乙欄給与と源泉徴収簿:法定義務なき帳簿の実務的必然性

問題設定

日本の給与所得者の源泉徴収実務では、従業員1人ごとに給与の金額・控除額・扶養親族の状況・源泉徴収税額を記録するための帳簿(国税庁の様式名では「給与所得・退職所得に対する源泉徴収簿」)が用意されています。これは毎月の源泉徴収や年末調整を正確かつ効率的に行うために作成され、国税庁は記入例付きの様式を提供しています。しかしこの源泉徴収簿は法定帳簿ではなく、会社が自社の給与台帳等で代替しても問題ありません。特に、従業員が「給与所得者の扶養控除等申告書」を提出していない場合は源泉所得税額表の乙欄で税額を求める(以下「乙欄」に分類)ため、会社側では年末調整を行わず、翌年1月末までに源泉徴収票を交付するだけです。この場合にも源泉徴収簿が必要かどうかが実務上の疑問となります。以下では弁証法の枠組みを用いてこの問題を考察します。

正の立場(源泉徴収簿を作成する必要はないとする見解)

  1. 法定義務がない – 源泉徴収簿は源泉徴収義務者の便宜のために作成されたものであり、法律で決められた帳簿ではありません。会社は給与台帳など任意の帳簿で毎月の源泉徴収額が分かり年末調整に利用できればよく、様式の作成自体は義務付けられていません。
  2. 乙欄では年末調整を行わない – 乙欄に分類される従業員は主たる勤務先が別にあり、当該会社は年末調整を行いません。解説によれば、乙欄適用の従業員について会社が行うのは源泉徴収票の発行のみです。年末調整用の情報集約が不要であれば、源泉徴収簿の右側にある年末調整欄は空欄となり、存在意義が乏しいという意見もあります。
  3. 賃金台帳で代替可能 – 労働基準法で作成が義務付けられる「賃金台帳」には従業員の氏名・労働日数・賃金額・控除額などが記載され、給与や控除の情報は網羅されています。この帳簿に源泉徴収税額欄を追加すれば、別途源泉徴収簿を作成しなくても記録は残せると考える企業もあります。

以上の理由から、「乙欄では源泉徴収簿を作成しなくてもよいのではないか」とする立場が示されます。

反の立場(源泉徴収簿は作成すべきだとする見解)

  1. 源泉徴収票の基礎資料が必要 – 源泉徴収簿は従業員ごとの給与・賞与・控除・源泉徴収税額を記録し、これらの情報を集計して源泉徴収票を作成するための基礎資料です。解説では、源泉徴収簿は給与台帳など別の帳簿で代替してもよいが、年末調整の根拠として利用した書類は7年間保存する義務があると指摘しており、帳簿が無ければ正確な源泉徴収票を作成できません。
  2. 乙欄従業員も源泉徴収票の交付が必要 – 国税庁のタックスアンサーでは、源泉徴収票をすべての受給者に翌年1月末までに交付しなければならないと規定しています。乙欄で年末調整を行わない場合でも、支払者は支払金額と源泉徴収税額を記載した源泉徴収票を発行しなければなりません。実務解説でも、従業員が甲欄から乙欄に変更された場合、自社では年末調整を行わないが甲欄分と乙欄分の源泉徴収票を個別に作成し従業員に渡す必要があると説明しています。源泉徴収簿や同等の帳簿がなければ正確な源泉徴収税額を計算し、源泉徴収票を作成することが難しくなります。
  3. 月々の源泉徴収税額を正確に計算するため – 源泉徴収義務者が月々の給与に対する源泉徴収や年末調整の事務を正確かつ能率的に行うには、一人ひとりの控除対象扶養親族の状況や給与金額、源泉徴収税額等を記録する帳簿が必要だとされています。乙欄の場合も、扶養控除等申告書を提出していないだけで給与額や社会保険料、源泉徴収税額は毎月変動します。税額表は給与額に応じて税額が変わるため、記録を残さなければ誤徴収や納付漏れが起こりやすいのです。
  4. 源泉徴収簿の年末調整欄を空欄にできる – 税理士による質疑応答では、乙欄の従業員については源泉徴収簿の左側の給与・税額欄だけを記入し、右側の年末調整欄は使用しないと説明されています。また、源泉徴収簿を作成した後は従業員に源泉徴収票を交付する必要があると助言されています。これは乙欄でも帳簿を作成する実務の根拠となります。

以上の理由から、乙欄で年末調整を行わない場合でも、月ごとの給与・税額を記録し源泉徴収票を作成するために源泉徴収簿またはそれに準ずる帳簿が必要だとする立場が成り立ちます。

総合(両立する解釈)

正反両方の議論を踏まえると、次のように整理できます。

  • 法定帳簿ではないが、実務上は必要 – 源泉徴収簿は法律上義務付けられた帳簿ではなく、会社の給与台帳やシステムで代替しても差し支えません。乙欄で年末調整を行わない従業員について源泉徴収簿の年末調整欄は空欄のままで問題ありません。しかし、月々の源泉徴収税額を正確に計算し、翌年1月末までに源泉徴収票を交付する義務を履行するには、給与と税額を個人別に記録する帳簿が不可欠です。源泉徴収簿はそのためのテンプレートであり、乙欄の従業員でも活用することで計算ミスや記載漏れを防げます。
  • 帳簿の様式は自由 – 国税庁の様式を使用しなくても、自社の給与台帳や給与計算システムで必要な情報を管理していれば問題ありません。クラウドシステムなどを用いれば、乙欄適用者の給与と税額を自動計算し、源泉徴収票を出力できるため、紙の源泉徴収簿を作成する必要はないと考えられます。
  • 乙欄でも源泉徴収票の発行義務がある – 乙欄の従業員は年末調整の対象外ですが、会社には源泉徴収票の作成・交付義務があります。源泉徴収簿または同等の帳簿が無ければこの義務を履行することが難しい。そのため、乙欄でも帳簿の作成は事実上必要です。

結論

乙欄の従業員に対しては、年末調整を行わないため源泉徴収簿の年末調整欄を記載しないことが多いですが、毎月の源泉徴収税額を正確に計算し源泉徴収票を作成するために、給与額や源泉徴収税額を個人別に記録する帳簿は欠かせません。国税庁の様式を使う義務はないものの、同等の記録を残さなければ源泉徴収票の交付義務を果たせません。したがって、法令上は任意であっても実務上は源泉徴収簿あるいは同等の帳簿を乙欄でも作成するべきであり、記録に基づき源泉徴収票を交付したうえで、従業員に確定申告を案内することが必要です。

要約

  • 源泉徴収簿は、源泉徴収義務者が月々の給与額や源泉徴収税額、扶養控除の状況などを従業員ごとに記録するための帳簿であるが、法定帳簿ではなく様式を使用する義務はない。
  • 乙欄は扶養控除等申告書を提出していない従業員に適用され、会社は年末調整を行わず源泉徴収票のみを発行する。しかし源泉徴収票の発行は全受給者に義務付けられているため、正確な給与と税額の記録が必要である。
  • いくつかの解説では源泉徴収簿は源泉徴収票作成の基礎資料として重要であり、年末調整の根拠資料は7年間保存義務があると指摘している。
  • 乙欄従業員についても、源泉徴収簿の年末調整欄を空欄とした上で、左側の給与や税額欄だけを記録し、源泉徴収票を交付する実務が示されている。
  • 以上から、乙欄では法定義務としての源泉徴収簿作成はないが、源泉徴収票を適切に作成・交付するために、源泉徴収簿または同等の帳簿を作成することが実務上不可欠である。

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