CDSを軸にしたリーマンショックの弁証法的分析

政治経済


【定立】CDSの登場とその本来の役割:リスク分散のための金融革新

CDS(クレジット・デフォルト・スワップ)は1990年代に登場した金融派生商品(デリバティブ)で、債券やローンの信用リスク(デフォルトリスク)を第三者に移転する仕組みです。本来の目的は、債権を保有する投資家(保険の「契約者」)が、万一の債務不履行(デフォルト)に備えて保険のようにプロテクションを購入し、リスクをヘッジすることでした。CDSは金融機関が貸し出しや投資を拡大するための信用リスクの管理手段として期待され、特に長期債権やローンを保有する投資家の間で急速に普及しました。

2000年代初頭の低金利・過剰流動性環境下で、MBS(住宅ローン担保証券)やCDO(債務担保証券)といった証券化商品とともにCDSは巨大な市場へと成長します。CDSはMBSやCDOなどの複雑な資産のリスクヘッジ手段として使われる一方で、投資家が実際には債券を持たずともCDS契約を結ぶことができる「裸のCDS(naked CDS)」が普及しました。これは信用リスクを投機対象とみなし、いわば「火災保険をかけた家を所有していない人」が賭けに参加するような状態を生み出しました。

CDS市場の急拡大は、「分散された信用リスクが市場を安定させる」という金融イノベーション礼賛とともに正当化され、規制の枠外で取引が進められました。CDSの契約は基本的に店頭(OTC)取引であり、透明性に乏しく、清算機構も存在せず、リスクの所在が市場参加者に把握されにくいという構造的問題を抱えていたものの、「健全な市場競争」という新自由主義的発想のもとで、放任されていたのです。

この段階が、CDSが「健全なリスク移転手段」として期待されていた定立の局面です。


【反定立】投機と不透明性がCDSを「信用破壊の連鎖装置」に変えた

2007年以降、サブプライムローン市場の崩壊が始まると、CDS市場はその構造的弱点を露呈しました。とりわけCDSは信用リスクの客観的評価に強く連動しており、対象企業や証券の信用不安が広がると、CDSの価格(スプレッド)は急騰します。これは単なる保険料の上昇にとどまらず、「CDSスプレッドの上昇=市場がその企業の倒産確率を高く見ている」ことを意味し、対象企業への不信感をさらに高める信用収縮の自己強化的連鎖を引き起こしました。

CDS市場の最大の爆発点となったのが、AIG(アメリカン・インターナショナル・グループ)です。AIGは保険会社でありながら、AIG Financial Productsという部門を通じてサブプライム関連のCDOに対して大量のCDSを売り手(保証人)として引き受けていました。このCDSは「AAA格付けのCDOに対する保証」であるため、AIG側はリスクが低いと判断して保証料(プレミアム)だけを安定的に稼げると考えていました。

ところが、住宅バブル崩壊とともにCDOの価値が暴落し、CDSの契約上、AIGは保証履行(=巨額の支払い)を求められる立場に追い込まれます。しかしAIG自身はそれらの損失に見合う資本を用意しておらず、2008年9月、リーマン破綻直後にAIGも破綻寸前となりました。実際、米政府とFRBはAIGの破綻が「CDSの保証機能を全否定することになる」として緊急に約1800億ドルを超える救済措置を講じることになりました。もしAIGが倒れていれば、CDSを通じてCDOや債券のリスクをヘッジしていた多くの金融機関が無防備な状態になり、さらなる信用収縮が不可避だったからです。

CDSは当初の目的である「リスクの移転」ではなく、むしろ不透明な相互依存関係を拡大させ、連鎖的な破綻リスクを加速させる機能に変質していたのです。CDS契約が誰と誰の間で交わされているかを市場の誰も把握しておらず、CDSの売り手が実際に支払い能力を持っているかも分からないという状態では、市場の信認は失われ、CDSが存在すること自体が**「信用不安の増幅装置」**になってしまいました。

この段階が、CDSの本質的矛盾が露呈した反定立の局面です。


【統合】規制改革と市場透明化による新たな信用リスク管理へ

リーマンショック後、CDS市場に対する見直しと改革が世界的に進められました。まず、CDSを含む店頭デリバティブ取引の透明性向上集中清算(中央清算機構:CCP)の導入が推進されました。G20諸国は2009年ピッツバーグ・サミットで合意し、「すべての標準化されたOTCデリバティブ契約はCCPを通じて清算されるべき」との国際方針が定められました。

これにより、取引の相手方リスク(カウンターパーティリスク)はCCPに集中し、各金融機関のリスクを相互に可視化・管理可能にする体制が構築されました。また、CDS取引には取引報告義務と**マージン要件(担保差し入れ)**も導入され、過剰レバレッジの抑制が図られました。

さらに米国では、ドッド=フランク法(2010年)により、CDSなどの店頭デリバティブ市場が規制当局(CFTC、SEC)の監督対象となり、取引所取引や取引情報の公表義務が拡大されました。これにより、CDS市場の透明性・公正性が大幅に改善され、金融システム全体としての信頼性が高まりました。

同時に、市場参加者自身もCDSのリスクに対する認識を改め、単なる収益源や投機対象としてのCDSから、資本規制やストレステストに組み込まれる信用リスクヘッジ手段としての再定義が行われました。現在では、CDSスプレッドは一種の市場ベースの信用指標としても用いられ、企業や国のデフォルトリスクをリアルタイムで示す重要な情報源として利用されています。

こうして、かつては混乱の象徴であったCDSが、新たな規制体制と運用意識のもとで、金融市場のリスク管理の中核を担う存在として再構築・再評価されるに至りました。

この段階が、過去の矛盾と破綻を止揚(アウフヘーベン)し、より成熟した市場秩序として再構成される統合の局面です。


総括:CDSをめぐる弁証法的運動の意味

段階内容
定立CDSがリスク移転の革新技術として歓迎され、信用市場の効率化が期待された。
反定立CDSが不透明・過剰なレバレッジ・保証人の資本不足という矛盾を抱え、信用危機の爆心地となった。
統合市場の制度改革と行動規範の刷新により、CDSは透明で信頼される信用指標として再定義された。

この一連の流れは、金融技術が目的(リスク管理)と手段(収益追求)の転倒を経験し、その後の制度的・倫理的修正によってより高次な信用秩序へと進化する過程として読み解けます。CDSは単なる「失敗例」ではなく、弁証法的運動を経て制度の自己反省と刷新を促した金融文明の進化の一断面ともいえるのです。

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