「イノベーションと持続的経済成長」論

以下は、2025年ノーベル経済学賞（モキア、アギオン、ハウィット）で提起された「イノベーションと持続的経済成長」論を弁証法的に論じるものです。

1. 正（テーゼ）― イノベーションによる成長の理想

受賞者の研究は、近代における経済成長の原動力が「知識」と「創造的破壊」にあることを示しました。モキアは科学的真理としての「命題的知識」と職人的ノウハウとしての「処方的知識」が循環する文化的背景に着目し、この相互作用が産業革命以後の持続的成長の土台となったと論じます。アギオンとハウィットはシュンペーターの「創造的破壊」を数理モデル化し、新技術や新しいビジネスモデルが古いものを破壊しつつ、連鎖的な技術革新によって生活水準を向上させるメカニズムを明らかにしました。これらの理論は、R&D投資や市場競争が豊かな社会を生み出す原理として肯定的に捉えます。

2. 反（アンチテーゼ）― 成長の影：不安定と格差

しかし、「創造的破壊」は進歩の光と同時に影も伴います。新しい技術は雇用構造を急速に変え、既存の産業や働き手を淘汰します。AIや自動化がもたらす加速は、短期的な失業増や技能格差を拡大させる恐れがあります。また、イノベーションの利益は一部企業や個人に集中しやすく、社会的な所得・資産格差を拡大します。競争が過度になると企業は長期的な投資を控え、逆に独占が過ぎるとイノベーション意欲が弱まるという「逆U字仮説」も提起されました。さらに、環境や公共財の制約を無視した成長は地球規模の危機を引き起こします。成長のプロセスが「破壊」ばかりを強調すれば、社会は分断と不安定を深めてしまうのです。

3. 合（ジンテーゼ）― 持続的かつ包摂的な成長への統合

弁証法的には、テーゼとアンチテーゼの対立を止揚し、より高次の視点で成長の方向性を設計することが求められます。受賞者の理論が示すように、イノベーションと成長は偶然の産物ではなく、制度や文化が生み出す内生的現象です。したがって、公正な競争を保ちつつ、教育投資・社会保障・独占禁止政策によって知の恩恵を広く共有する制度設計が不可欠です。資源や環境への制約を考慮し、再生可能エネルギーやグリーン技術への研究開発を促すことも重要です。サスキンドの主張にあるように、経済成長を速度を上げる「機関車」ではなく舵を取る「船」と捉え、健康寿命の延伸や環境保全といった価値観に沿った「望ましい成長」を目指すことが、創造的破壊を「創造的共生」へと昇華させる道となります。

要約

• 正（テーゼ）：モキアは科学的知識と職人的知識の好循環が産業革命以降の持続的成長を生んだと示し、アギオンとハウィットは創造的破壊を数理モデル化してイノベーションが経済成長を牽引する仕組みを説明した。
• 反（アンチテーゼ）：創造的破壊は雇用や格差の不安定化を招き、過度な競争や独占はイノベーションを阻害する。環境や社会への負の影響も無視できない。
• 合（ジンテーゼ）：公正な競争・教育・社会保障・環境政策などを通じて、イノベーションの利益を広く社会に行き渡らせ、持続可能で包摂的な成長へと方向づけるべきである。