組みを生み出した。一方、世界経済の安定を担保してきた「金」という物的基準が失われたことで、資本移動や為替の変動性が高まり、新たな金融不安定性も生じた。

まとめ
第二次世界大戦後に成立した金・ドル本位制は、アメリカが提供するドルを国際通貨として用い、戦後復興と国際貿易を支えた。しかし、ドル供給の無制限な拡大と金保有量の有限性という内在的矛盾は、1960年代の米国赤字やベトナム戦争により深刻化し、1971年のドル=ショックで表面化した。結果としてブレトン=ウッズ体制は崩壊し、各国は1973年から変動相場制へと移行した。この過程は、国際金融制度の発展が、世界経済の現実と矛盾を経て新たな秩序へと転化していく弁証法的な動態を示している。

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