ニクソンショック後の10年間、金価格が上昇し続けた背景には、米国政権の政策と世界経済の変動が複雑に絡み合っていた。
まず1971年のドル=金兌換停止によって金価格は固定相場から解放され、市場で自由に値付けされるようになった。この新しい環境下で、ニクソン政権は雇用維持と景気刺激を優先し、ドル供給を増やしながら賃金・物価統制で物価を抑えようとした。しかし、固定相場からの離脱は金への需要を高め、ドルの膨張がインフレ圧力を強めると、1973年の第一次オイルショックで原油価格が四倍に跳ね上がり、物価上昇をさらに加速させた。安全資産として金を求める投資資金が流入し、金価格は急騰した。
フォード政権はインフレを「公敵第一号」と呼び、節約を呼びかけるWINキャンペーンを展開したが、根本的な対策は打てなかった。1979年の第二次オイルショックでエネルギー価格が再び高騰すると、インフレは11%を超え、失業率も上昇し、米国経済はスタグフレーションに陥った。この間、金はインフレと政治不安への避難先として人気を集め、1980年1月には約665ドル(現在のドルに換算して約3,400ドル)まで上昇した。
この矛盾を打破するため、カーター政権は1979年にポール・ボルカーをFRB議長に任命し、通貨供給量の抑制と高金利政策によってインフレ退治に踏み切った。ボルカーの強硬策は景気後退と高失業を伴ったが、インフレ率を急速に低下させた。1981年に就任したレーガン政権は減税・規制緩和の供給側政策を打ち出し、ボルカーの金融引き締めを支持した。インフレ率が下がりドルの信認が回復すると、金に退避していた資金は株式や他の資産に流れ、金価格は急速に調整された。こうして、金価格の長期上昇は終わりを迎えた。
要約
1971年のニクソンショックで金価格は変動相場制となり、ニクソン政権の景気刺激策と相まって上昇の基盤が生まれた。1973年と1979年のオイルショックやスタグフレーションによってインフレが加速し、フォード・カーター両政権は有効な抑制策を打てず、金は安全資産として買われ続けた。1979年にボルカーFRB議長が就任し、高金利政策でインフレを抑え、1980年代初頭のレーガン政権の供給側政策が支えとなってインフレが収束すると、金価格は急落した。金価格の10年にわたる上昇は、固定相場制の崩壊とインフレ期の政策対応という矛盾を経て、新たな金融秩序へと転化していく弁証法的な動きであった。

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