中央銀行が自らの準備資産として現物の金(ゴールド)を保有し、金ETF(上場投資信託)などの金融商品による間接的な金保有を避ける理由について、弁証法の三段階(テーゼ・アンチテーゼ・ジンテーゼ)に沿って論じます。まずテーゼ(正)として、金ETF等を通じた金保有の利便性と合理性を整理し、次にアンチテーゼ(反)として、その方法に内在するリスクを指摘します。最後にジンテーゼ(合)として、両者を統合した中央銀行の戦略的選択を示し、ロシアの事例をその実例として考察します。
テーゼ:金ETFによる金保有の利便性と合理性
国際金融ネットワークに接続された金ETFなどの金融商品を通じて金を保有することには、多くの利便性や合理性があります。主要なポイントは以下の通りです。
- 高い流動性と迅速な取引: 金ETFは株式市場で取引され、リアルタイムで売買可能です。そのため、金の保有額を迅速に増減でき、必要なときにすぐ現金化できる流動性を提供します。中央銀行にとっても、市場を通じて金相場に即した取引ができる点で合理的です。
- 保管・管理の容易さと低コスト: 現物の金を自前で保管すれば厳重な金庫や警備、保険などのコストがかかりますが、金ETFであればそうした直接コストや管理の煩雑さを回避できます。国際的な金融インフラ上で金の価値を保有できるため、中央銀行は自国に金庫を設けずとも金価格へのエクスポージャー(価格連動した価値の保有)が可能です。
- グローバルな金融システムとの整合性: 金ETFは主要市場で広く受け入れられており、グローバルな金融システムに組み込まれた資産です。そのため他国との取引や担保提供の際にも扱いやすく、国際協調路線にある中央銀行にとって平時には合理的な選択肢となります。例えば、金ETFを保有すれば国際決済や他国中央銀行とのスワップにおいて、物理的な金の輸送なしに価値をやり取りできる柔軟性があります。
以上のように、安定した国際環境下では金ETF等を通じて金を保有することはコスト効率や機動性の面で合理性が高く、中央銀行にとって魅力的なテーゼとなります。しかし、こうした利点は平時に限定される可能性があります。次に、その裏に潜むリスク(アンチテーゼ)を検討します。
アンチテーゼ:金融商品による金保有の地政学リスクと資産凍結の懸念
前述の利便性にもかかわらず、金ETFなど金融商品を通じた金保有には深刻なリスクが存在します。特に地政学的対立や経済制裁が絡む非常時には、これらのメリットが一転してデメリットに変わり得るのです。主な懸念点は次の通りです。
- 資産凍結・没収のリスク: 金ETFはグローバルな金融インフラ上の“紙の資産”であり、その保有記録や実体は外国の金融機関や保管機関に依存しています。したがって、ある国の中央銀行が保有する金ETFや外国預託の金は、国際的な制裁の対象となった場合に凍結・没収される恐れがあります。実際、2022年のロシアによるウクライナ侵攻後、西側諸国はロシア中央銀行の外貨資産を凍結する制裁を科しましたが、もしロシアが金ETFなどで金を保有していたなら、それらも利用不能になっていた可能性があります。金融商品としての金保有は、戦略資産であるはずの金を敵対勢力に封じられてしまうリスクを内包しているのです。
- 現物引き出し不能の懸念: 金ETFは通常、裏付けとなる現物の金を特定の保管機関(例:ロンドンやニューヨークの保管庫)に預けています。しかし保管先の国と自国が敵対関係に陥った場合、中央銀行はその現物の金を引き出せなくなる恐れがあります。歴史的にも、政治的対立により他国に預けた金塊が返還されない・引き出せない例が散見されます(例えばベネズエラは海外保管していた金の返還を拒まれました)。つまり、金ETF等を介した間接保有では「いざという時に自国で金を受け取れない」リスクがあるのです。中央銀行にとって、これは国家の金融主権を脅かす重大な問題となります。
要するに、金ETFなど信用上のカウンターパーティーを伴う保有形態では、平時は問題なくとも有事にはその信用が崩壊しかねません。地政学的緊張が高まる局面では、どれほど多くの金を持っていても**「自国の手元にない金」は絵に描いた餅**となってしまう可能性があるわけです。このアンチテーゼが示す現実を踏まえ、中央銀行は次のジンテーゼに至ります。
ジンテーゼ:自国保管の現物金を選好する戦略
上記のテーゼ(利便性)とアンチテーゼ(リスク)の両面を統合すると、中央銀行は最終的に「安全保障のためには現物の金を自国内で保有する」という選択に傾斜します。つまり、日常の運用効率よりも非常時の確実な資産保全を重視し、自国の管理下に置ける現物金を準備資産として優先する戦略がジンテーゼとして導かれるのです。この戦略には以下のような意義があります。
- 金融主権と完全な支配: 現物の金を自国の中央銀行の金庫で保管しておけば、その資産は自国の主権下に完全に置かれます。他国の法制度や金融システムに依存しない「純粋な自前資産」となるため、制裁や紛争時にも外部から凍結・差し押さえされるリスクがありません。極端な言い方をすれば、軍事的に侵攻されない限り奪われない資産なのです。中央銀行にとって、自国経済の最後の砦として機能し得る現物金の価値は計り知れません。
- 危機耐性と通貨価値の裏付け: 自国保有の金は、有事の際に外貨を調達したり通貨価値を防衛したりする切り札になります。例えば、国際市場から孤立しても、金があれば他国との裏取引で必要物資を入手したり、金と引き換えに外貨を入手することも可能です。また自国通貨が急落しても、中央銀行が自前の金と通貨を交換することで通貨に下支えを提供できます。言い換えれば、現物金は究極の安全資産として国家の信用を裏打ちし、非常時に通貨や経済を安定させる役割を果たします。
このジンテーゼを体現した実例がロシアです。ロシア中央銀行は2014年のクリミア危機以降、西側制裁を見越して自国の金準備を大幅に積み増し、その大部分を国内で保管してきました。事実、ロシアは2022年のウクライナ侵攻前までに世界有数の金保有国となり、推定で国家準備の20%以上を金で蓄えています。そして侵攻後、西側からSWIFT(国際銀行決済ネットワーク)排除や外貨資産凍結という制裁を受けましたが、ロシアは保有する現物金をテコに非常時対応策を講じました。具体的には中央銀行が金の買取価格をルーブル建てで固定する施策を打ち出し、金とルーブルの価値を事実上結びつけて通貨の下落を食い止めたのです。この動きは一種の金本位制復活とも評され、制裁直後に暴落したルーブル相場はその後急回復しました。また、西側に凍結された外貨準備約3,000億ドル相当の損失に対し、ロシアの手元に残った莫大な金準備は価値の裏付けとして経済を支え、結果的に制裁の痛手を和らげるクッションとなりました。このロシアの戦略は、中央銀行が現物金を自国で保有することの利点を如実に示すものです。すなわち**「他国に頼らない価値の保有」が国家経済の安全網として機能した**好例と言えます。
以上の議論から明らかなように、中央銀行にとって金の保有形態は単なる資産運用上の効率性のみならず、国家の経済安全保障に直結する問題です。平時の利便性よりも、有事の確実性を取る――この判断のもと、多くの中央銀行が現物の金を手放さず、逆に積極的に買い増して国内保管する傾向が強まっています。現代の地政学的緊張や経済ブロック化の進行に伴い、その傾向は一段と鮮明になってきています。
要約
- テーゼ(正): グローバル市場に連動する金ETFなどを通じて金を保有すれば、流動性や取引の容易さ、保管コスト削減など高い利便性と合理性が得られる。平時において中央銀行にとって魅力的な手法である。
- アンチテーゼ(反): 一方で、金融商品による金保有は他国の金融基盤に依存するため、地政学的対立や経済制裁の局面では資産凍結・没収のリスクが高まる。保管国が敵対化すると現物の引き出しも不能となり、いざという時に資産を失う恐れがある。
- ジンテーゼ(合): 上記を踏まえ中央銀行は、自国で直接保管できる現物の金を選好するに至った。現物金なら他国に左右されず主権下で資産を維持でき、危機時には自国通貨や経済の下支えにも活用できるからである。
- 実例: ロシアは制裁を見越して金準備を増強し国内保管してきた。SWIFT排除後には金とルーブルを連動させて通貨防衛に成功し、凍結された外貨資産を補う緩衝材として金を活用した。この事例は中央銀行が現物金を持つ戦略の有効性を示している。
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