序論
エミン・ユルマズ氏の講演は、日経平均5万円達成、金への回帰、米ドル基軸体制の揺らぎ、トランプ外交の軋轢、米中両大国の内的矛盾など多岐にわたっています。このテーマは単なる経済予測や政権批判にとどまらず、現代の「帝国末期」を巡る議論に通じるものです。以下では、歴史観と客観的データを基に、この主題を弁証法的に展開します。弁証法とは、ある主張(テーゼ)と反対命題(アンチテーゼ)の対立を通じて、より高次の総合(ジンテーゼ)へと至る思考法であり、ここでは「米国覇権の衰退か持続か」を巡る議論を整理します。
テーゼ:帝国末期を示す兆候
- 脱ドル化と金への回帰
近年、世界の中央銀行は金準備を急増させており、2022年から2024年にかけての金購入量は年間1,000トン超で、2014〜2016年合計の2倍に達しています。2024年末には世界の公式金準備は3万6,359トンに達し、2025年前半もポーランド、シンガポール、中国など23カ国が買い増しています。また外国中央銀行の金保有は初めて米国債保有額を上回り、金が外貨準備の約18%を占めるという分析もあります。こうした動きは米ドル資産に対する信認低下の表れであり、長期的な「脱ドル化」の象徴と見られます。
さらに、J.P. Morganの報告によれば外貨準備に占める米ドルのシェアは20年ぶりの低水準に下落し、エネルギー取引などで非ドル建て決済が増えています。米国内の政治的分断や高関税政策がドルの安全性を損ない、中国や他国の金融改革がドル離れを後押ししているとも指摘されています。金の保有比率が過去10年で倍増し、2026年中頃には金価格が4,000ドル/オンスに達する可能性も示唆されています。 - 軍事力とドル覇権の相関
ドルの国際的信認は米軍事力によって支えられてきました。米海軍が主要な海上交通路を保護し、世界の貿易を支えてきたことは「ドルの担保は空母やトマホークミサイルである」と言われる所以です。トランプ前大統領が示唆した「世界の警察」役割の縮小は、他国が米国債を購入するインセンティブを減らし、基軸通貨体制の足元を揺るがします。 - 同盟関係の劣化とソフトパワーの衰退
同盟国との亀裂では、トランプ前大統領がNATOなどの同盟国に高圧的な姿勢を示し、カナダやグリーンランドの併合を示唆し、パナマ運河やガザを「取り戻す」と発言するなど従来の国際秩序を揺るがしました。副大統領候補のVance氏はNATOからの撤退を示唆し、ウクライナへの支援を揶揄するなど欧州に衝撃を与えました。
国際機関やソフトパワーの放棄も顕著です。トランプ政権がWHOやパリ協定から脱退し、USAIDやFulbrightプログラム、U.S. Agency for Global Mediaの予算を削減したことで、米国のソフトパワーは急激に低下しました。これにより中国やロシアが影響力を拡大する余地が生まれ、米国の「世界の警察」イメージは揺らぎました。 - 国内の腐敗とポピュリズムの蔓延
エミン氏は、トランプ政権下で大統領一族が公然と自身の事業を優遇するなど、かつてウォーターゲート事件で大統領が辞任した国とは思えない倫理崩壊が進んでいると批判しています。ローリングストーン誌も、トランプの台頭がローマ帝国末期を彷彿とさせる社会分裂や暴力的な衝突(1月6日の議会襲撃など)と重なるとし、共和制が形骸化して帝国へ移行する危険性を警告しています。 - 日米同盟の未来と日本の選択
日本は地政学的不安定のなかで自立的な防衛強化を進めています。防衛研究所によれば、日本は5年で防衛費をGDP2%まで増やし、長距離ミサイルや統合司令部、サイバー・宇宙領域への投資を行っています。2025年予算は過去最大規模で、トマホーク購入や宇宙通信衛星、統合作戦司令部の新設に割り当てられています。この動きは米国への依存を減らし、潜在的な侵略者にとって「毒林檎(ドクリンゴ)」のような手出しし難い存在となることを目指しています。 
アンチテーゼ:覇権維持論と米国の復元力
上述の衰退の兆候にもかかわらず、米国や世界経済には強い復元力が認められます。ここでは「帝国末期論」に対する反論を提示します。
- 米国経済と世界経済の底堅さ
RBCウェルスマネジメントの2025年9月レポートによると、2024年に3.3%の世界成長を達成したことで、2025年初頭の経済は予想以上に堅調でした。関税引き上げ前の駆け込み需要やAI関連投資、賃金上昇、政府の重点的支出が成長を押し上げたとされます。後半には減速が予想されますが、貿易政策の不透明感が解消され、サプライチェーンの適応とターゲット型刺激策が進めば、2026年には緩やかな回復が期待されます。
同レポートは、多くの中央銀行が利下げ余地を有しており、貿易摩擦による成長への打撃を緩和できると指摘しています。実際に複数の主要中央銀行は2025年前半に既に利下げを行っており、物価が目標水準に落ち着いた国も多いことから、金融政策の柔軟性は経済の底堅さを支える要因となります。 - 米国のイノベーションと制度的優位
技術革新と人材吸引力について、米国には世界トップクラスの人材が集まり、イノベーションや企業家精神が根付いています。この技術的優位はAI半導体バブルに象徴され、株式市場の急騰を牽引しました。米国の先進的なスタートアップ・エコシステムや大学・研究機関は依然として他国に対する優位性を保っています。
また、米国の制度は多数のチェックアンドバランスと自由な報道に支えられており、ポピュリストが一時的に台頭しても選挙や司法制度、草の根の運動によって是正される可能性が高いと考えられます。アングロサクソン・プロテスタントに基づく道徳性は完全には失われておらず、社会の自浄作用が働く余地が残されています。 - 世界的なドル需要の持続
中央銀行の金買いは顕著ですが、米ドルは依然として最大の準備通貨であり、国際決済の多くを占めます。ドル建て金融市場の深さや流動性、法的安定性は他の通貨には代替し難く、脱ドル化の進展速度は緩慢です。金は利息を生まないため、金保有比率の増加はリスク分散の一環に過ぎず、ドルそのものを完全に代替するわけではありません。 - 地政学的競合国の脆弱性
中国は不動産バブルの崩壊や人口減少、若年失業率の上昇など深刻な経済課題を抱え、共産党内部での権力集中による政治的リスクも指摘されています。米国が抱える問題は大きいものの、競合国も同様に脆弱性を抱えており、単純な覇権交代が起こるとは限りません。 
ジンテーゼ:総合的見解と日本への示唆
弁証法的な視点からは、帝国の盛衰を単線的に捉えるのではなく、相反する動因の交錯とその中から生まれる新たな段階に注目することが重要です。
覇権の性質は変容します。ドル体制の揺らぎや同盟関係の亀裂は、米国の覇権がかつてのように無条件ではないことを示しますが、米国の技術的・制度的優位と世界経済の深い繋がりは一夜にして崩れません。新たな覇権構造は軍事力のみならず、経済的相互依存やデジタル通貨・AI技術を軸に再構築される可能性が高いと考えられます。
また、脱ドル化や金買い増しは備蓄通貨の多様化やリスク分散を象徴しており、単なるドルからの逃避ではなく、多極化する世界経済において複数の通貨や資産が共存する時代の到来を示唆します。米国の覇権は相対的に低下するものの、完全な崩壊ではなく、他国との協調による新たな均衡を形成するでしょう。
ポピュリズムとの闘いと制度改革の必要性も強調されます。帝国末期論の核心は倫理崩壊と制度疲弊に対する警鐘であり、米国はポピュリズムと利益相反を抑制し、政治の透明性を回復する改革が不可欠です。一方、日本を含む同盟国は米国への依存度を減らしつつも、自由主義陣営の価値を守るために協調していく必要があります。
最後に、日本の戦略的自立と連携について、ユルマズ氏が説く「毒林檎(ドクリンゴ)」戦略は、日本が自国の防衛力を強化し他国からの介入を抑止するための選択肢です。防衛費の大幅増額や長距離ミサイル導入はその一環であり、同時に日米同盟を活用しつつ、多角的な外交と経済戦略を通じて自立性を高めるべきです。
総括
現代世界は、急速な技術変化と地政学的緊張の中で、かつてない複雑さに直面しています。中央銀行の金買い増しや同盟関係の揺らぎ、ポピュリズムの台頭は「帝国末期」の兆候として語られる一方、米国経済の底堅さや制度的修正力も無視できません。弁証法的アプローチは、この二つの対立を通じてより全体的な理解へと導きます。覇権の衰退と持続は相互に絡み合い、新しい国際秩序を形成する契機となります。日本はこの大きな潮流の中で、現実的な危機管理と国際協調の両立を図り、外交・経済・防衛の三位一体で自らの生存戦略を構築する必要があります。
引用元
  
  
  
  
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