前提と問題提起
2025年11月7日、米国ニューヨーク連邦準備銀行のジョン・ウィリアムズ総裁はドイツ・フランクフルトでの中央銀行会議で演説し、連邦準備制度(FRB)のバランスシート運営について見通しを示した。同総裁は、2022年から続けてきた保有証券の縮小(いわゆる「量的引き締め」)を12月1日に終了する方針を示す一方で、翌期には再び保有証券を拡大する局面に入る可能性があると発言した。背景には、銀行間の一晩物資金貸借市場(レポ市場)の金利が目標レンジの上限付近に上昇し、立ち上げ以来最大規模となるスタンディングレポファシリティ(SRF)の利用が見られるなど、金融システム全体の準備預金が「豊富(abundant)」から「十分(ample)」へと減少してきたことがある。この発言は、市場に「FRBが早期に金融緩和へ転じるのではないか」との解釈をもたらし、論争の火種となった。
テーゼ:バランスシート拡大は金融安定の維持に必要
ウィリアムズ総裁は、準備預金が豊富な状態から十分な水準に近づくと、レポ金利が急騰し、Fedファンド金利が政策目標レンジの上限に接近するなど、市場の流動性が低下する兆しが表れることを説明した。2019年9月には類似の状況が引き金となってレポ金利が急騰し、FRBが緊急の資金供給に迫られたことがある。その経験から、多くの中央銀行関係者は「十分な準備預金を維持し、短期金融市場の安定を確保することが不可欠」と考えている。量的引き締めで保有証券を減らし続けると、将来的に準備預金が逼迫し、再び混乱が起きるリスクがある。このため、FRBは資産縮小を終え、適度な国債・住宅ローン担保証券(MBS)の購入により、準備預金を増やす準備管理(reserve management purchases)に移行する必要がある。
ウィリアムズ総裁は、再開される資産購入は金融緩和を意図したものではなく、「銀行が必要とする現金の水準に合わせてバランスシートのサイズを調整する長期的な計画の一部」と強調した。買い入れ規模も従来の量的緩和に比べて控えめで、市場機能に必要な流動性を確保するための技術的措置である。十分な準備預金とレポファシリティが組み合わされることで、政策金利の上昇を抑えつつ市場金利を効果的に誘導できるため、金融システムの安定維持に寄与すると考えられる。
アンチテーゼ:バランスシート拡大は誤解を招き、インフレ圧力を助長する
一方で、FRBが資産購入を再開することに懐疑的な見方もある。市中に出回る国債やMBSを買い入れ続ければ、FRBのバランスシートは再び膨張し、長期金利や資産価格に影響を及ぼす。これが事実上の金融緩和と受け止められれば、インフレ期待が高まりかねない。2021~2023年にかけての高インフレは、コロナ期に行われた大規模な量的緩和や財政支援策が背景にあったという指摘があるだけに、再び資産購入を再開することへの警戒感は根強い。
さらに、FRBが「準備預金の適正水準」を正確に見極めるのは難しく、市場参加者の需給も時間とともに変化する。もしFRBが慎重を欠いて過剰な買い入れを行えば、再び準備預金が過剰となり、資産価格が過熱して金融バブルを助長する危険がある。また、SRFや翌日物リバースレポファシリティ(ON RRP)といった制度の活用によって短期市場を安定させることができるなら、資産購入を伴わない方法で調整を行うべきだと主張する向きもある。
歴史的背景と制度の検討
FRBは2019年から「十分な準備預金(ample reserves)方式」で金融政策を運営している。これは、短期金利を各種管理金利(準備預金への付利率とRRP金利)で誘導し、その上で市場の需給に応じて政策金利を安定させる仕組みである。2018年以前は準備預金が「豊富」な状態であり、市場はFRBの資産を急速に縮小しても安定していた。しかし、2019年秋のレポ市場混乱以降、FRBは必要準備金の水準を慎重に考えるようになり、2022年以降は段階的な資産縮小を進めながら、市場が示す兆候(レポ金利、SRFの利用度など)を注視してきた。
ウィリアムズ総裁の発言によれば、2024年後半からレポ金利が管理金利より高くなり、SRFの利用が増えるなど、準備預金が豊富から十分に移行していることが確認された。FOMCは10月29日の会合で「12月1日に資産縮小を終了する」と決定し、その後は準備預金が必要水準を下回らないように資産購入を行う計画だという。FRBの総資産は2022年の約8.5兆ドルから2025年秋には約6.25兆ドルまで縮小しており、これが今後は横ばい、あるいは徐々に増加に転じる可能性がある。
シンセーシス:透明性の高い準備管理と政策運営が鍵
弁証法的に見れば、バランスシート拡大の是非は「金融システムの安定」と「過剰な金融緩和への懸念」という二つの相反する要求の調停にある。ウィリアムズ総裁は資産購入を「準備管理目的」と繰り返し強調し、「金融緩和ではない」ことを明確にした。実際、FRBが想定している資産購入は、満期を迎えた証券の償還を超える分を若干上回る程度とみられ、市場における超過流動性を劇的に増やすものではない。加えて、SRFやRRP金利といった政策金利のコリドー(上下限)を調整し続けることで、短期金利を適切に誘導し、インフレ期待を抑制することができる。
重要なのは、FRBがどの程度の準備預金を「十分」と見なすかを透明性高く説明し、市場の誤解を避けることである。また、資産購入と並行して、ON RRP残高や財務省一般勘定の動向といった他の負債要素を管理することが求められる。金融市場の状況に応じてSRFの利用促進や利率の調整を行うなど、ツールをフル活用することで、過度な資産拡大を回避しつつも金融安定を維持できるだろう。
要約
ウィリアムズ総裁は、レポ市場の金利上昇とSRF利用の増加から、FRBの準備預金が「豊富」から「十分」に近づいていると判断し、12月1日のバランスシート縮小終了後に再度証券購入を行う可能性を示唆した。これは銀行間市場の流動性を確保するための準備管理的措置であり、金融緩和を目的とした量的緩和とは区別される。しかし、市場では「再び資産購入が始まればインフレを助長する」との懸念もあり、FRBは買い入れの規模と目的を明確にしながら慎重に運営する必要がある。

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