定立
『世界経済の死角』が提示する中心的な主張(定立)は、「世界経済には日本人が見過ごしがちな盲点(“死角”)が数多く存在し、それを直視しない限り将来を見通せない」という警告です。著者らはまず、日本経済がこれまで以上に世界経済へ依存を深めている現状と、その一方で国際金融市場の変動の背後に潜む構造的リスクを指摘します。そして、こうした死角を把握せずして未来の展望は描けないと強調し、日本に対し強い危機感を促しています。
本書で論じられる主な「死角」は多岐にわたります。例えば、以下のような点です。
- 日本の賃金停滞の構造要因: 生産性低迷という通説では説明できない、日本企業の組織文化や硬直的な雇用慣行が賃金を抑制している現実。
- 市場を動かす心理と物語: トランプ政権の通商・通貨政策は合理的な経済利益よりも国民が納得する「公正さの物語」を優先しました。経済は数字だけでなく、人々の心理やナラティブによっても大きく左右されることを示す例です。
- 通貨体制の見えざる危うさ: 「有事の円買い」という神話が崩れ、円安批判がタブー化してきた背後には政治経済的な利害構造が潜んでいます。著者らはこの点を暴き、現在のドル基軸通貨体制が将来も盤石とは限らないと疑問を投げかけます。
- 技術進歩と中間層への圧力: AI(人工知能)の発展や外国人労働者の増加によって中間層の雇用・所得が脅かされています。技術革新が生産性を上げても、その恩恵が賃金や生活向上に直結せず、むしろ格差を拡大しかねない現実が浮き彫りになります。
著者たちはこのように世界経済の盲点を網羅的に洗い出し、データの表面には現れにくい構造変化やリスクを示しています。読者はそれにより「盲目的な楽観主義」から脱却し、未来に備えるための視座を得ることができます。最終的に彼らは「国際金融の死角を直視しなければ、日本は世界経済の荒波に飲み込まれる」とまで警鐘を鳴らし、世界の変動を多面的に理解する重要性を訴えています。
反定立
この定立に対し、現実にはいくつかの反論や異なる視点(反定立)も存在します。第一に、世界経済の基盤は依然として強固であり、ドルの基軸通貨体制も当面は揺るがないとする見解があります。代替となる通貨や国際金融体制が十分育っていない以上、ドルの覇権は今後も続くだろうという主張です。第二に、日本が世界経済に深く組み込まれている現状は、むしろ安定の源泉だという考え方もあります。海外投資やグローバルなサプライチェーンへの参加はリスク分散につながり、低成長ながら日本は低失業率や社会の安定を維持してきました。したがって、世界経済への依存を過度に不安視する必要はないという意見です。
第三に、技術革新やグローバル化は長期的に見れば社会を豊かにするとの楽観的な見方も根強くあります。AIによる生産性向上が一時的に雇用構造を変えても、新たな産業や職種の創出によって最終的には生活水準が向上する可能性が期待されています。外国人労働者の受け入れについても、多様な人材の活用が経済に活力を与え、中間層の維持につながるとする論調があります。第四に、トランプ政権のような政治的ショックに対して市場や各国政府は適応し、国際経済秩序は大局的に維持されたとの指摘もあります。保護主義的な揺り戻しが一時的に起きても、各国の政策協調や企業の調整努力により大きな混乱は回避されました。さらに、経済の予測や分析において「データに基づくモデルで十分対応可能で、ナラティブ要因を過大視すべきではない」という立場もあるでしょう。要するに、著者らが指摘するリスクを認めつつも、それらは既に織り込み済みで制御可能であるとか、危機は著者の懸念ほど深刻ではないと考える見解が反定立として存在するのです。
総合
定立が示す警鐘と反定立が示す安心感は対立するように見えますが、両者を統合することでより高次の理解(総合)に到達できます。つまり、世界経済の現状に対して無邪気に楽観することも、悲観一色で捉えることも避け、両者の知見を組み合わせる姿勢が重要だということです。著者らの訴える盲点への注視は、現状維持に潜む危機を見逃さないために不可欠です。一方で反定立側が強調する現在の経済システムの適応力・回復力も無視できません。総合的な視座に立てば、私たちは既存体制の強みを活かしつつ、その陰に潜むリスクを先読みして対策を打つという柔軟で戦略的なアプローチを導き出せます。
具体的には、ドル一極体制に安住せず多極的な通貨体制への移行に備えると同時に、ドル基軸の下で築かれた金融ネットワークの安定も維持する、といったバランス感覚が必要でしょう。また、日本経済についてはグローバルな連携を活かしつつ国内の構造改革(賃金制度や生産性向上策)を進め、技術進歩による恩恵を社会全体に行き渡らせる安全網を整備することが求められます。このようにリスクの認識と現状の強みを両立させることで、日本は世界経済の荒波に飲み込まれるどころか、変化をチャンスに転じていく主体性を持てるのです。盲目的な楽観と過剰な悲観を超克し、構造と物語の両面から世界経済を見つめることで、より高次の視座が得られるでしょう。
要約
『世界経済の死角』は、日本人が見落としがちな盲点を指摘して警鐘を鳴らします(定立)。一方、ドル体制の安定や技術進歩の恩恵を強調し、悲観論に異を唱える見方も存在します(反定立)。両者を統合することで、現状の強みを活かしつつリスクに備えるバランス感覚が導かれます(総合)。この弁証法的アプローチにより、世界経済を読み解くためのより高い視座が得られます。
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