日本の金融ビッグバンについて

日本の金融システムは戦後長く銀行優遇・分割主義が続き、銀行と証券会社の業務は厳格に分けられ、利率や為替も政府が管理していました。1996年、橋本龍太郎首相がロンドンの「ビッグバン」にならい、日本の金融市場を根本的に改革する「金融ビッグバン」を打ち出し、2001年までに完了すると宣言しました。改革の旗印は「自由・公正・グローバル」であり、銀行・証券・保険の垣根を越えた競争を促し、東京を国際金融センターに育てることが目的でした。

政策は四つの柱から構成されます。第一に資産運用手段の拡充で、投資信託の店頭販売や新商品の導入、デリバティブ取引の自由化によって顧客の選択肢が広がりました。第二に仲介機能の強化で、銀行・証券・保険会社の相互参入や証券会社の登録制への移行により、新規参入やオンライン取引が拡大しました。第三に多様な資金調達市場の創出で、株式の店頭取引解禁や電子取引システム導入、新市場(東証マザーズやナスダック・ジャパン)によってベンチャー企業の資金調達手段が増えました。第四に信頼性確保とディスクロージャー強化で、インサイダー規制や情報開示基準の引き上げ、不良債権情報の開示義務化、預金全額保護措置の整備などが行われました。

こうした改革により、新規参入や外資系金融機関の進出が進み、手数料自由化やオンライン取引の普及で証券取引量が拡大し、競争が活性化しました。期待された成果として、国際機関は日本の金融市場が米国のようにオープンで競争的になり、投資家に多様な商品と高利回りが提供されると予測しました。

一方で、改革の限界も浮き彫りになりました。ブルッキングズ研究所などは、リスク分析より人間関係を重視する日本的慣行や情報開示の不足、安定株主構造が残っており、金融機関が高度な市場に適応できないと指摘しました。アメリカ司法省の演説では、官僚主導の部分的な自由化が既存業者の保護に終始し、消費者利益や競争促進が軽視されたと批判されています。さらに、バブル崩壊後の不良債権問題が深刻で、家計はリスクを避け預金や保険を好み、複雑な金融商品の需要は限られていました。

研究では、ビッグバンの後に所得上位層の所得シェアが大きく増え、トップ10%の所得が約15%増加したことが報告され、金融自由化が格差拡大につながる可能性が示唆されています。また、連邦準備制度理事会の報告書は、日本の企業統治が内部者支配・機関投資家の弱さ・買収市場の不在という特徴を持ち、これらが株主利益の向上を妨げているとして、金融近代化だけでは資本収益率向上は難しいと述べています。

総括的には、日本銀行の研究が指摘するように、金融ビッグバンは法的・行政的な障壁を取り除くことには成功しましたが、慣行の継続や経済の逆風により目標達成は限定的でした。その反省から、2014年以降にスチュワードシップ・コードやコーポレートガバナンス・コードが導入され、企業統治改革や資産運用立国を目指す政策が進んでいます。こうした後継改革は、規制撤廃(テーゼ)と旧制度の矛盾(アンチテーゼ)から生じたもので、弁証法的に見れば金融制度が成熟へ向けて進化する過程と捉えられます。

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