序論
相続税・法人税・所得税はいずれも申告納税制度で、必要に応じて税務調査が行われます。全ての申告に一律に調査が入るわけではなく、税目ごとに件数や調査率が異なります。一般に「相続税は調査が入りやすい」と言われますが、この言説の背景を弁証法的に考察します。テーゼ(相続税調査は入りやすい)を提示し、アンチテーゼ(相続税だけが特別に厳しいわけではない)を検討し、両者を統合して総合的な理解を導きます。
テーゼ:相続税は法人税・所得税よりも税務調査が入りやすい
近年の統計によれば、相続税の実地調査件数は約8,000件台で推移し、申告漏れがあった件数は85%前後に達します。相続税の申告書提出に係る被相続人数は13万〜17万人程度なので、実地調査に当たる確率は5%程度、簡易な接触を含めると10〜20%前後となり、20人に1人は税務署と接触する計算です。法人税の申告件数は300万件超で、実地調査件数は6万2千件ほど、調査率は2%程度です。所得税は600万〜700万人規模の申告に対し、実地調査は4万6千件程度で、調査率は0.7%に過ぎません。相続税の調査率の高さは統計的に裏付けられています。
相続税調査が入りやすい理由として、次の点が挙げられます。
- 申告漏れや財産隠しの可能性が高いこと:相続税は高額で、現金・預貯金や不動産、株式、生命保険など対象財産が多岐にわたり、相続人が財産を正確に把握できないことが多い。亡くなる直前の預金引き出しや名義預金など財産隠しの手口もあり、税務署は金融機関の取引履歴やマイナンバー情報を通じて資金移動を把握しやすい。
- 申告に慣れていない納税者が多いこと:相続税の申告は一生に一度か二度であり、制度を理解せず申告する人が多い。税理士の関与率が8割を超えても実地調査の非違(申告漏れ等)が80%程度と高い。
- 課税対象者が限定されていること:基礎控除により申告件数が相対的に少ないため、税務署は限られたリソースで効率的に調査対象を選定できる。
- 資料情報が豊富なこと:銀行や証券会社の報告義務や不動産登記、過去の申告情報等が一元管理されており、過少申告が推測しやすい。
これらの要素により、相続税は「狙い撃ち」されやすい税目となっています。
アンチテーゼ:相続税だけが特別に厳しいとは限らない
相続税の調査率が高いのは事実ですが、法人税や所得税でも税務署の監視は強く、相続税だけが特別扱いされているわけではありません。
- 法人税・所得税の総調査件数の方が多い:法人税では実地調査が約6万2千件、所得税(主に事業所得者)では約4万6千件あり、相続税の約8千件よりはるかに多い件数です。調査率の低さは母数の大きさによるもので、税務署にとって法人税・所得税は依然として主な調査対象です。
- 大法人や特定の個人は頻繁に調査される:上場企業などの大法人は2年に1度程度調査を受けることもあります。また富裕層や海外投資を行う個人、インターネット取引を行う人などは重点的に調査されます。平均値に比べれば調査率は高く、規模や取引内容で差が付く点は相続税と同様です。
- 税務署はリスク・ベース・アプローチを採用:法人税や所得税でも、利益率が不自然に低い企業や海外取引が多い法人など「申告漏れが想定される案件」を優先して調査しています。相続税だけが特別な扱いを受けているわけではありません。
- 書面添付制度やデジタル化の影響:法人税・所得税には税理士の意見添付により調査率が下がる制度があり、また給与所得などは支払調書によりデータが自動的に把握されるため実地調査の必要性が相対的に小さくなっています。調査率の低下はリスク抽出の高度化による効果でもあります。
このように相続税の調査率だけを取り上げて「厳しい」と評価するのは公平ではありません。各税目の調査率の差は、申告件数や税目の特性、調査手法の違いといった複数の要因の結果です。
統合:公平な課税の確保と効率性のバランス
弁証法的な統合では、相続税の高い調査率と他税目の低い調査率の両方が、公平な課税と行政資源の効率的配分という二つの価値を追求した結果であると理解できます。
- 公平性:相続税では財産隠しの余地が大きく、一件当たりの追徴税額が高額になるため、調査による公平性の確保が重視されます。法人税や所得税においても脱税が広がれば税制度への信頼が損なわれますが、多数の納税者に対しては第三者情報の収集やデータ分析での検証が効率的と考えられます。
- 効率性:相続税の申告件数は少なく、調査官を一件当たり多く割り振る余裕があります。法人税・所得税は納税者数が多いため、全件調査は非現実的で、AIや資料情報を用いたリスク選別が不可欠です。税務調査の仕組みは税目によって適切にデザインされており、差別的な取り扱いというより合理的な選択です。
納税者への含意
どの税目でも適正な申告を心掛けることが最良の対策です。相続税では生前贈与や預金移動の記録を整理し、不動産や非上場株式の評価は専門家に任せ、税理士による書面添付を活用することが望ましいです。法人税・所得税では日頃から帳簿や証憑を整備し、電子帳簿や電子申告を利用してデータを整理し、海外取引や仮想通貨などリスクの高い取引は専門家に相談することが重要です。
おわりに
相続税の税務調査率が高いのは、申告漏れや財産隠しが生じやすく、一件当たりの追徴税額が大きいからであり、法人税・所得税の調査率が低いのは納税者母数が大きく、リスク抽出の高度化が進んでいるためです。両者を対比すると、税務署は公平な課税を確保しつつ効率的に資源を配分していることがわかります。納税者は税目を問わず適正な申告と記録整理に努め、専門家の助言を活用することで、税務調査のリスクを減らし、調査があっても円滑に対応できます。
要約
- 相続税の実地調査率は約5%、簡易な接触を含めると10〜20%と推計され、法人税(約2%)や所得税(約0.7%)より高い。この理由は申告件数が少なく、一件当たりの追徴額が大きいからである。
- 相続税は財産の種類が多く、相続人が申告に慣れていないため申告漏れが生じやすい。名義預金や生前贈与の隠匿など不正の余地も大きく、金融取引や過去の所得情報から過少申告が疑われる案件が選定される。
- ただし法人税・所得税でも実地調査件数は多く、大企業や富裕層など調査必要度の高い層は頻繁に調査される。調査率の低さは納税者母数が大きいことによるもので、税務署は資料情報やAI分析を用いてリスクの高い案件を選んでいる。
- 税務調査の入りやすさは各税目の性質や行政資源の配分に基づく合理的な結果であり、相続税だけが特別に厳しいとは言えない。
- 納税者は税目を問わず適正な申告と記録整理を徹底し、必要に応じて税理士の助言を受けることが、税務調査のリスク低減と円滑な対応に役立つ。

コメント