はじめに
2025年秋の米連邦準備制度(Fed)は9月と10月のFOMC(連邦公開市場委員会)会合で二度連続で政策金利を0.25%引き下げ、フェデラルファンド(FF)金利の誘導目標を3.75–4.0%まで下げた。これは労働市場の減速に対応しつつ、インフレ率が再び上昇基調にある中で政策効果のバランスを取る試みだった。議決は10対2で、トランプ政権が任命したスティーブン・ミラン理事が0.5%の利下げを主張し、カンザスシティ連銀のジェフリー・シュミッド総裁が利下げ反対票を投じた。その後のパウエル議長の記者会見では、12月の利下げは「確定事項ではない」と強調され、委員会内に強い意見対立が存在することが明らかになった。2026年5月にパウエル議長の任期が終了する中、トランプ大統領が次期議長候補としてケビン・ハセット、ケビン・ウォーシュ、クリストファー・ウォラー、ミシェル・ボウマン、リック・リーダーの5人を選定している。米金融政策がさらに緩和的になるのかどうかは、政治的思惑と経済指標の両方から注目されている。
本稿では、弁証法(正反合)の枠組みを用いて、パウエル議長退任後の米金融政策が「より緩和的になる」という主張を検討する。
正(テーゼ):新議長による大幅な緩和論
主張の根拠は主に以下の点にある。
- 政治的圧力と候補者の性向:トランプ政権は景気浮揚のために積極的な利下げを望んでおり、10月末のFOMCでミラン理事が0.5%の利下げを要求した。トランプ大統領はパウエル後任候補としてウォラーやボウマン(いずれもトランプが任命した理事)、リーダー(ブラックロック幹部)、ウォーシュ(量的緩和批判者だが近年は低金利を支持)など、いずれも相対的に低金利を志向する人物をリストアップしている。
- 労働市場の弱さ:米失業率は2025年夏に4.3%へ上昇し、2021年以降で最も高い水準となった。失業者数は約7.38百万人に増加しており、幅広いU-6失業率は8.1%に達した。労働市場が冷え込むなか、追加緩和で雇用を支える必要性が増すという議論が強い。
- インフレ率の鈍化との認識:総合インフレ率は2025年9月時点で前年比3.0%へ再上昇したが、コアインフレ率は3.1%から3.0%に鈍化している。ミラン理事などはインフレについて「心配しすぎだ」と主張しており、利下げ遅れは雇用悪化を招くと警告している。
- Abenomicsへの類似:ある市場関係者は、日銀がアベノミクス下で行ったような政策金利をインフレ率より低く抑える超緩和政策が米国でも展開される可能性を指摘し、株式市場バブルへの期待を語っている。
これらの論点を総合すると、新議長が就任すれば毎回0.5%程度の連続利下げが行われ、政策金利がインフレ率を下回る水準まで低下するという予想が形成されつつある。この「緩和テーゼ」は、政治的意図と労働市場支援を重視する視点に支えられている。
反(アンチテーゼ):物価安定と金融政策の限界
しかし、上記テーゼにはいくつかの反論が存在する。
- インフレ率は依然高い:9月の総合インフレ率3.0%はFRBの2%目標を大きく上回っており、エネルギー価格上昇が主要因である。トレーディングエコノミクスの予測では、2026年のインフレ率は平均2.6%と目標をやや上回る水準にとどまる見通しである。クリーブランド連銀のベス・ハンマック総裁などは「インフレは依然として高水準で、政策はインフレに対して引き締め気味であるべきだ」と述べており、現職の多くは利下げに慎重である。
- Fedの中立性と内部対立:シュミッド総裁は10月の会合で利下げに反対し、他の委員も12月利下げに慎重な姿勢を示している。パウエル議長自身も「追加利下げは決まっていない」と明言しており、委員会内で意見が割れていることが政策決定の制約となる。
- 政策余地の狭さ:FF金利は既に4%近くまで下がり、インフレ率との差は0.75ポイントに過ぎない。これ以上大幅に引き下げれば実質金利がマイナスとなり、インフレ期待を刺激して長期金利やドル相場を不安定化させる恐れがある。チャールズ・シュワブの分析でも、政策金利のさらなる下げ余地は限られるとしている。
- 市場の独立性と信認:仮に政治的意向で大幅な緩和が行われれば、市場はFedの独立性低下を懸念し、長期金利上昇やドル売りを通じて金融環境の不安定化を招く可能性がある。これは日銀の国債買い入れ政策が円安と国債金利上昇を招いた事例に似ている。
以上の反論は、インフレ抑制と中央銀行の信認維持の観点から大幅な追加緩和を疑問視している。
合(ジンテーゼ):実体経済と政治のバランス
両論を統合すると、次期議長による金融政策は下記のような折衷的展開が予想される。
- データ依存の漸進的緩和:労働市場の弱さは追加緩和を正当化するが、インフレ率が目標を上回る限り、政策決定は会合ごとにデータを検証しながら行われる。10月のFOMC声明も「経済見通しの不確実性が高く、バランス・オブ・リスクを慎重に見極める」と強調している。
- 量的引き締めの終了:Fedは10月末の会合で12月1日をもって資産縮小(量的引き締め)を停止すると表明した。これにより流動性供給は増えるが、金利については慎重な引き下げが続くと見られる。
- インフレと雇用のトレードオフ:失業率は上昇傾向にあり、インフレ率はまだ高止まりしている。この二重目標の間で政策の舵取りが難しく、次期議長といえども急激な利下げは困難だろう。
- 政治的リスクの管理:トランプ政権は緩和を要求するが、次期議長があまりにも政治的に依存すると長期的な信認を損なう。候補者の中にはウォーシュのように財政拡張に否定的な人物も含まれており、必ずしも全員が極端な緩和を支持するわけではない。
このように、新議長下で政策がやや緩和に傾く可能性は高いものの、インフレ抑制と金融市場安定への配慮から、大幅な連続利下げは実現しないとの見方が妥当である。むしろ、政策金利は2026年にかけてゆるやかに低下し、実質金利がわずかにプラスまたはゼロ付近に留まる程度の緩和が予想される。
まとめ
2025年秋のFOMCは労働市場の弱さを理由に二度の利下げを実施したが、インフレ率は目標を上回っており、委員会内の意見も割れている。トランプ政権が2026年5月に退任予定のパウエル議長の後任として、利下げ志向の強い候補者を選んでいることから、次期議長の下で政策がより緩和的になるとの見方が広がっている。しかし、インフレ率の高止まりや政策金利の余地の狭さ、Fedの中立性維持の必要性などから、大幅な連続利下げには限界があると考えられる。したがって、次期議長が採る政策は、労働市場支援と物価安定のバランスを取りながら段階的な緩和を進める折衷的なものとなる公算が大きい。

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