米国株式市場、とりわけS&P500指数の株価収益率(PER)は近年歴史的な高水準にあり、多くの運用会社が米国株の割高感を懸念材料として挙げている。一方で、金価格も1トロイオンスあたり3,500ドル前後と過去最高値圏に達しているにもかかわらず、その割高性については同じ運用会社からほとんど言及がない。この対照的な姿勢は、都合の良い事実だけを強調し不都合な側面を黙殺する「ご都合主義」ではないかとの批判を招いている。本稿ではこのテーマを弁証法的手法で考察し、運用者のバイアスや通貨制度への信認、資産分散戦略上の合理性といった観点から「ご都合主義」批判の妥当性を検討する。
テーゼ(命題):米国株の割高を懸念する主張
近年の米国株式市場は株価の高騰によりバリュエーションが膨張し、S&P500指数のPERは過去平均を大きく上回る水準に達している。ITバブル期や直近の金融緩和局面に匹敵する高さであり、収益に対して株価が割高であるとの見方が強まっている。この状況を踏まえ、運用会社の多くは投資家に対して米国株式の過熱感に注意を促し、今後の調整リスクやリターン低下の可能性を警告する。実際、低金利や過剰流動性によって押し上げられた株価は、金利上昇や景気減速局面では急落する危険があるため、PERの高さは無視できないリスク要因と見なされている。運用会社にとって、顧客資産を守る観点からも米国株の割高是正(バリュエーションの健全化)を待つ姿勢は理にかなっており、公平なリスク評価としてこれを強調するのは一見もっともらしい。
アンチテーゼ(反対命題):金の割高性への沈黙
しかしながら、その同じ時期に金価格も記録的な水準へ高騰している。金相場は安全資産への逃避やインフレ懸念を背景に上昇を続け、ついに1トロイオンス=3,500ドルという史上初の大台に乗せた。従来の過去最高値(およそ2,000ドル台)を大きく更新する価格水準であり、短期間での急騰ぶりから見ても過熱気味と言えるだろう。
本来であれば、急激な価格上昇を見せる資産に対してはバブル的な過剰評価のリスクに注意を喚起するのが資産運用のプロとして当然の姿勢である。しかし米国株に警鐘を鳴らす運用会社のレポートやコメントでは、金の割高感について触れられることがほとんどない。むしろ一部では、金は「有事の安全資産」「インフレヘッジ」としてポートフォリオに組み入れるべきだと推奨されさえしている。この沈黙もしくは肯定的な扱いは、米国株に対する慎重論との対比で際立っており、一貫性を欠く態度として批判の的になっている。
ジンテーゼ(統合):矛盾が示すバイアスと合理性
以上のテーゼとアンチテーゼの対立が示す矛盾を解消し理解するためには、運用会社の立場や市場観に潜むいくつかの要因を考慮する必要がある。以下では、この状況に影響を与えている可能性のある三つの観点について整理し、「ご都合主義」批判の妥当性を検討する。
- 運用者のバイアスや利害:運用会社やストラテジストにも人間としての認知バイアスや、自社の利益につながる思惑が存在する可能性は否めない。例えば、社内で金を主要投資対象とするファンドを扱っていたり、金関連の商品を顧客に販売している場合、金の先行きに強気な見通しを示しやすい傾向が出るかもしれない。また、担当者個人が「金信仰」とも言える金偏重の市場観(いわゆるゴールド・バグ的な信念)を持っていれば、金価格上昇を正当化しやすく、リスクに目をつぶりがちである。一方で米国株については、近年の上昇局面で強気論が大勢を占めた反動もあり、弱気の見方を示すことが「慎重で客観的」と評価されやすい空気がある。そのため、自らの評価や信念に沿って都合よく強調点を変えている可能性があり、これはバイアスによる選択的なリスク指摘と言える。
- 通貨体制への信認問題:金価格がこれほど高騰している背景には、世界的な金融緩和や地政学リスクの高まりによって法定通貨への信認が揺らいでいるという見方がある。インフレ率の上昇や各国中央銀行の大規模な通貨供給によって、現金や債券の実質的な価値維持に不安を感じた投資家が、価値の普遍的な保存手段と考えられる金に殺到した結果とも解釈できる。運用会社が金の割高性に言及しないのは、現在の金高騰そのものを単なる投機的バブルではなく、法定通貨への不信任に基づく市場の警鐘(いわば「通貨体制への不信任投票」)と捉えているためかもしれない。この論理に立つならば、金は割高だから避けるべきリスク資産というより、現行の金融システムの歪みに対する保険であり、その高値は一種の新たな“フェアバリュー”と考えることもできる。運用会社が金に沈黙するのは、このような通貨価値の毀損リスクに備える資産として金を位置付けているためで、単純なダブルスタンダードとは異なる可能性もある。
- 資産分散戦略上の合理性:資産運用において分散投資の重要性は広く認識されており、株式と逆相関の傾向を持つ金は伝統的に分散効果をもたらす資産とされる。たとえ金価格が過去最高水準だとしても、他資産が下落する局面ではクッション(緩衝材)となる期待があるため、一定の保有を正当化し得る。運用会社が米国株の割高に警鐘を鳴らす一方で金のリスクを強調しないのは、顧客に対し株式一辺倒のポートフォリオからのシフトを促し、代替資産として金を含めた分散投資を提案している側面も考えられる。もし「どの資産も割高だから持つべきではない」と全否定してしまえば、資産運用の現場では現金以外に逃避先がなくなり現実的ではなくなるため、相対的に見てリスク低減策となり得る金をポジティブに捉えることには戦略上の合理性がある。
以上の三点を踏まえると、米国株のみに懸念を示し金高騰を黙過する運用会社の姿勢にも、一応の理屈や戦略が潜んでいることがわかる。これらの要因に照らせば、表面的な矛盾は必ずしも単純なご都合主義だけでは説明できず、運用判断上の優先順位や信念に基づく選択の結果とも言えるだろう。しかし同時に、こうした姿勢は都合の良い論点だけを採用しているとの疑念を生むのも事実である。顧客や市場に対して一貫した説明責任を果たすためには、金についてもリスクと期待を正直に語ることが求められる。米国株の過熱を強調しつつ金の過熱に沈黙することは、受け手から見ればダブルスタンダード(二重基準)に映り、運用会社への信頼を損ないかねない。
結論
以上の検討から、この運用会社の態度を「ご都合主義」と批判することには一定の妥当性があると言える。高PERの米国株のみを危険視し、同時期に史上最高値にある金のリスクに触れないのは、公平な視点を欠いた選別的な主張だからである。ただし、その背景には運用戦略上の意図や現行の通貨体制への問題意識といった事情が横たわっており、一概に悪意からくる欺瞞と断じるのも早計かもしれない。重要なのは、運用会社が自らのバイアスを自覚し、投資家に対して両資産のリスクとリターンについてバランスの取れた情報提供を行うことだ。米国株にも金にもそれぞれ特有のリスクと価値が存在する。真に顧客本位の資産運用を目指すのであれば、都合の良い点だけを強調するのではなく、矛盾のない整合的な議論によって投資判断の材料を提示する姿勢が求められるだろう。
要約
運用会社が米国株のPER高を「割高」として懸念する一方で、過去最高値に達した金の割高性には沈黙を保つ姿勢は、選択的で一貫性に欠ける「ご都合主義」とも捉えられる。だが弁証法的に分析すれば、その背景には運用者の認知バイアス、通貨体制への不信、資産分散戦略の合理性があり、一概に非難できない側面もある。重要なのは、運用者がこの矛盾を自覚し、公平で整合的な情報提供に努めることだ。
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