序論
1970年代前半、世界経済はかつて経験のない組み合わせに直面した。物価が高騰する一方で景気は低迷し、雇用も悪化するという「スタグフレーション」だ。日本語では「スタグネーション(停滞)」と「インフレーション(物価上昇)」を組み合わせた造語である。日本や米国ではインフレ率が二桁に達し、失業率も高まる事態が生じた。この時期のスタグフレーションは第一次・第二次石油危機に象徴される供給ショックによって説明されることが多いが、実際には金融政策や国際通貨制度の変容が複雑に絡み合っていた。本稿は、1970年代のスタグフレーションを軸に、米ドルの信認(国際通貨としての信用)がどのように揺らぎ、どのように再構築されたかを弁証法的に論じる。弁証法は、ある現象の矛盾を認識し、対立する二要素の統合(止揚)を通じて理解を深める方法であり、ここではスタグフレーションとドルの信認の相互作用を「矛盾」と捉える。
1970年代スタグフレーションの生成(テーゼ)
供給ショックと政策の限界
スタグフレーションの直接的な引き金は供給ショックだった。1973年の第一次石油危機ではOAPEC諸国が原油輸出を制限し、原油価格が急騰した。この価格上昇はサプライチェーンを混乱させ、物価の上昇と経済成長の減速を同時に引き起こした。1970年代後半の第2次オイルショックも同様に経済を揺さぶった。日本では第一次オイルショックによって工業生産が停滞し、石油需要の減速が労働需要も縮小させて失業が増大した。
しかし、供給ショックだけでスタグフレーションを説明することは不十分である。米国では1970年代初頭、貨幣供給量が前年比約15%のペースで増加し、金利抑制政策が過剰需要を生んだ。インフレ率の上昇を抑えるためニクソン政権は1971年に賃金・物価の90日凍結を含む統制策を導入したが、1973年に統制を解除すると消費者物価指数(CPI)は8.5%まで急騰した。さらに期待インフレ率は1967年の3.8%から1970年に4.9%へ上昇し、労働者や企業が高いインフレを織り込むことで賃金と価格のスパイラルを生んだ。このように、金融政策の緩和と価格統制の失敗がインフレ期待を高め、供給ショックと相まってスタグフレーションを深刻化させた。
ブレトン・ウッズ体制の崩壊とドル安
第二次世界大戦後の国際金融制度であるブレトン・ウッズ体制では、各国通貨は米ドルと固定相場で結ばれ、ドルは金と1オンス=35ドルの比率で兌換された。米国は輸出黒字や援助資金を通じて世界にドルを供給し、国際貿易の流動性を維持していた。しかしこの体制には根本的な矛盾があった。ベルギー系経済学者ロバート・トリフィンは、国際流動性を保つには米国が経常赤字を出してドルを供給し続けなければならない一方、赤字の累積はドルの信用を損なうという「トリフィンのジレンマ」を指摘した。
1960年代後半には、ベトナム戦争と「偉大な社会」政策による巨額の政府支出が米国の財政赤字とインフレを悪化させ、ドルは過大評価されたまま固定されていた。ヨーロッパや日本は戦後復興を遂げ、米国の経済覇権が相対的に低下しつつあり、ドルを無制限に受け入れることへの不満が高まった。ドルに対する信頼が揺らぐ中、1968年のロンドン金プール崩壊を経て金の流出が加速し、1971年には米国の金準備率が22%まで低下した。
この危機に対処するため、リチャード・ニクソン大統領は1971年8月15日にドルと金の交換を停止し(ニクソン・ショック)、輸入課徴金10%の導入や賃金・物価の凍結などを柱とする新経済政策を発表した。ニクソンは声明の中で「投機家たちがドルに対する全面的な戦争を行っている」と述べ、ドルの安定化のために金との交換停止を命じた。この決定はブレトン・ウッズ体制の終焉を意味し、主要通貨は相次いで変動相場制へ移行した。米ドルは金との兌換性を失い、管理通貨制度の下で連邦準備制度が発行を管理する「信用通貨」となったが、基軸通貨としての地位は維持された。
ドル信認の危機と再構築(アンチテーゼ)
スタグフレーションとドルの信認は相互に影響し合った。高インフレはドルの購買力を低下させ、その信用を脆弱にする。一方、国際通貨としての役割を維持するためにはドルの供給を増やさざるを得ず、インフレ圧力が高まる。こうした矛盾は1970年代の出来事に集約される。
信認の危機
ブレトン・ウッズ体制では、各国がドルを保有することで国際取引を行い、必要に応じて金への兌換を求めることができた。しかし米国の赤字拡大とドル供給の増加は、外国政府や投資家に「金に変える方が安全だ」という動機を与えた。1970年までに米国は世界の外貨準備の16%しか保有せず、ドル不足だった1940・50年代がドル余剰(ドルグラット)の状況へ転換した。このドル余剰は金への大量交換を招き、ドルの価値を支える金準備を急速に枯渇させた。
他方、米国は冷戦構造の中で同盟国の安全保障を提供しつつ大量の海外支出を行った。ヨーロッパや日本は自国経済の成長とともに米国の影響力に対する不満を強め、ドルが世界の中央銀行としての役割を果たすことに疑問を抱くようになった。これらの国々がドル資産の多様化を図れば、ドルの信認はさらに低下する。このように、国際流動性を提供するためのドル供給と、その結果としてのドル安・インフレという矛盾が表面化した。
信認の再構築
ニクソン・ショック後、ドルは金との結びつきを失ったものの、米国経済の規模と軍事・政治的影響力に支えられて基軸通貨として存続した。ドル建て貿易や投資の慣行は容易には変わらず、原油価格も米ドル建てで決済される「ペトロドル」体制が続いた。また、1970年代の経験を経て米国は政策転換を図った。連邦準備制度理事会(FRB)のボルカー議長は1979年以降、極端な金融引き締めによりインフレ期待を抑制し、インフレ率を劇的に低下させた。レーガン政権は減税や規制緩和を中心とするサプライサイド政策を実施し、景気回復とインフレ抑制を両立させた。
さらに、変動相場制の下でドルの価値は市場の需給で決定されるようになり、FRBはインフレ目標や金利誘導を通じて通貨価値を管理した。金融政策の透明性とインフレへの強いコミットメントは、長期的にドルへの信認を回復させた。米ドルは現在も最も広く利用される決済通貨・基軸通貨であり、その信頼性から国際貿易や投資に不可欠な存在となっている。
止揚としての新たな国際金融秩序(ジンテーゼ)
弁証法的観点からは、1970年代のスタグフレーション(テーゼ)とドルの信認危機(アンチテーゼ)が矛盾しつつ相互に規定し、その対立から新たな国際金融秩序と政策枠組みが生まれたと捉えられる。この止揚(ジンテーゼ)の特徴は以下の通りである。
- 変動相場制への移行と政策自律性の拡大 ‒ ニクソン・ショックにより金本位制が崩壊し、主要通貨は変動相場制へ移行した。各国は自国の経済状況に応じた金融政策・財政政策を採れるようになり、スタグフレーション対策としてインフレ抑制や景気刺激の選択肢が広がった。
- インフレ期待管理と金融政策の進化 ‒ 1970年代の経験を受け、中央銀行はインフレ期待を重視し、透明性や独立性を高めた。ボルカーの金融引き締めは高い失業率を伴ったが、長期的にはインフレを抑え金融政策への信頼を回復した。その後の新ケインズ派モデルでは期待に基づくフィリップス曲線が採用され、政策当局はインフレと失業の関係を慎重に扱うようになった。
- 国際通貨制度の多極化とドルの粘着性 ‒ ヨーロッパや日本の経済力向上により多極化が進んだが、ドルは決済通貨としての役割を維持した。この粘着性は、国際貿易・金融システムがネットワーク効果を持ち、一度確立された基軸通貨が容易には代替されないことを示す。とはいえ、赤字拡大や財政悪化が続けばドルの信認は再び試される。
- 資源価格と為替の相互作用 ‒ 1970年代、ドル安が原油などの商品価格上昇を通じて再びインフレを招き、スタグフレーションを悪化させた。この経験から、為替レートと資源価格の連動が意識され、産油国によるペトロドルの再投資や資源価格に応じた金融政策調整が重視されるようになった。
現代への示唆
2020年代初頭には新型コロナウイルス感染症の影響や地政学的リスクの高まりから世界的なインフレ圧力が再燃し、「リフレーションからスタグフレーションへの転換」が懸念された。米国では巨額の財政出動と量的緩和によりCPIが急上昇し、2021~2022年にはインフレ率が1970年代以来の水準に達した。FRBは政策金利を短期間で急上げし、実質金利をプラス圏に引き上げることでインフレ期待を抑えようとしている。スタグフレーションの再来が現実になるかどうかは、過去の経験から学んだ政策手段が適切に運用されるかにかかっている。
ドルの信認についても、米国の累積債務や政治的分断、デジタル人民元など代替通貨の台頭が長期的な課題となる。しかし、国際取引の慣行や金融資本市場の規模、米国の技術革新力などを考慮すれば、今後もドルが主要通貨として存続する可能性が高い。重要なのは、過去の矛盾や危機が教えるように、国内外の経済・金融政策の整合性と信頼性を確保することである。
要約
1970年代のスタグフレーションは、石油危機による供給ショックと緩和的な金融政策が重なり、物価上昇と景気停滞が同時に進んだことから生じた。米国や日本ではインフレ率が二桁となり、失業も増加した。この状況は政策のジレンマを生み、従来のケインズ経済学が批判され、マネタリズムやサプライサイド経済学が台頭した。同時に、戦後のブレトン・ウッズ体制を支えていたドルと金の固定比率は、米国の財政赤字やトリフィンのジレンマにより維持できなくなり、1971年のニクソン・ショックで金兌換が停止された。これはドルの信認危機であったが、その後の金融引き締めや変動相場制への移行によってドルの信用は再構築され、基軸通貨としての地位を保った。スタグフレーションとドル信認の矛盾は新しい政策と制度を生み、現代の経済運営に重要な教訓を残している。

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