スタグフレーションとは何か
スタグフレーションは物価上昇(インフレーション)と景気停滞(高失業や低成長)が同時に進行する現象である。第二次大戦後の経済学では失業率とインフレ率が逆相関するとされ、適度なインフレを容認すれば失業率は下がり、総需要の調整で経済を安定させられると考えられていた。アメリカは1960年代後半までこのパラダイムに沿って積極財政と金融緩和を行い、雇用を維持しようとした。しかし1970年代には物価上昇と景気低迷が併発し、この考え方が根底から揺らいだ。
1. スタグフレーションに至る「テーゼ」(既存の枠組み)
- ケインズ主義とフィリップス曲線
1946年制定の雇用法では連邦政府と連邦準備制度の使命を「最大雇用・生産・購買力の追求」と定め、政府支出と金融緩和による需要刺激が信奉された。多くの政策担当者は失業率を低めに保てば多少のインフレは容認できると考えた。1960年代半ばにはインフレ率が年1〜3%程度で推移し、安定した経済成長が続いていた。 - 金本位制からの離脱とドル基軸の脆弱化
ブレトン・ウッズ体制下で米ドルは金と固定レートで交換されていたが、ベトナム戦争や「偉大な社会」計画による財政赤字と海外へのドル流出で金準備が不足し、1971年にニクソン大統領が金との交換停止を決断した。ドルの錨を失った世界は通貨価値の安定を欠き、インフレ圧力が高まりやすくなった。
2. 「アンチテーゼ」(矛盾の爆発)
1970年代に入り、既存の政策枠組みと現実の経済環境の矛盾が一気に噴出した。
- 供給ショック – 石油危機と資源高
1973年の第四次中東戦争を受けたアラブ産油国の石油禁輸により、原油価格は数か月で四倍に跳ね上がり、1979年のイラン革命時にはさらに三倍となった。エネルギー価格の高騰は生産コストと物流費を押し上げ、企業は価格転嫁と生産削減を余儀なくされたため、物価と失業が同時に上昇した。 - 政策対応の混乱とデータ不足
インフレ抑制策としてニクソン政権は1971年から賃金・価格統制を導入し、フォード政権は1974年に「インフレ退治(WIN)」キャンペーンを展開したが、物価抑制は一時的で供給不足や経済混乱を招いた。雇用維持を優先する政治的圧力から金融引き締めは遅れ、中央銀行は国債発行時に金利を安定させる「イーブンキール政策」に縛られた。また当時用いられていた潜在GDPや自然失業率の推計値は実態より楽観的であり、政策担当者は過剰な需要刺激がもたらすインフレ圧力を過小評価していた。 - 賃金・物価スパイラルと期待の変化
需要を刺激し続ける政策によってインフレ期待が高まり、労働者は賃上げを、企業は先行きのコスト増を見越した価格引き上げを求めるようになった。この相互作用が賃金・物価のスパイラルを生み、従来のフィリップス曲線に基づく「インフレか失業か」という単純なトレードオフは機能しなくなった。1970年代中盤には消費者物価指数の前年比上昇率が10%を超え、失業率も7%台へ上昇した。
3. 「ジンテーゼ」(総合と転回)
矛盾が顕在化したことで、経済政策の枠組みは根本的な再考を迫られた。
- モノタリズムと期待に基づく分析
エドムンド・フェルプスやミルトン・フリードマンは、労働者や企業の合理的期待によりフィリップス曲線は上方に移動し、長期的には失業率とインフレ率のトレードオフは存在しないと指摘した。経済主体の期待を安定させるには、中央銀行が通貨供給量を過度に拡大しないことが重要とされた。 - ボルカー・ショックと金融引き締め
1979年にFRB議長に就任したポール・ボルカーは、過度なインフレ期待を断ち切るためにマネーサプライの増加率を目標に据え、大幅な金利上昇を容認した。政策金利は20%近くまで引き上げられ、1980年と81〜82年に深刻な景気後退が生じ失業率は11%近くまで上昇したが、インフレ率は急速に低下した。高い社会的コストを伴いながらも、物価安定を優先する方針が確立され、中央銀行の独立性とインフレ目標の重要性が広く認識されるようになった。 - 新自由主義的改革と国際環境の変化
景気後退と高金利は企業の合理化を促し、規制緩和や労働組合の弱体化が進んだ。日本や新興工業国との競争、情報技術の発展、サービス経済化により、製造業中心の構造から柔軟な供給体制へと移行していった。この結果、賃金抑制と生産性向上が進み、インフレ圧力が抑えられた。通貨制度も変動相場制が定着し、各国中央銀行はインフレ目標を掲げて市場と対話することで期待をコントロールするようになった。
4. 弁証法的考察と現代への示唆
1970年代のスタグフレーションは、経済システム内部に存在する複数の矛盾が表面化した結果と捉えられる。財政拡大・金融緩和によって成長と雇用の維持を目指した政策(テーゼ)は、ドルの国際的地位の揺らぎや資源価格の高騰、社会保障制度の拡大といった要因(アンチテーゼ)と衝突し、賃金・物価スパイラルという危機を生んだ。最終的に、インフレ抑制を最優先する金融政策と市場に合わせた構造改革が実施され、物価の安定と経済の持続的な成長が回復した(ジンテーゼ)。しかしこの解決は失業や格差の拡大という新たな矛盾を生み、新自由主義的な政策が定着する契機となった。
現代においても、パンデミック後の供給制約や地政学的緊張がインフレ圧力を高め、低金利環境下での財政拡大が景気を下支えしている。2020年代初頭には「再来するスタグフレーション」への懸念も浮上したが、中央銀行の迅速な引き締めと期待管理により、70年代ほど長期にわたる物価・失業の悪循環は避けられている。70年代の経験は、経済政策が抱える矛盾を早期に認識し、期待形成や供給制約を考慮した総合的な対応が必要であることを教えている。
要約
1970年代の米国におけるスタグフレーションは、戦後のケインズ主義が前提としていた「インフレと失業の逆相関」というテーゼを、石油危機などの供給ショックと政策対応の誤りが覆したことで生じた。インフレ抑制を後回しにした財政・金融政策は物価上昇への期待を助長し、賃金・物価のスパイラルを招いた。ブレトン・ウッズ体制の崩壊やエネルギー価格急騰が構造的なアンチテーゼとなり、政策担当者は高インフレと高失業という二重苦に陥った。これに対するジンテーゼとして、FRBは1979年以降マネーサプライ管理と大幅な金利引き上げを実施し、インフレ期待を強硬に抑え込んだ。その過程で深刻な景気後退と失業増大が発生したが、物価の安定と経済の再活性化を実現し、中央銀行の独立性とインフレ目標が確立された。スタグフレーションの経験は、政策の矛盾を放置すれば物価と失業がともに悪化すること、供給制約への対応や期待管理の重要性を示し、現代経済の危機対応にも大きな教訓を与えている。

コメント