問題意識
ロイターは2025年10月、欧州連合(EU)欧州委員会がロシアの凍結資産をウクライナ支援に活用する計画を提案したところ、一部の中央銀行が動揺し、外貨準備の政治的安全性を高めるため金の購入を加速する可能性があると報じた。アナリストによれば、凍結資産の活用によって西側以外の地域で金の買い増しが続くという。本件をめぐる是非とその影響を検討する。
テーゼ(主張)
ロシアへの制裁の強化とウクライナ支援の必要性
ロシアの侵攻により同国中央銀行の外貨準備約3000億ドル相当が凍結され、EU域内で最大1850億ユーロが凍結された。EU委はこの資産を押収せずに活用し、ウクライナに財政支援を行う案を示した。国際法上ウクライナは全面的な賠償を受ける権利があるが、ロシアが応じる見込みはないため、凍結資産だけが現実的な財源だという見方もある。G7各国は2024年のサミットで「Extraordinary Revenue Acceleration(ERA)ローン」を設け、凍結資産が生む利子を原資にウクライナへ500億ドルを貸し付ける枠組みを作った。今後はEUの凍結資産利用計画と合わせ、ウクライナの防衛と再建資金を確保しようとしている。
安全な資産としての金の魅力
一部の新興国や中国はロシアが外貨準備を凍結されたことを受け、西側の通貨や国債を手放し金に分散している。金は「誰の債務でもなく負債でもない」として、政治的リスクを回避したい中央銀行にとって魅力的だと専門家は指摘している。Metals Focusによると、中央銀行の金の年間純購入量は2022年以降、過去5年平均の2倍超となる1000トンを上回り、金価格は1オンス4000ドル超と過去最高を更新した。EUが凍結資産に手を付ければ金購入がさらに加速するという分析もある。
凍結資産活用の正当性と国際法上の論点
欧州委は凍結資産を没収せずにゼロクーポン債へ投資する仕組みを提案し、将来ロシアから賠償を得られた際に返済する「賠償ローン」を構想している。一部の学者や政治家は、ロシアの中央銀行資産を没収すること自体を正当な制裁手段と捉え、ウクライナ復興や軍事支援に充てるべきだと主張している。凍結資産に付く利息をEU基金に拠出する仕組みは既に実施されており、2024年と2025年にベルギーを通じてそれぞれ約20億ドルがウクライナに送られた。資産を担保として使う案はEU諸国で支持が広がっている。
アンチテーゼ(反論)
国際法と主権免除の壁
凍結はあくまで使用制限であり、没収・移転には明確な法的根拠がない。国際法では国家の資産は主権免除により執行から保護され、私有財産の没収は人権侵害となり得る。EUのシンクタンクは、凍結資産を没収する正当性に関して専門家の意見が割れており、法的な前例や普遍的な根拠がないため政治判断が大きく左右すると指摘する。Brookings研究所も、EUやG7は資産の没収に同意しておらず、国際的な規範を損なうことへの懸念が強いと報告している。
金融システムへの信頼低下と報復リスク
ロシアの外貨準備が凍結されたことで各国中央銀行は西側金融機関に対するリスクを意識し、金への分散を進めている。欧州が凍結資産を実際に活用すれば、ドルやユーロ建て資産を避ける傾向が強まり、世界の準備通貨としての地位が揺らぐ恐れがある。Brookingsは、ECB総裁やベルギー政府が資産没収に反対しており、ユーロの信頼や金融システムに対する報復を懸念していると報告している。ベルギー首相は資産没収を「戦争行為」とまで表現している。ロシア政府は没収が国際法違反だとしてあらゆる法廷で争うと警告し、ロシア国内の欧州企業資産を差し押さえるなど報復措置を示唆している。
法的手続きや政治的統一の難しさ
凍結資産の多くはユーロクリアに預けられた債券の償還資金である。EU計画ではこれを欧州委員会が発行する債券に投資するが、ベルギーやハンガリーなど一部加盟国は法的リスクや政治的異議から賛同していない。G7が決めたERAローンは利息収入を原資とするもので、元本への手出しは各国政府の保証が必要となる。EUでは全加盟国の同意が求められ、ロシア寄りの国が制裁継続を妨げる可能性がある。仮に没収が実施されれば、戦時下の緊急措置として一度きりにとどまるのか、それとも将来の紛争でも同様の措置が採られるのかという線引きも不明確である。これが国際金融秩序に長期的な不確実性をもたらすとの指摘がある。
総合(シンセシス)
欧州委の提案は、ロシアによる侵略への対抗として凍結資産を活用し、ウクライナ支援を強化しようとする試みである。戦争で生じた甚大な被害を考えれば、加害国の資産を復興資金に充てるという道義的な主張は理解できる。一方で、国家資産の没収は国際法上前例がなく、主権免除や財産権の保障を侵す可能性が高い。また、凍結資産の活用が現実化すれば、各国が西側金融システムを政治的に安全でないと判断し、外貨準備を金やその他の資産に分散させる動きが加速する懸念がある。こうした反作用はドル・ユーロ体制への信頼を揺るがし、EU自身の金融市場に跳ね返る恐れがある。
このジレンマを解消するためには、以下のような折衷的なアプローチが考えられる。
- 利息収入の活用と法的枠組みの整備:現在実施されているように、凍結資産が生む利息をウクライナ支援に充てる仕組みを拡充し、元本への手出しはロシアが賠償に応じるまで留保する。並行して、戦争賠償や制裁資産の活用に関する国際的な法制度を整えることで、恣意的な没収を防ぎつつ被害国救済の道を開く。
- 凍結資産を担保とする低利ローン:EU委の提案のように、ユーロクリアに滞留する現金を欧州委発行の債券に投資し、その資金をウクライナに貸し付ける。元本返済は将来の賠償金で行い、加盟国は限定的な保証を提供する。これにより法的リスクを抑えつつ資金調達が可能となる。
- 中央銀行の信頼確保:西側諸国は凍結資産活用が例外的かつ限定的な措置であることを明確にし、国際金融システムへの信頼維持に努める必要がある。また新興国の資産多様化に対応し、金市場や他の安全資産の透明性を高める政策も検討すべきである。
まとめ
- EUはロシアの凍結資産(約1850億ユーロ)を押収せずにウクライナ支援に使う計画を提案した。これに対し、一部中央銀行は政治的リスクを懸念し金購入を加速している。
- Metals Focusによれば、中央銀行の金の年間純購入量は2022年以降1000トン超と急増し、金価格は1オンス4000ドル超と過去最高を記録した。EUが資産を活用すれば購入はさらに増えると分析されている。
- 凍結資産を没収する法的枠組みは存在せず、主権免除や財産権の観点から国際法上の障壁が大きい。EU内でも意見は分かれ、ベルギーやECBは金融システムへの影響を懸念している。
- ブルッキングス研究所は、G7とEUが没収ではなく利息を活用するERAローンを採用していると報告し、多くの国が没収には慎重であると述べている。
- 弁証法的には、戦争の加害国から復興資金を引き出す道義的な要請と、国際法・金融秩序への影響という相反する要因が存在する。利息収入の活用や担保ローン、国際的な法制度整備といった中間案が双方の懸念を和らげる可能性がある。
コメント