ジョージ・ソロス氏の見解要約: 輸出国依存の終焉と米国覇権の終わり

背景と問題提起

投資家ジョージ・ソロス氏の著書『ソロスの錬金術』から、1987年のブラックマンデー(株式市場大暴落)に関する記述が紹介されています。この記述では、アメリカと輸出国(当時は日本)の相互依存関係が崩壊したことが、アメリカ経済とドルの行方にどう影響したかが分析されています。ソロス氏の解説は、現在の米国経済(トランプ政権下の政策を含む)を考察する上でも重要な示唆を与えています。

1987年ブラックマンデーとドル政策の転換

レーガノミクス(レーガン政権の経済政策)下の1980年代、アメリカはインフレ沈静後の高金利・ドル高の環境にありました。しかし強すぎるドルは貿易面で不都合を生み、レーガン政権は1985年のプラザ合意によって各国と協調しドル安誘導に踏み切ります。その結果ドルは下落しましたが、ドル安が行き過ぎて今度は株価まで下落を始め、1987年にブラックマンデーが起こりました。当時の米政府は次の二者択一を迫られます。

  • ドルを防衛するか株価を支えるか:ドル安を食い止めるため利上げに動くのか、それとも利下げで株価下落を防ぐのかという選択です。

ブラックマンデー直後、米国政府は当初ドル安を放置する姿勢でしたが、「ドルが下落すれば株も下落する」という市場のメッセージに気づき方針を転換しました。以後、ドルと株式市場は連動するようになり、行き過ぎたドル安政策は撤回されます。各国はプラザ合意後にルーブル合意(ドル安から一転してドルを支える合意)を結び、ドル相場の安定を図りました。

アメリカの双子の赤字と日米相互依存

ブラックマンデーの背景には、アメリカの巨額な貿易赤字と財政赤字(双子の赤字)という根本問題がありました。本来であれば赤字の拡大はドル安要因ですが、当時は高金利と景気拡大で海外資金を引き寄せ、無理やりドル高を維持していたのです。しかしドル高を支えたのは金利だけではありません。そこには日本との相互依存関係が存在しました。

  • 日本の役割:日本は対米輸出による巨額の貿易黒字を背景に、稼いだドルで米国債を大量に購入し続けました。
  • アメリカの役割:アメリカは日本から資金を借りる形でその米国債発行を支えてもらい、その資金で日本製の自動車などを買っていたことになります。
  • 利益の循環:日本にとっても、ドル資産を売却せずにドル高を維持することは有利でした。ドル高のおかげで日本製品はアメリカ市場で競争力を保ち、アメリカは日本企業にとって魅力的な輸出先であり続けたのです。

このように、日本の輸出好調と対米投資(米国債購入)がアメリカの双子の赤字を間接的にファイナンスし、日米双方が利益を享受する相互依存の関係が成立していました。

プラザ合意による依存関係の変調

しかし、この相互依存は永遠には続きません。アメリカ側の不満(巨額の貿易赤字への批判)から、1985年のプラザ合意で**意図的なドル高是正(ドル安誘導)**が行われ、日米の関係は変調し始めました。当時のレーガン政権は、ドル高是正がそれまで享受していた日米依存関係のメリットを帳消しにしかねないことを理解していませんでした。結果としてドル安が進み、日本側も輸出環境の悪化に直面します。

では本来どのように解決すべきだったのか。ソロス氏は日本企業が生産拠点をアメリカに移すことが根本策だと指摘しています。実際、ブラックマンデー前から既に多くの日本企業(自動車メーカー等)が米国やメキシコに製造子会社を設立し始めていました。この動きは株価とドルの急落によって一層加速します。ドル安・株安によりアメリカの資産は日本企業にとって買収しやすくなり、逆に「日本で生産して輸出する」という従来モデルの魅力が低下したためです。つまり、日本が現地生産にシフトすることこそが、長期的にはアメリカの貿易赤字解消につながる最終解決策になるというのがソロス氏の見立てでした。これは奇しくも現代のトランプ大統領が各輸出国に求めていること(米国内への生産移転)と一致しています。

日本経済の転換と米国への影響

事実、ブラックマンデーから2年後の1989年に日本のバブル経済は崩壊し、日本は輸出一辺倒の成長モデルから転換を迫られました。日本企業は海外生産や内需拡大へと戦略を転換し、結果として米国債を買い支える余力も減少していきます。日本という強力なドル資産の買い手を失ったアメリカでは、本来であればドルの自然な下落を受け入れざるを得ず、ドル価値の低下とともに経済規模も縮小し、ソロス氏の言う通り「魅力の薄いマーケット」へと衰退していく運命でした。ところが、現実にはドルは大きく下落せず、アメリカの覇権も直ちには揺らぎませんでした。

その理由は、日本に代わって同様の依存関係を引き継いだ更なる大国が現れたからです。

中国の台頭とドルの支え手

1990年代以降、中国が驚異的な経済成長を開始し、日本を遥かに上回る規模の経済大国へと躍進しました。中国は巨額の対米貿易黒字を稼ぎ出し、その蓄えたドルで米国債を大量購入するようになります。つまり中国が新たなドル資産・米国債の最大の買い手となり、結果としてドルの需要を下支えしました。これにより日本が退いた後もドルは大きく崩れず、アメリカの経済的地位(ドルの基軸通貨としての信認や覇権)は維持されたのです。ソロス氏の1987年時点での予想(「ドル安とともに米国衰退」)が現実と異なったのは、彼が中国の台頭というイレギュラーな要因を予見できなかったためと言えるでしょう。当時はまだ日本のバブルさえ崩壊しておらず、「次に世界一の経済大国になるのは日本だ」と多くが信じていた時代でした。中国が日本を追い越し、米国債の買い手となるなど想像し得なかったのです。

現在の課題: 中国依存からの脱却とそのリスク

それから数十年を経た現在(2020年代)、アメリカは再び大きな転換点に差し掛かっています。トランプ前大統領をはじめとする米国の政策当局は、中国との貿易および金融面での過度な相互依存を断ち切ろうとする動きを強めました。これは1980年代に米国が日本との依存関係を是正しようとした状況に類似しています。しかし、この「中国離れ」には深刻な懸念が伴います。ソロス氏の分析と歴史の教訓から浮かび上がる2つの問題は以下の通りです。

  • ドル資産の買い手問題: もし中国がドル資産や米国債の購入を縮小・停止した場合、その代わりを担う存在が見当たりません。当時の日本に続く「第2の中国」のような急成長国が都合よく現れる保証はなく、候補としてしばしば名前が挙がるインドでさえ、仮に中国並みの成長を遂げても米国債を同規模で買い支えるかは未知数です。
  • 米国債残高の肥大化: 1980年代と比べ、現代のアメリカは桁違いの政府債務を抱えています。ドルと米国債が買い手不足に陥った場合、その信用低下による金利上昇や資産価格の下落など経済への悪影響は、当時とは比べものにならない規模で押し寄せる可能性があります。

実際、一部の市場専門家はこのシナリオを現実味あるものと警告しています。例えば経済史家のラッセル・ネイピア氏は、「もし中国が米国との相互依存を解消すれば、世界的な米国株と米国債の大暴落が起こる」と予測しています。日本が役目を終えて手を引いたとき米国資産が下落運命にあったのを中国が救ったように、中国が退場すれば今度は誰もそれを救えない、という指摘です。

結論: 第二の支援国不在が示す米国覇権の危機

総じて、アメリカは過去に日本→中国と続いた輸出国からの資金供給という「延命措置」によって、巨額の赤字下でも覇権を維持してきました。しかし現在、**「第二の中国」**とも言うべき新たな資金供給国が現れる可能性は低いと見られています。トランプ政権が仕掛けたドル安誘導や貿易戦略は、下手をすれば買い手不在のままドルと米国債の価格下落(ひいては米国経済の凋落)を招きかねません。日本人が身をもって経験したように、通貨の衰退はその国の衰退を意味します。

ソロス氏の著書『ソロスの錬金術』におけるレーガノミクスとその後の洞察は、こうした現在の米国経済を分析する上で貴重な示唆を与えています。当時の教訓を踏まえれば、アメリカ覇権の行方を占う鍵は「誰がドルを支えるのか」という一点にあると言えるでしょう。ソロス氏の分析を未読の方は、一読して現在の状況に照らし合わせてみることをお勧めします。

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