序論
1990年代以降、日本の少子化は顕著となり、総人口の減少と高齢化が進んでいます。2024年の年間出生数は68万6,000人、合計特殊出生率は1.15と過去最低を記録し、2025年も70万件を割り込むと予測されています。背景には、長期にわたる物価停滞と賃金の伸び悩み、非正規雇用の増加や保育費の高騰といった要因があり、近年の食料・エネルギー価格上昇によるインフレへの移行が出生率へどう影響するのかが注目されています。本稿では、デフレ期の出生率低下とインフレ期の可能性を、弁証法的枠組み(テーゼ=主張、アンチテーゼ=反論、ジンテーゼ=統合)で考察します。
テーゼ:デフレが出生率を押し下げた
デフレは給与と物価を下押しし、企業の非正規雇用化を促しました。2020年代前半には全労働者の約40%が非正規雇用となり、男性の雇用不安定化が結婚率低下の要因となりました。既婚女性の出生率は高く維持されているものの、結婚自体が減れば出生率全体は低下します。1990〜2006年のデータ分析でも、男性の雇用悪化が結婚率を通じて出生率を10〜20%押し下げたと推計されています。また、賃金が伸びない一方で保育や教育の費用は上昇し、若い世代の年収では家賃や食費を賄うだけで精一杯のケースが増えています。長時間労働や男女役割意識も女性の出産への躊躇を招きます。デフレ環境では「価格はさらに下がる」との予想から消費や投資が先送りされ、将来への不安が家庭形成の抑制要因となります。
アンチテーゼ:インフレが必ずしも出生率をさらに低下させるとは限らない
インフレは家計の購買力を圧迫する一方、持続的な賃金上昇を伴う「需要主導インフレ」であれば実質所得が増え、将来への楽観が高まります。例えば、2025年の春闘では5%を超える賃上げが要求され、名目賃金も上昇傾向にあります。インフレにより「今のうちに買う」という心理が働けば、経済活動が活性化し、雇用と賃金の安定が出生率を支える可能性があります。また、新興国を対象とした研究では、インフレ目標制度を採用して物価安定を図る国は、採用しない国より出生率の減少が小さいと報告されています。米国の研究では予想外のインフレが出生率に負の影響を及ぼすものの、中央銀行がインフレ期待を安定させれば悪影響は軽減できることが示されています。日本政府も賃金上昇を伴わないコストプッシュ型インフレを問題視し、賃金主導のインフレを目指す姿勢を示しています。
ジンテーゼ:インフレの質と政策対応が出生率を左右する
デフレと経済停滞が出生率を押し下げたことは明らかですが、インフレがさらに出生率を低下させるかどうかは、その質と政策対応に左右されます。インフレが実質所得を侵食して不安を高める場合は出生率を抑制しますが、賃金上昇を伴う需要主導インフレや物価安定政策は経済的安心感をもたらし、出生率低下を防ぐ可能性があります。賃上げ交渉の充実、子育て支援の拡充、保育インフラ整備や長時間労働の是正など、家計の実質所得と時間的余裕を確保する政策が重要です。税負担や社会保障費の増大が若年層の不安を高めないよう、所得分配や家族政策の強化も求められます。
結論
長期デフレと経済停滞は日本の出生率低下に大きく寄与しましたが、インフレが到来しても必ずしも出生率がさらに低下するわけではありません。賃金上昇を伴うインフレや物価安定政策は経済的不確実性を軽減し、出生率を支える可能性があります。一方、賃金が上がらないまま生活必需品の価格が上昇するコストプッシュ型インフレが長引けば、家計が圧迫され出生率のさらなる低下を招く恐れがあります。政府と中央銀行は物価安定と賃金上昇を両立させる政策に加え、子育て支援や労働環境の改善を含む包括的な対策を講じる必要があります。

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