大恐慌の発端となった1929年の暴落は、自動車を象徴とする技術革新とレバレッジ取引の拡大が招いた「熱狂」の帰結だった。当時はモデルTの大量生産や割賦払いの普及が、米国の庶民に自動車を行き渡らせる一方、信用取引による株式投機が広がった。多数の投資家が大きな利益を得ながらも、ハイレバレッジで巨額のポジションを持ったことが崩壊時に裏目に出て、多くの銀行家や実業家が破産へと追い込まれた。チャールズ・ミッチェルやジェシー・リバモアなどは好例だ。こうした歴史は、技術革新と信用膨張が結びついたときに金融システムが脆弱になることを示している。
一方、現代のAIブームも新しい技術と資本市場の熱狂が結びついており、バブルを警戒する声が多い。OpenAIやThinking Machinesに代表されるスタートアップが製品も顧客もない段階で巨額資金を調達したり、Metaがデータセンター建設に数十億ドルの借り入れを行ったりしている。ヘッジファンドのレバレッジは歴史的高水準にあり、銀行はプライベートクレジット経由で資金を供給している。AI関連銘柄がS&P 500の上昇を牽引しているものの、こうした資金の多くは循環的な取引やオフバランスシートの債務によって賄われ、投資家の期待を裏打ちする実体的なキャッシュフローはまだ限られているという批判もある。市場の集中度が高まる中、規律のないAI投資が崩れれば、マージンコールやファイアセールが連鎖して株式市場全体を揺るがす可能性が指摘される。AI関連投資がGDP成長の大半を占める状況は、AIブームへの過大な依存を意味し、ひとたび資金調達が滞れば景気後退が避けられないという懸念も強い。
このような危惧に対して、AIブームは単なるバブルではなく長期的なイノベーション投資だとする反論もある。過去のドットコム・バブルでは、多くの企業が倒れたもののAmazonのように長期的に飛躍した例があり、高値掴みでも長期保有すれば大きなリターンを得た投資家もいる。AI半導体を提供するNVIDIAやクラウドを担う大手企業は実際に高収益を上げており、生成AIの需要はビジネスプロセスの自動化や研究開発支援などで今後も拡大する可能性がある。総合的な研究では、ドットコム期の科学論文と株式市場の関係がAI時代には当てはまらず、科学的な出版活動からは「未曾有の形のバブル」であるか、もしくはそもそもバブルが存在しない可能性が示唆されている。投資が主として株式によって賄われる限り、バブルがはじけても社会的コストは限定的とする見方もあり、慎重な資本配分により技術の発展と経済成長を両立させるべきだという意見もある。
総合すれば、AIブームには確かに1929年と同様の熱狂やレバレッジの拡大が見られ、過剰な楽観がもたらす危うさを無視することはできない。しかし、1929年と異なり中央銀行や規制当局が金融システムの健全性を監視し、資本市場が成熟している点は重要である。AI技術そのものは長期的な価値を生む可能性を秘めており、適切に投資が行われれば社会的利益をもたらすだろう。投資家に求められるのは、ハイレバレッジの投機ではなく、実績や収益性に基づいた分散投資とリスク管理であり、政策当局は銀行の過度な信用供与や循環的な資金調達を抑制することが求められる。技術革新と投資熱狂の相互作用に対し、批判と擁護の双方を吟味することで、健全な成長と金融安定を両立させる道筋が見えてくる。
要約:
1929年の大暴落は自動車ブームと信用膨張が結びついた過熱相場が背景にあり、多くの投資家が破産した。現在のAIブームでも、製品のないスタートアップが巨額資金を調達し、ヘッジファンドや大手企業がレバレッジを高めるなどバブル的な兆候が強まっている。AI投資がGDP成長の大半を支える状況は危険であり、崩壊すれば金融システム全体に波及しかねない。一方で、AIは長期的な技術革新として経済に恩恵をもたらす可能性も高く、過去のドットコム期のように一部企業は長期的に飛躍するかもしれない。バブルか否かを断定するのは難しいが、過剰なレバレッジを避け、実体を伴う投資を重視することが重要である。
コメント