ロシアに対する通貨面の経済制裁とその影響

ドル決済網からの排除(SWIFT制裁)

ロシアがウクライナに侵攻した直後、米国をはじめとする西側諸国はロシアに対し過去に例のない強力な金融制裁を発動しました。その一つがSWIFT(国際銀行間金融通信協会)からの排除です。SWIFTは世界中の銀行間で国際送金メッセージをやり取りする事実上の標準ネットワークであり、グローバルなドル決済網の中核と言えます。主要なロシア銀行がSWIFTシステムから締め出された結果、ロシアは海外との通常の銀行送金が困難になり、国際取引でドルやユーロを決済に使うことがほぼ不可能になりました。この措置は「金融制裁の核兵器」とも呼ばれ、ロシア経済に即時の打撃を与えました。

SWIFT制裁により、ロシア国内の企業や銀行は外国との資金決済手段を失い、多くの外国企業もロシアとの取引停止を余儀なくされました。ロシアの輸出代金の回収や輸入代金の支払いにも支障が生じ、貿易の決済インフラが麻痺状態に陥りました。国際送金網からの切断は海外資本の流出入も封じ込めるため、ロシアからの資本逃避を抑制する一方、新規の投資や取引も滞らせました。これらはロシアの通貨金融システムを孤立させ、ルーブルへの信認低下と資金繰り不安を招く要因となりました。

ロシア中央銀行の外貨準備凍結

西側は併せて、ロシア中央銀行(CBR)の外貨準備資産を凍結する異例の措置も取りました。ロシア中銀が保有していた米ドルやユーロ建て資産など約6,400億ドル相当の外貨準備のうち、海外の金融機関に預けられていた約3,000億ドル規模が凍結されたとされています。中央銀行の外貨準備凍結は主要経済国に対しては前例のない強硬策であり、ロシア当局は自国通貨ルーブルを守るための「盾」を一夜にして奪われた形になりました。つまり、市場でルーブルが急落した際に中銀が外貨準備を売却してルーブル買い支えを行う介入手段が封じられたのです。

この凍結措置はロシア当局に大きな衝撃を与えました。ロシアは2014年のクリミア危機以降、外貨準備のドル依存度を下げるなど備えを進めてきましたが、ユーロやポンド建て資産も多く保有しており、それらが欧米に拘束されたためです。結果として、ロシア中銀は金融市場安定のため非常手段に頼らざるを得なくなりました。西側による外貨準備凍結は他国に対しても「自国の外貨資産が政治状況次第で凍結される可能性がある」という前例を示し、国際金融の常識を覆す出来事となりました。

ロシア経済とルーブル相場への影響

これら金融制裁の直撃により、ロシアの通貨ルーブルは侵攻直後に暴落しました。対ドル相場は瞬く間に約半分の価値を失い、従来1ドル=70~80ルーブル台だった水準が一時は120~140ルーブル前後にまで急落しました。この急激な通貨安は輸入物価の高騰を通じてロシア国内のインフレを加速させ、市民生活にも混乱をもたらしました。制裁開始直後の2022年初頭には国内で預金引き出しや外貨両替を求める人々が銀行やATMに殺到し、金融不安が広がりました。

しかしロシア当局は迅速かつ強権的な安定策を打ち出します。中央銀行は政策金利を一気に20%へ引き上げてルーブル防衛を図り、政府は厳格な資本規制を導入して自国通貨の流出を食い止めました。例えば、輸出企業に対して外貨収入の強制的なルーブル転換を義務付け、外国への資金移動や個人の外貨持ち出しを制限するなどの措置です。その結果、国内外の為替市場は分断され、ルーブル需要が人工的に作り出されました。同時に、エネルギー価格高騰による貿易黒字の拡大も手伝って、ルーブル相場は制裁から数週間後には下落前の水準を回復し、2022年春には一時戦前よりも高い水準にまで持ち直しました。

ルーブルの表面上の回復は「制裁は効いていない」との見方を生みましたが、これは各種規制で支えられた特殊な状況でした。実際には輸入の急減による一時的な経常黒字拡大や資本取引停止により、国内市場に限ればルーブルが不足気味となったことが背景にあります。制裁による信用不安で対外債務の返済も滞りがちになり、ロシア政府は一時的に対外債務のルーブル払いを宣言するなど国際金融上の孤立を深めました。その後、西側の石油禁輸や価格上限制などが効いてエネルギー収入が細ると、輸入も段階的に回復して黒字幅が縮小し、ルーブルは再び緩やかな下落基調に転じました。2023年にはルーブルが再度急落して対ドルで100ルーブルを超える局面があり、ロシア中銀は利上げ再開など追加対策を迫られています。このように、制裁はロシア経済に持続的なプレッシャーを与え、通貨価値の不安定化と成長減速という影響を及ぼしました(2022年のロシアGDP成長率は前年からマイナスに転じ、物価上昇率も年央にかけて二桁台に跳ね上がりました)。

ロシアの備えと対応:金備蓄や非ドル建て取引への転換

ロシアは制裁リスクに備え、以前から外貨準備の多様化と金(ゴールド)備蓄の拡充を進めてきました。ウクライナ侵攻前までにロシア中央銀行はドル資産の比率を引き下げ、ユーロや中国人民元、そして金を保有高に占める割合を増やしていました。特に金準備高は著しく増加し、2021年時点で約2,300トン(世界第5位規模)に達し、外貨準備全体の20%以上を金が占めるまでになっていました。この大量の金は物理的にロシア国内の金庫に保管されているとみられ、外国に預けられた準備資産とは違い凍結が困難な「制裁耐性資産」として位置付けられました。実際、西側がロシア産金の国際市場取引を制限する動きはありましたが、ロシアは友好国向けに金を売却したり、担保として活用したりすることで外貨を調達する道も模索しています。

加えて、決済通貨の多様化と非ドル建て取引への転換もロシアの重要な対応策でした。ドルやユーロでの決済が封じられたため、ロシアは中国やインド、中東など「非制裁国」との間で人民元建てや自国通貨ルーブル建てで貿易取引を行う比率を急拡大させました。特に中国とはエネルギーや資源の取引を人民元建て・ルーブル建てに切り替え、2023年には両国間の貿易決済の約9割以上がドルを介さず人民元かルーブルで行われるまでになりました。またモスクワ外国為替市場でもドルの存在感が大きく低下し、代わりに人民元取引が急増しています。ロシア国内の取引所における人民元の売買高シェアは、戦前はごくわずかだったものが制裁後に急伸し、2023年にはドルを上回る水準(全体の4~5割近く)に達しました。これは人民元がロシアにとって事実上ドルの代替通貨となったことを意味します。

さらにロシア政府は「ルーブル建て決済の強制」も実施しました。欧州の顧客に対し天然ガス代金をルーブルで支払うよう要求し、ルーブルでの支払いに応じない国への供給停止も辞さない姿勢を見せました。この政策は、実際にはガス代金をいったん欧州輸入業者から特定のロシア銀行の口座に外貨で支払わせ、その銀行でルーブルに転換する仕組みでしたが、結果的にエネルギー収入をルーブル需要に結び付け、自国通貨を下支えする効果を狙ったものです。加えて、ロシアは自前の国際送金網である「SPFS(金融メッセージ送信システム)」を国内銀行間で整備し、中国の決済ネットワーク(CIPS)との接続強化も図っています。VisaやMastercardなど西側の決済サービスが使えなくなった代替として、自国発行の決済カード「Mir」の普及や、中国の銀聯カードとの連携も推進されました。こうした多角的な備えと対応によって、ロシアはドル覇権に依存しない金融経路を模索し、制裁の迂回や緩和に努めています。

他国への教訓とドル覇権体制への長期的影響

ロシアに対するこれらの通貨金融制裁は、世界の多くの国々に大きな教訓を残しました。それは「自国の外貨準備や国際決済が政治的手段として凍結・遮断され得る」という現実です。特に米ドルを中心とした国際金融体制に依存してきた新興国や資源国にとって、ロシアのケースは対岸の火事ではありませんでした。制裁発動後、各国の中央銀行はドル資産への過度の集中に警戒を強め、準備資産の分散化を図る動きを見せています。多くの国が安全資産と見なす「金」の保有比率を高め、国外に預けていた金地金を自国にリパトリエーション(本国送還)する例も増えました。「他国に預けた自国の資産は最悪の場合アクセス不能になる」というリスク認識が高まったためです。実際、国際調査によればロシア制裁後に自国で金準備を保管する中央銀行の割合が大幅に増加し、金の魅力が見直されたとの報告もあります。

また、ドル覇権体制への長期的な影響も注目されています。米国がドルの決済網や準備通貨としての地位を経済制裁の武器として用いたことは、短期的には制裁の実効性を高めましたが、長期的には各国に「脱ドル化(デドル化)」のインセンティブを与える結果ともなりました。実際、ロシアのみならず中国やインド、湾岸諸国、ブラジルなど米国と利害が異なる国々は、相互の貿易を自国通貨建てで行う枠組みを模索したり、人民元などドル代替通貨の利用拡大を進めたりしています。国際決済に占める人民元の比率はまだ一桁台と小さいものの、近年上昇傾向にあり、2023年には一時日本円を上回って世界第3位の決済通貨になる月も見られました。こうした動きは、米ドル一極支配という従来の体制から、複数通貨が併存する多極的な国際通貨秩序へのシフトの兆しかもしれません。

もっとも、ドルの地位が直ちに大きく揺らぐわけではありません。依然として世界の対外取引や外貨準備の過半は米ドルで占められ、代替となる単一の通貨も存在しないため、ドル覇権は当面維持されると考えられます。しかしロシアへの制裁という前例が示した通り、ドルを武器化するコストとして信認低下のリスクが伴うことも明らかになりました。各国は将来の地政学リスクに備え、決済手段や準備通貨を多元化する傾向を強める可能性があります。長期的には、この慎重姿勢の広がりが徐々にドル支配の相対的低下につながり、米国の金融的影響力をそぐ要因となり得ます。要するに、ロシア制裁の事例は「金融覇権の刃は両刃の剣である」ことを示し、現在のドル中心の国際金融体制に緩やかな変革を促す契機となったと評価できるでしょう。

以下が要約です。

米国はロシアのウクライナ侵攻後、通貨面で以下の経済制裁を実施した。

  • ドル決済網(SWIFT)からの排除
    ロシアの主要銀行をSWIFTシステムから締め出し、ドル決済による貿易や国際送金を大幅に制限した。
  • 外貨準備の凍結
    ロシア中央銀行が海外に保有する約3000億ドルの外貨資産を凍結し、ルーブル防衛のための資産を封じた。

これによりルーブルは一時的に大暴落したが、ロシアは以下の対応を行った。

  • 金利引き上げや資本規制を実施し、ルーブルの下落を短期的に防いだ。
  • 以前から進めていた金の備蓄拡充人民元・ルーブル建て取引などドル以外の決済手段を加速させた。

これらの動きは世界各国に「米ドル依存のリスク」を認識させ、多くの国が外貨準備の分散化(金の保有増加など)を進め、ドル支配体制の相対的低下をもたらす可能性が示唆された。

コメント

タイトルとURLをコピーしました