レイ・ダリオは本書で、国家財政の危機を「大きな債務サイクル(Big Debt Cycle)」の視点から説明する。政府の債務循環は個人や企業の場合と同じ原理で進むが、通貨発行権と徴税権を持つ政府は特有の動きをする。ダリオはこれを人体の循環器系になぞらえ、債務が過剰に積み上がると経済が「プラーク」のように詰まり、経済活動(支出)が圧迫されると指摘する。やがて債務返済(利払い)圧力が高まると市場では国債の需要不足が生じ、政府・中央銀行は①金利上昇による市場縮小か②通貨発行による債務ファイナンスか、いずれかの政策に追い込まれる。いずれも望ましい方法ではなく、特に後者の金融緩和(マネタイズ)を続けるとインフレが加速し、中央銀行の資産(低金利固定の国債)と負債(高金利支払義務)の間に巨額の逆ざやが生じる。結果として中央銀行は会計上で債務超過に陥るケースも歴史上何度も観察されている。
ダリオは典型的な債務危機の進行を9つのステージにまとめている。主な流れは次のようである(『大きな長期債務サイクル』の章より):
- 民間・政府部門が債務過多になる
- 民間部門の救済のため政府債務がさらに増える
- 政府債務で需要不足(債務スクイーズ)が始まる
- 債務スクイーズによって通貨安・金利急騰が起こる
- 政府が追加的に国債を発行し、中央銀行が買い入れる(マネタイゼーション)
- 「中央銀行の破綻」とも呼ぶステージに入り、中央銀行が巨額の債務超過に陥る
- 政府債務のリストラ(債務削減)が始まる
- 資本規制や課税などで残余債務を均衡に戻す
- 債務と通貨価値のバランスが回復する
こうした長期サイクルは概ね80年程度(一人の寿命に近い)で区切りが訪れるとし、一世代に一度、国家・帝国の金融・政治・地政学的秩序が大きく変動するという。ダリオはさらに、債務サイクルは国内外の政治・社会的変動、テクノロジー進展、自然災害など複数の「大サイクル」と連動し、これらが重なり合って「全体的大サイクル(Overall Big Cycle)」を形成すると説明する。例えば、現下のコロナ禍以降の財政出動や米中貿易摩擦は結局、1930年代の大恐慌と同じように「米株・米国債・ドルの三重安」を引き起こしつつあると指摘する。本書ではこうしたメカニズムに基づき、第二次世界大戦後から現在に至る米国の債務サイクルを詳細に分析するとともに、中国・日本など他の国の長期サイクルも例示している。
テーゼ(ダリオの主張)
- 必然的な「大きな債務サイクル」: ダリオは、政府債務が増え過ぎた際の基本的メカニズムを繰り返し観察可能なテンプレートとしてモデル化している。例えば、財政赤字拡大によって債務残高が急増すると、やがて税収に対する利払い負担比率が肥大化し、債務償還ができなくなる点を強調する。その時点で中央銀行が国債買い入れを拡大すれば通貨が下落しインフレとなるし、金利上昇で放置すれば景気が冷え込むという「いずれも苦しい選択」に追い込まれる。ダリオは、このプロセスが最後には中央銀行の財務悪化(実質的な債務超過)につながる歴史例を指摘しており、主要国は財政規律を維持しなければ「経済の心臓発作」に相当する危機を迎えると警告する。
- 世界秩序の転換: 彼の分析では、この債務サイクルは単独で作用するのではなく、政治・地政学・技術革新など他のサイクルと重なり合っている。その結果、アメリカを中心とする既存の金融・政治秩序が「一生に一度あるかないか」の規模で揺らいでおり、アメリカの衰退と中国の台頭が進行していると見る。実際、ダリオ自身は貿易摩擦や債務不均衡は「主に症状であり病根ではない」と述べ、背後にある深刻な経済・財政構造の変化に注目すべきだと主張する。
- 具体的な提言: ダリオは米国債務の将来シナリオも検討しており、現状の債務成長率を放置すると最終的に破綻リスクに至ると見る。一例として、2024年時点の予想財政赤字(GDP比約7.5%)をおよそ**3%**程度に抑え込めば、債券需給の不均衡は大幅に緩和できると指摘した。これは増税・歳出削減などの手段を通じて財政再建を行う必要性を示すものである。全体として彼のモデルからは、各国が「健全な通貨政策」と財政健全化を優先すべきだという結論が導かれている。たとえば、借金に頼りすぎた経済を立て直すには、基礎となる税収の増強(賃金上昇・雇用拡大・市場活性化など)と歳出抑制の組み合わせが必要だと提言している。
アンチテーゼ(批判的視点)
- 歴史パターンの一般化への懸念: ダリオは債務危機を歴史的に繰り返されるパターンとして捉えるが、批判者はそれが現代の複雑な金融・経済環境にそのまま当てはまるか疑問視する。Evaiの書評も指摘するように、ダリオの「型」モデルは過去65件以上の事例に基づく体系だが、現代では政策ツールや市場構造、人口動態などが変化しており、単純なパターンマッチングだけでは全てを説明できない可能性がある。たとえば、過去には通貨が金本位に縛られていた時代もあるが、現在は米ドルが基軸通貨として需要が高く、赤字国債の吸収も国際的に比較的容易である。このように、同じ「債務サイクル」でも状況次第で傾向や結果が大きく異なりうると批判されている。
- 政策的・学説的立場の違い: ダリオの論調は結果として財政保守的・金本位制的な色彩が強く、主流の経済学者からは見解が偏っているとされる。近年支持を集めている現代貨幣理論(MMT)などでは「自国通貨建て債務は事実上いくらでも増やせる」と考えるため、ダリオが想定する「破綻シナリオ」は極端だと見なされる。実際、MMTの立場では政府は財源を中央銀行による通貨発行で賄えるためインフレにさえ注意すれば、債務上限は存在しないとされる。また、一部の評論家は「アメリカのような基軸通貨国が破綻することはありえない」とまで述べ、通貨価値の下落や時間稼ぎを通じて財政問題は回避可能と主張する。これらの見方からは、ダリオが借金拡大への警戒を声高に唱えても、必ずしもデフォルト直前の状態を意味しないという反論がある。
- 代替シナリオの提示不足: さらに、ダリオは異なる経済理論や政治的視点との比較をあまり行っていない点も批判される。例えばダリオは政府債務の無制限拡大を否定的に捉えがちだが、ケインズ派の経済学者や中央銀行関係者の中には「適度な赤字は経済成長に寄与しうる」という立場もある。これらの異論に対する論証や議論が書中で十分になされていないため、モデルの適用範囲や結論の普遍性に疑念が残ると指摘されている。
ジンテーゼ(総合的見解)
ダリオの分析には、豊富な歴史資料と事例に基づく体系的なモデルという強みがある。実際、世界経済は近年も増大する財政赤字や経済格差、米中対立などの圧力下にあり、ダリオが警告する財政健全化の必要性には一定の妥当性がある。一方で、現代の先進国経済では中央銀行の金融政策能力がかつてなく大きく、財政破綻に陥る過程も多様化している。つまり、すべての危機がダリオのモデルどおりに展開するわけではなく、インフレ管理や金融緩和、国際資本フローなどがリスクを回避する役割を果たすこともある。したがって、ダリオの「国家破綻サイクル」は貴重な分析視点だが、これだけに頼るのではなく、他の経済理論や政策選択肢も考慮した上で、国の財政運営を多角的に検討することが望ましいだろう。
出典: レイ・ダリオ著『How Countries Go Broke: The Big Cycle』および同書に関する評論・報道など。
要約
レイ・ダリオの新著『How Countries Go Broke: The Big Cycle』の要約は以下のとおりである。
ダリオは国家の財政破綻が起こるメカニズムを「大きな債務サイクル(Big Debt Cycle)」として説明した。これは、国家が過度な債務を負い、その返済が困難になる過程を示している。サイクルの中で債務が膨張すると、中央銀行は金利上昇か通貨増発(マネタイゼーション)のいずれかを選ぶしかなくなり、結果としてインフレ、通貨安、さらには中央銀行自体の債務超過(財政破綻)に至ると指摘している。
また、ダリオはこの債務サイクルが約80年周期で発生し、他の地政学的・社会的変化と重なり、世界秩序そのものが揺らぐ事態を生み出すと警告している。米国の現状を踏まえ、具体的には財政赤字をGDP比で一定レベルに抑制しないと破綻のリスクが高まることを示唆し、財政健全化の必要性を強調している。
一方、批判的な視点として、ダリオが歴史的パターンを現代経済にそのまま適用することや、現代貨幣理論(MMT)の立場など、異なる経済理論との対比をあまり深く扱っていないとの指摘もある。
総合的には、ダリオの分析は重要な視点を提供しているが、実際の政策運営では多様な理論や政策選択肢を含め、多角的な視点から財政問題を検討する必要があるだろうと結論づけられる。
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