第二次世界大戦前後の日本を振り返ると、四方を海に囲まれた「海の堀」を持ちながらも、日本は専守防衛ではなく米英蘭などへの攻勢を選んだ。以下は、その理由と専守防衛策の可能性を検討した文書の要点です。
- 資源の枯渇と経済的圧力 – 当時の日本は石油やゴムなど軍需物資のほとんどを輸入に頼っており、米英蘭が相次いで輸出禁止措置を行うと石油の94%を失う事態となった。陸海軍は、南方の油田やゴム地帯を占領して自給体制を築こうとし、外交交渉が不調に終わると「南方進出」が必要だとの認識が強まった。
- 軍事思想と短期決戦ドクトリン – 日本海軍はアルフレッド・マハンの「艦隊決戦」理論に影響され、真珠湾攻撃で米太平洋艦隊を一挙に壊滅させることを目指した。これは長期戦に耐えられない日本が早期に講和を得ようとした賭けだったが、米国の参戦意欲を過小評価したため誤算となった。
- 軍国主義と陸海軍の対立 – 天皇を神聖視するイデオロギーと攻勢第一の思想が防御策を「軟弱」とみなす風潮を生み、陸軍はソ連への対抗、海軍は米英への対抗とそれぞれ別の仮想敵を掲げて協力が遅れ、戦略の整合性を欠いた。
- 専守防衛が採用されなかった理由 – 資源封鎖下では輸入停止による軍需枯渇は避けられず、持久戦に耐えられる工業力もなかったため、専守防衛でも自滅に等しいと判断された。また、米国は中国撤退などの譲歩を求めており、単に防御に回っても制裁が解除される保証がなかった。
- 反証的考察:もし専守防衛を採っていたら – 南方進出をやめた場合、半年ほどで石油備蓄が尽き、軍や経済は立ち行かなくなる。外交的譲歩には中国大陸からの撤退が不可避であり、軍部や国民の強い反発によって政権が不安定になった可能性が高い。本土近海での防御に集中すれば米軍に損害を与えられるかもしれないが、制海権・制空権を失った日本本土は空襲と海上封鎖に晒され、都市の壊滅や飢餓が早まると予想される。
- 総合的評価 – 地理的条件から専守防衛は一見合理的に見えるが、当時の日本は資源不足と軍国主義の中で短期決戦思想にとらわれており、外交的妥協や国内体制の改革なしに防御へ転換するのは極めて困難だった。仮に専守防衛に徹しても、資源枯渇や兵站破綻を免れることは難しく、戦争の長期化によって犠牲が増すだけだったという結論に至る。
このように、当時の日本が攻勢を選択した背景には資源危機と軍事思想の制約があり、防御策を採っても資源不足や国内政治の課題から戦争を避けられなかった可能性が高いと分析されていました。

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