揺らぐドル覇権:基軸通貨は「不滅」か「相対化」か


テーゼ:ドル覇権は当面揺らがない

  1. ネットワーク効果と流動性
    ドルは国際金融システムの中心的な決済通貨であり、ドル建て取引の多さが他の取引主体にもドル建て資産の保有を促すという自己強化的な仕組みが存在します。ドル建て資産への需要が高まるほど米国債の価格は上昇し、ドル金利は低下し、ドル建て取引がさらに広がるという循環が続いてきました。DWSの報告でも、外国為替取引の9割がドルを仲介通貨として使っており、この「車軸通貨」としての機能は依然強固だと指摘されています。
  2. 代替通貨の不在
    代替候補であるユーロは、欧州連合が銀行・資本市場同盟を十分に構築できておらず、政治機能の不全が足かせとなっています。また、中国の人民元は政府による統制と資本市場の未成熟さが障害になっています。Brookingsの論考も同様に、ユーロは加盟国別に発行される国債がバラバラで、人民元は厳しい資本規制や流動性の低さが問題だと述べています。
  3. 米国の経済・金融制度への信認
    米国には深く流動的な金融市場と安全資産としての米国債があり、世界的なリスク回避局面ではドルが安全通貨として買われる傾向が続いています。米国の資本市場が適切に機能し、高いインフレや金融不安を回避している限り、ドル中心の仕組みの恩恵は広く共有されます。CFRの背景解説では、専門家の多くがドルが近い将来に他の通貨に取って代わられることはなく、むしろ他通貨との影響力の共有が徐々に進む程度だと予測しています。
  4. デジタル・ドルや安定通貨の展開
    2025年に米国で成立した「GENIUS法」によって米ドル建てステーブルコインの規制環境が整備され、トランプ政権はドル覇権維持の手段としてドル建てステーブルコインの国際展開を推進しています。これにより世界的な決済でもドル利用が強化され、米国債など安全資産への需要を高める狙いがあります。

アンチテーゼ:ドル覇権の長期的リスク

  1. 貿易分断と制裁乱用
    トランプ政権は関税や制裁を強化することで国内製造業の保護とドル安政策を同時に進めようとしています。しかし、貿易の分断はドル建て取引の減少を招き、ドルで低コストに資金調達できる優位を損なう恐れがある。制裁の乱用は各国に脱ドル化のインセンティブを与え、BRICS諸国などが共通通貨や独自の決済網の開発を検討する動きを加速させます。実際、OMFIFの調査では中央銀行の約70%が政治・経済リスクからドル資産を減らす方針だと報告されています。
  2. 財政赤字と信用低下
    米国の巨額財政赤字と政治的分断は、投資家の信認を損なう要因です。ドル建て資産が安全でないのではないかという懸念が広がりつつあり、債務が膨らめばインフレによって負担軽減を図る可能性があるとの議論もあります。DWSの分析でも、トリフィンのジレンマ(世界にドルを供給するための対外赤字)が財政の持続性を脅かし、信認の低下がドルシステムを不安定にすると警告されています。
  3. 新技術と代替決済網
    ブロックチェーン技術や中央銀行デジタル通貨(CBDC)の登場により、通貨ペア間の直接決済が簡便化し、ドルを介さずに決済を行う仕組みが整いつつあります。中国は人民元のデジタル通貨やCIPS(人民元決済網)を拡張し、インドやロシアなどと直接通貨決済を進めています。DWSも、デジタル人民元や別の決済システムがドルの影響力を弱める可能性を指摘し、通貨バスケットやステーブルコインなどが将来的に代替手段になり得ると述べています。
  4. ドル資産の安全性への疑問
    財政赤字の膨張に加え、FRBの独立性が政治介入によって揺らぐリスクが浮上している。さらに、ドル建てステーブルコインを大量に発行している民間事業者の破綻は米国債の急売りを招き、短期金利を急騰させる可能性があると指摘されています。こうした金融不安はドルへの信頼を低下させ、投資家の資産分散を促します。

ジンテーゼ:多極化への適応とドル覇権の条件

  1. 段階的な分散と共存
    現時点でドルの地位を直ちに置き換える現実的な代替通貨は存在しないものの、各国が貿易や外貨準備で多様な通貨を採用する傾向は強まるでしょう。CFRは、ドルが他通貨と影響力を共有する未来を想定しており、過度な制裁や米国の金融不安がこの傾向を加速すると警告しています。DWSも、ドルが最重要通貨である一方で、中央銀行や資産運用会社の多くが長期的にはドル依存からの脱却を視野に入れていることを示しています。今後はドル、ユーロ、人民元、そして将来的なデジタル通貨が併存する多極的な通貨秩序が形成される可能性が高く、ドルの優位性は相対的に低下するでしょう。
  2. 持続性の条件:制度の信頼回復
    ドルの基軸通貨としての地位を長期的に維持するには、米国が独特の制度的優位性—深い金融市場、法の支配、健全なマクロ経済政策—を維持することが不可欠です。Brookingsの専門家は、米国が金融制裁の乱用を避け、国際協調を重視し、責任ある経済運営を続けることが信認維持の鍵だと述べています。同時に、財政再建や政治の安定を通じて投資家の信頼を回復しなければなりません。
  3. 技術革新との共生
    デジタル通貨やブロックチェーン技術は従来のドル中心の決済システムを補完するものであり、米国が標準策定やインフラ整備に積極的に関与すれば、ドルの国際的役割を新しい形で維持できる可能性があります。たとえば、ドル建てステーブルコインやFedNowなどの即時決済ネットワークを通じて決済の利便性を高めることは有効な戦略ですが、規制や金融安定への配慮が必要です。海外でのCBDCや独自決済網の拡大に対応するため、国際協調を通じた相互運用性の確保が求められます。
  4. 倫理と価値観の共有
    CFRは、ドルが世界的に指導的な役割を果たすことで国際金融システムに米国の価値観(例えば人権や透明性)が組み込まれてきたと指摘します。多極化が進んだ場合、こうした価値観が希薄化する可能性があるため、米国は信頼を確保しつつ他国と共通の規範形成を進める必要があります。

要約

米ドルが世界の基軸通貨として持つ「覇権」は、便利さとネットワーク効果が生む自己強化的な仕組み、深い米金融市場と安全資産の存在、そしてユーロや人民元といった代替通貨の欠点によって支えられています。多くの専門家は、ドルが当面は主要な準備通貨の地位を維持すると予測しており、実際にはドル建て債務の残高が増えるなど役割がむしろ拡大している側面もあります。

しかし、トランプ政権の保護主義や制裁乱発、巨額の財政赤字と政治的分断は、各国に脱ドル化の動きを促し、中央銀行の7割がドル資産の削減を検討しているとの調査もあります。デジタル人民元や独自決済網など新しい技術的手段も、ドルを介さない取引を可能にしつつあります。ドル建てステーブルコインの普及策は覇権維持の一環ですが、発行体の信用不安が米国債市場を混乱させるリスクも指摘されています。

総じて、ドルの優位性が直ちに失われる兆しはないものの、世界経済は複数通貨が併存する多極的な構造へと緩やかに移行しつつあります。米国が覇権を維持するには、財政と政治の信頼性を回復し、技術革新を活かしながら国際協調を重視することが不可欠です。

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