ニクソンショック後のドル価値保存:金本位制からペトロダラー体制へ

テーゼ(正):金本位制に基づいたドルの価値保存体制

第二次世界大戦後、アメリカ主導でブレトン・ウッズ体制が構築されました。ドルを基軸通貨とし、1オンス=35ドルの比率でドルと金が結び付けられる金本位制が採用され、各国通貨はドルとの固定為替相場に連動しました。これによりドルの価値は実物資産である金によって裏付けられ、ドルは「金と兌換可能な通貨」として高い信認を獲得しました。各国中央銀行はドルを外貨準備として蓄積し、必要に応じてアメリカから金に交換できる保証があったため、ドルの国際的価値保存が図られていたのです。

この金本位制に支えられたドル体制の下で、戦後の国際経済は安定と成長を享受しました。ドルは「世界の銀行」として機能し、各国の貿易と復興を支えました。アメリカは莫大な金準備高を背景にドルの信用を維持し、ドルの価値は長期間安定しました。ドルの価値保存は金本位制というテーゼ(正)の下で盤石に保たれていたのです。しかし、1960年代後半になると経済状況の変化によりこの体制にひずみが生じ始めました。

アンチテーゼ(反):ニクソンショックによる金本位制の崩壊とドル不安の拡大

1960年代後半、アメリカはベトナム戦争の軍事費や国内の大規模支出により国際収支が悪化し、ドルの大量発行を余儀なくされました。ドルの供給拡大に対し、アメリカの金保有高は相対的に不足し始め、ドルと金の等価関係に市場の不信感が生まれます。各国はドルの信用に疑念を深め、フランスのド・ゴール政権をはじめとする諸国がドルを金に交換しようとしたため、アメリカの金準備は急速に減少しました。もはや従来の金本位制を維持できなくなったアメリカは、1971年8月にニクソン大統領がドルの金兌換停止(いわゆる「ニクソンショック」)を電撃的に発表します。これによりブレトン・ウッズ体制は崩壊し、ドルは金という価値の錨(アンカー)を失ってしまいました。

金本位制崩壊後、各国通貨は固定相場から変動相場制へ移行し、ドルは管理通貨制度(信用貨幣)へと移りました。裏付け資産を失ったドルに対する信認は揺らぎ、ドル不安が世界的に広がりました。実際、1970年代初頭にはドルの対外価値が下落し、アメリカ国内でもインフレが加速して「スタグフレーション」に陥るなど、ドルの価値は不安定化しました。

さらにドル安は産油国にも大きな影響を与えました。石油がドル建てで取引されていたため、ドル価値の下落は産油国の実質的な収入減を意味しました。OPEC(石油輸出国機構)諸国は、自らの資源の価値がドル安で目減りする事態に不満を強め、原油価格の見直しを求め始めます。1973年、第4次中東戦争(十月戦争)の勃発を契機にアラブ産油国はアメリカなど親イスラエル諸国への石油禁輸措置を発動し、第一次石油危機が起こりました。このとき表面的には政治的報復が理由とされましたが、背景にはドル安に対する産油国の不満と、自国資源の価値を守ろうとする動きがありました。原油価格は短期間で倍増・四倍化し、世界経済は深刻な打撃を受けます。ドル基軸の国際経済秩序が揺らいだこの状況は、金本位制というテーゼに対するアンチテーゼ(反)の現れでもあり、ドルの価値保存体制は危機に瀕しました。

ジンテーゼ(合):石油取引のドル建て化(ペトロダラー体制)による新たな価値保存メカニズムの形成

ニクソンショックと石油危機で露呈したドル体制の動揺に対し、アメリカはドルの価値と国際的地位を再び安定させるための新たな方策を模索しました。そこで着目されたのが、世界経済に不可欠な資源である石油を通じたドルの価値裏付けです。1974年以降、アメリカは最大の産油国であるサウジアラビアとの関係強化を図り、秘密裏に**「石油ドル」体制(ペトロダラー体制)**を構築していきました。具体的には、サウジアラビアをはじめとするOPEC産油国に対し、石油輸出代金の決済通貨として引き続きドルを使用することを取り決めたのです。見返りにアメリカは産油国(特にサウジ)への安全保障の提供や経済支援、余剰資金の受け入れ先(米国債などへの投資機会)を保証しました。この協調により、石油取引は世界的にドル建てで行われることが事実上の標準となり、各国は石油を買うためにドルを確保せざるを得ない構造が生まれました。

こうして成立したペトロダラー体制の下、ドルは金の代わりに石油需要によって支えられることになります。世界中で石油がドルで取引されるため、ドルに対する継続的な需要と流動性が確保され、通貨としてのドルの信用が下支えされました。これは金本位制崩壊後の混乱に対するジンテーゼ(合)として、ドルの新たな価値保存メカニズムとなったと言えます。また、この合意を通じてアメリカとサウジアラビアを中心とする産油国との関係も、1973年の対立的局面から相互協調へと転換しました。アメリカは中東産油国との同盟関係を深めることで安定的な石油供給とドル体制の維持を図り、産油国側も安定収入と国際的影響力を得るという、地政学的・経済的な利害の一致が生まれました。

ペトロダラー体制により、1970年代後半以降ドルは再び相対的な安定を取り戻し、国際基軸通貨としての地位を維持することに成功します。表面的にはドルはもはや何ものにも交換不可能な「信用貨幣」ですが、実態としては世界最大の資源である石油と結び付くことで需要と価値を保つ構造が確立しました。ニクソンショック後にドルが原油と紐づけられて価値保存が図られたのは、まさにこのペトロダラー体制の形成によるものだったのです

要約

戦後の金本位体制で信認を得ていたドルは1971年のニクソンショックで裏付けを喪失し、価値の危機に直面した。しかしその後、石油取引のドル建て化という新機軸(ペトロダラー体制)がドル需要を下支えし、ドルは新たな価値基盤を得て基軸通貨としての地位を維持した。

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