実効支配の論理:千島列島の先例から読み解く台湾危機


序論 – 千島列島と「実効支配」という教訓

第二次世界大戦の終結期、ソ連(現ロシア)は日ソ中立条約を破り、日本がポツダム宣言を受諾した後も攻撃を続け、1945年8月28日から9月5日の間に北方四島(択捉島・国後島・色丹島・歯舞群島)を占領しました。その後、ソ連は法的根拠がないまま島々を自国領に編入し、1949年までに住民約1万7千人を強制的に追放しました。日本政府は現在も北方領土返還を求め、ロシアの占拠を「違法」と位置付けています。

この占拠は地理的理由から維持されています。南千島列島はオホーツク海と太平洋を分け、豊富な漁場と温泉・希少金属を持ち、ロシアにとって海洋アクセスと資源の確保を意味します。ロシアは2015年頃からここをミサイル基地や軍施設として急速に軍事化し、海洋の出入口を押さえることで太平洋進出の橋頭堡としています。この「既成事実化」と長期支配は、国際法の正当性よりも実効支配と軍事的コストが優先される現実を示します。次節ではこの教訓を踏まえ、中国の台湾進攻の可能性を検討します。

中国の台湾に対する野望 – 戦略的価値と国内要因

国家目標としての「統一」

習近平政権は台湾統一を国家目標と位置付け、2018年の憲法改正で「台湾は中華人民共和国の神聖な領土の一部であり、祖国の完全統一を成し遂げることは全中国人民の神聖な義務である」と明記しました。習主席は統一を「中国民族の復興の本質」とし、2049年の建国100周年までに達成すると繰り返しています。一方、台湾は1949年以来独自の政府・経済・軍を持つ民主社会であり、台湾の頼清徳総統は2024年10月に「両岸は互いに従属しない」と述べ、中国が台湾を「母国」とすることは不可能だと強調しました。

台湾の地政学的価値

台湾は日本からフィリピンまで南北に延びる「第一列島線」の中央に位置し、その西側には幅約70〜220海里の台湾海峡、南側には南シナ海と太平洋を結ぶバシー海峡があります。この海峡は東アジアと欧州を結ぶ主要航路であり、中国の長江デルタや珠江デルタ経済圏から出る船舶の要衝です。台湾海峡は中国近海三海域(黄海・東シナ海・南シナ海)を結ぶ「戦略的通路」とみなされ、台湾が現状維持を保つことで中国海軍は三海域に分断されています。中国支配下になれば三海域が一体化し、人民解放軍は太平洋への自由な出撃基盤を得られます。

中国の戦略家は台湾を「海上防衛線」「防護スクリーン」と呼び、台湾・舟山・海南島を結ぶ弧が沿岸部を守ると論じます。逆に台湾が外国勢力の手にあると、中国本土の港湾や海上交通が敵の攻撃にさらされます。さらに、台湾を得れば第一列島線の「半封鎖状態」を破り、深海へのアクセスや戦略原潜の自由な航行が可能になります。このため中国では台湾統一が海洋進出の鍵との認識が強いのです。

経済価値 – 世界の半導体サプライチェーン

台湾は世界の半導体製造の中核であり、2024年には世界の半導体生産の約20%、ロジックチップの37%、最先端ロジックチップの92%を占めました。TSMCはスマートフォン用チップの70%、自動車用マイクロコントローラの35%を生産し、2024年の受託製造シェアは64%に達しました。この依存構造の下で、台湾を巡る全面戦争は世界経済に10兆ドルの損失を与え、封鎖のみでも2.7兆ドルの損失を招くと試算されています。半導体産業の要衝であることは、台湾が安全保障だけでなく世界経済にとって不可欠な存在であることを意味します。中国が台湾の半導体産業を掌握すれば、世界経済に対する影響力が飛躍的に高まる一方、施設の破壊や制裁によって中国自身の技術進歩が阻害される恐れもあります。

進攻の手段と課題 – 軍事侵攻とグレーゾーン戦略

軍事侵攻の困難

台湾上陸作戦には大規模な艦艇・輸送手段、制空権・制海権確保、複雑な補給が必要です。インド太平洋防衛フォーラムの記事は、上陸に適した深水港や砂浜が限られているため、人民解放軍は大量の兵員と装備を運ぶために全軍動員が必要になり、アメリカの介入を招けば全面戦争に発展すると指摘します。同記事は、台湾の山岳地形や都市密集地が侵攻軍の機動を阻むこと、島内に深水港や広い海岸が少ないため、上陸地点は限定され防御側が集中防衛しやすいことを強調しています。

さらに、台湾はアメリカ、日本、オーストラリアなどとの安全保障協力により、防空・対艦ミサイルや機動火砲などの装備を増強しています。米国は台湾関係法に基づき台湾の防衛を支援するとし、日本も自国防衛の一環として南西諸島の基地強化や反撃能力向上を進めています。2024年以降、米国と日本は平時から緊急時まで連携を強化し、指揮統制機構の再編やスタンドオフミサイル共同運用などを協議しています。これらは中国にとって大きな抑止力となっています。

グレーゾーン戦略とエネルギー封鎖

中国が全面侵攻ではなく、法的に曖昧なグレーゾーン行動や経済的圧力を優先する可能性も指摘されます。FDDの報告書では、中国が台湾の屈服を目指してエネルギー供給を絞る「エネルギー包囲」を計画していると述べています。具体的には、海上保安庁の検査を装った港湾封鎖、法規制やサイバー攻撃による燃料供給の遅延や混乱を引き起こし、台湾の政治的意志を削ぐ手法です。この戦略は段階的エスカレーションであり、初期行動は法的に控えめで周辺国の介入を誘発しないよう設計されています。

報告書はまた、台湾がエネルギーの約98%を輸入に依存し、電力の半分を液化天然ガス(LNG)、30%を石炭に頼っていることを指摘します。LNGターミナルや石炭荷揚げ港は西岸に集中し、中国のミサイルの射程内にあります。人民解放軍は演習を通じて封鎖シミュレーションを常態化し、台湾向け輸送路の混乱を狙っています。さらに、サイバー攻撃を通じてエネルギーインフラの制御システムに侵入し、供給停止や情報操作を試みています。

ロシアの先例からの学び – 国際的制裁の効力

ロシアのウクライナ侵攻に対して、西側諸国は前例のない経済制裁を実施しました。EUは2022年の全面侵攻後にロシア産石油の海上輸入を禁止し、天然ガス輸入も2027年までに停止する計画です。この結果、ロシアの石油輸出収入は2022年12月から2024年6月の間に大幅に減少し、国営ガス会社ガスプロムは2023年に巨額の赤字を記録しました。米欧が強力な制裁を実施したことは、ロシアに予想以上の経済的打撃を与えたとされます。

台湾危機のシナリオでも経済制裁は不可避でしょう。ブルームバーグ・エコノミクスは、台湾を巡る紛争が起きれば世界GDPの成長率が10ポイント減少し、中国自体も17ポイント減速すると推計しています。欧州外交評議会は、ウクライナ制裁から得られる教訓として「制裁の脅しが効果を持つためには、最も厳しい措置を含めて初めから明示する必要がある」と指摘し、EUが強力な制裁を示すことが中国の計算を変える可能性があると述べています。ロシアの経験は、予期せぬ欧州の結束が侵攻国に大きな打撃を与えること、そして制裁回避のために脱ドル化や自国通貨決済を進める動きがあることも示しました。

弁証法による分析 – 千島列島の先例と台湾進攻の可能性

弁証法的に考察するため、次の三要素に分けて分析します。

正(テーゼ) – 大国による実力行使の先例

千島列島の例が示すように、大国が軍事力で占拠した領土は、国際法や外交交渉が長期化しても返還されにくい。ロシアは北方四島を違法に占拠し、国際社会の非難や日本の返還要求にもかかわらず、資源確保や軍事的利益を優先して実効支配を続けています。また、ロシアが2014年にクリミアを併合し、2015年以降ウクライナ東部を侵略した際も、西側の制裁や外交的非難は即時撤退をもたらしませんでした。この先例は、国際法に違反しても力による既成事実が長期化する現実を示し、中国が台湾進攻に踏み切る際の心理的支えとなる可能性があります。

反(アンチテーゼ) – 台湾を巡る状況の違いと抑止要因

しかし、台湾をめぐる条件は千島列島と大きく異なります。主な反対要因は以下の通りです。

  1. 国際的な経済・安全保障の中心性 – 台湾は世界半導体供給の中心であり、その破壊や支配は世界経済に甚大な損失を与えます。完全占領は中国自身にも17ポイントのGDP減少をもたらすと予測されています。半導体工場を維持・運営するには西側の装置や設計ツール、技術者が不可欠であり、制裁下では運用困難になります。
  2. 地理的・軍事的障壁 – 台湾海峡は70〜220海里の天然の障壁であり、上陸可能な海岸線や港が限られます。台湾の山岳地形と都市密集地は侵攻軍に不利で、人民解放軍は大規模な兵力と補給を必要とします。さらに米国や日本の介入が見込まれ、侵攻は甚大な人的・経済的損失を伴います。
  3. 国際同盟と制裁の脅威 – 米国は台湾関係法に基づき台湾防衛への関与を明言し、日本を含む同盟諸国も連携を強化しています。ウクライナ戦争で示されたように、EUやG7が結束して制裁を発動すれば、輸出入制限や金融制裁が侵攻国経済に甚大な打撃を与えることが証明されました。中国は既に脱ドル化やSWIFT代替を進めていますが、西側市場への依存度は高く、総合的な制裁に耐えられるかは不透明です。
  4. 台湾社会の抵抗と政治の正当性 – 台湾は民主社会であり、侵攻に対して強い防衛意識を持ちます。インド太平洋防衛フォーラムは、台湾の人々が「民主主義と安全を守るため戦う」と団結し、侵攻軍の士気を削ぐだろうと指摘します。中国が武力統一を試みれば、台湾住民の抵抗運動や地下抵抗が長期化し、中国の統治正当性を損なう可能性が高いのです。

合(ジンテーゼ) – グレーゾーン支配の可能性と国際社会への示唆

正反両面の要素を踏まえると、中国が千島列島のように台湾を軍事占領して長期支配する可能性は低いが、別の形の「実効支配」を試みることは考えられます。具体的には、次のような合流点が浮かび上がります。

  1. 段階的な既成事実化 – 中国は軍事侵攻ではなく、グレーゾーン行動や経済的な包囲を通じて台湾の主権を徐々に侵食する可能性があります。FDD報告書が示すように、中国は法執行を名目とした沿岸警備隊の検査や航行規制、サイバー攻撃、LNG供給の遅延工作などを組み合わせ、台湾のエネルギー・経済基盤を揺さぶる戦術を計画しています。このような手法は国際法上曖昧であり、制裁発動や軍事介入のハードルを上げます。
  2. 制裁抑止と経済相互依存のせめぎ合い – ロシアに対する制裁の効果を見て、中国は制裁回避策を強化していますが、台湾危機では欧米・日本が半導体産業やエネルギー貿易を梃子により強力な制裁を課すことが予想されます。EUは最も厳しい制裁を予め示すことで抑止力を高めるべきだと提言されています。中国にとっては、侵攻に踏み切る前に世界経済や自身の成長への影響を精査する必要があり、経済相互依存が抑止として機能する可能性が高いでしょう。
  3. 地域同盟の強化と軍事抑止 – 米国・日本・オーストラリア・フィリピンなどの同盟網は、第一列島線に沿って基地整備と演習を強化しています。2023年以降、米国は在日米軍を統合司令部化し、日本との指揮統制をより緊密にする計画を進めています。台湾周辺でのプレゼンスが高まれば、中国は軍事侵攻の費用対効果を再評価せざるを得ません。
  4. 国内正当性のコスト – 習近平政権は民族統一を国内支持の柱とする一方、失敗すれば政権基盤が揺らぎます。千島列島問題のように、占領を続けても経済停滞や反発が拡大すれば、国内統治上のリスクが増大します。台湾攻撃は民族主義を刺激しますが、長期占領と反乱鎮圧に膨大なコストがかかるため、現実主義の観点から抑制的な政策に転じる可能性があります。

要約

ロシアによる北方四島の不法占拠は、国際法を無視した実効支配が長期化し得るという厳しい現実を示しています。ロシアは軍事的利益や資源確保を優先し、島々を軍事化して太平洋への出撃拠点を確保しました。一方で、台湾は地政学・経済両面で世界的に重要な位置にあり、半導体産業を中心としたサプライチェーンの中核です。また、台湾を囲む海峡や第一列島線は中国にとって海洋進出を阻む「防波堤」であり、同島の占領は中国海軍の戦略環境を劇的に変えます。

弁証法的に考えると、千島列島の事例(正)からは実力行使による既成事実化の危険性が導かれる一方、台湾をめぐる環境(反)は大きく異なります。台湾侵攻には地理的障壁、国際同盟の介入、経済制裁の脅威、台湾社会の抵抗など多数の抑止要因が存在します。よって、中国が千島列島のように台湾を長期占領する可能性は低く、むしろグレーゾーン戦術や経済的圧力による実効支配を模索する公算が高いでしょう。国際社会にとっては、経済相互依存と制裁の準備を通じて抑止力を高め、地域同盟の連携を強化することが平和維持の鍵となります。

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