1ドル=360円時代と輸入品高騰

戦後インフレの収束と経済再建を目的として、1949年2月に「ドッジ・ライン」と呼ばれる政策パッケージが採用された。公定歩合引き上げや政府支出の大幅削減、日銀による国債引き受けの禁止などに加えて、1ドル=360円という単一固定相場が設定され、以後1971年まで維持された。当時の新聞には「輸入品は一割程度値上がりし家計を圧迫する」といった見出しが踊り、円の大幅安が物価高を招くのではないかという疑問が存在した。

正(テーゼ)―輸入品高騰は物価高を引き起こすはずだった

日本は資源小国であり、石炭や石油、食料や繊維原料などを大量に輸入して国内で加工し、輸出するという産業構造を持つ。為替を1ドル=360円に固定するということは、米国などからの輸入価格が旧レートに比べて割高になることを意味し、輸入原材料の上昇分は国内製品の価格へ転嫁される可能性が高い。また、統制価格の撤廃や補助金削減が進めば市場価格が急騰し、賃金や物価が連鎖的に上昇するという「賃金‐物価スパイラル」を生む可能性があった。輸入物価の上昇が家計を直撃し物価高につながるというのが、当時一般的に懸念されたシナリオである。

反(アンチテーゼ)―実際にはインフレは抑制された

しかし現実には、1ドル=360円の採用後に物価は急騰するどころか、1949年後半から1950年にかけてデフレ傾向が現れ、「ドッジ不況」と呼ばれる小規模な不況を経験した。物価高が抑えられた背景には、以下のような複合的な対策があった。

  1. 金融・財政引き締め…ドッジ・ラインは、戦後の財政赤字と過剰流動性がもたらした激しいインフレを沈静化することが目的であり、均衡予算の徹底と日銀引き受けの禁止、貸出金利の引き上げによって貨幣供給量を大幅に絞った。需要が抑えられれば、輸入価格の上昇がそのまま消費者物価に反映しにくくなる。
  2. 輸入補助金と物価統制…占領当局と日本政府は貿易特別会計を通じて輸入原材料や食料に補助金を注入し、国内販売価格を国際価格より低く抑えた。たとえば、小麦や砂糖、綿花などは政府が輸入し、政府定価で民間に販売したため、為替差損分が政府負担となった。この“隠れ補助金”により、原料価格高騰が家計や中小企業に直ちには転嫁されなかった。また統制価格や配給制度も残っており、輸入品価格の上昇が消費者物価に波及する速度を緩めた。
  3. 輸入構成と国内供給の変化…この時代の輸入の多くは食料や原材料であり、すぐに消費財として市場に並ぶ完成品の輸入は限定的だった。国内企業は代替品の国産化を進め、家電や繊維などの生活必需品の生産を増加させた。朝鮮戦争特需による輸出拡大が生産設備への投資を促し、生産性の上昇がコスト増を吸収した面もある。
  4. 賃金抑制とデフレ圧力…インフレ抑制のため賃金の大幅な引き上げは抑制された。需要減退と設備投資の延期により、むしろ物価下落圧力が強まり、失業率が上昇した。結果として、輸入物価の上昇分を吸収する形で利益率の圧縮が進んだ。

合(ジンテーゼ)―輸入品高騰と物価の関係は二重構造だった

1ドル=360円という為替設定が直ちに物価高を招かなかったのは、厳しい金融・財政引き締め策と補助金によって輸入価格上昇を消費者から遮断したからであり、統制経済から自由経済への移行期ならではの特殊な条件が整っていたためである。一方で、補助金や統制価格は貿易特別会計の赤字として蓄積し、将来の財政負担となった。また、本来なら輸入価格上昇が示す希少価値信号が十分に働かなかったために、産業構造調整が遅れ、生産性向上を求められる圧力が弱まった面も否定できない。

1960年代になると、高度経済成長に伴う需要増加と産業の自律化により、物価水準は緩やかに上昇したが、それは主に国内需要の拡大と賃金上昇に起因するものであり、輸入物価の上昇が直接的に主因となったわけではなかった。ドル=360円という固定相場は輸出企業にとって有利に働き、輸出競争力の向上と雇用拡大をもたらした反面、内需や賃金の抑制を通じて家計には負担を強いた。最終的に1971年のニクソン・ショックで固定相場制が崩壊すると、補助金制度は徐々に整理され、為替レートも実勢に近づくことで輸入価格と国内物価の連動性が高まり、貿易収支や物価の動きが市場要因に左右されるようになっていった。

要約

  • 1949年に設定された1ドル=360円の固定相場は、輸入品の価格を割高にし、当初は物価高を招くと予想された。
  • 実際には、ドッジ・ラインによる緊縮財政と金融引き締め、輸入品への補助金、物価統制、輸入構成の特殊性などにより、輸入価格上昇が消費者物価に波及しにくく、むしろ短期的にはデフレ圧力が強まった。
  • 補助金や価格統制は“隠れ負担”として財政にのしかかり、産業構造の調整を遅らせる要因にもなったが、輸出競争力を高め高度成長への足場を築いた。
  • 1960年代後半からは国内需要の増大と賃金上昇により物価は緩やかに上昇したが、この時代の物価高の主因は輸入品高騰ではなく、国内景気の拡大である。

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