問題設定
一般的な職業世界では、「実績」といえば管理職経験や専門技術など個人の技能・経歴を指します。しかし資本主義的な生産関係では、労働者が作り出す製品・サービスは資本家の所有物であり、労働者自身には賃金という形でしか成果が還元されません。賃金は生活費や子どもの養育費として消費されるため、労働者に資産として残らず、実績が積み上がることもないと感じられます。一方、資本家は労働者の生み出した価値を資本として蓄積し、生産手段をさらに拡大することで財産を増やします。この対比をどのように理解すればよいでしょうか。
本稿ではマルクスの資本論や賃労働論を手がかりに、労働者の「実績」が消費に消えてしまう構造と、資本家が生産手段の所有を通じて実績を蓄える仕組みを弁証法的に考察します。最後に議論を要約します。
賃金の性質:労働力再生産のための支出
賃金は生活手段を買い戻すための貨幣
マルクスによれば、労働者が受け取る賃金は労働力という商品の価格であり、資本家はその労働力を一定期間買い取ります。労働者は賃金で食料や住居など生活手段を再購入し、筋肉・神経・骨や脳を再生産して翌日も働ける状態に自分を維持します。この個人的消費は一見すると労働者自身のためですが、資本の側から見ると資本の再生産過程に組み込まれており、労働者階級の維持と再生産が資本の再生産の恒常的条件となっています。
労働者の消費は労働者自身には積み上がらない
『資本論』第1巻「単純再生産」では、労働者の生産的消費(生産過程で機械や原材料を価値増殖のために消費すること)の結果は資本家の生活であり、労働者が受け取る賃金による個人的消費の結果は労働者自身の生存にすぎない、と指摘されます。さらに、労働者の個人的消費は直接には生産的ではないが、生産過程の全体から見ると「資本の生産および再生産の一契機」であり、労働者階級の再生産も資本再生産のための条件となります。つまり、賃金は生活必需品に交換されて消費され、労働者には資本の拡大に必要な労働力を再供給する以外の成果が残りません。
賃金消費の非蓄積性
『賃労働と資本』では、労働者は資本家から受け取った賃金で生活手段を購入し、それを即座に消費してしまうため、その価値は労働者にとって「二度と取り戻せない」と述べられます。賃金は労働者の生存を支えるが、同時に労働者は自らの再生産能力という「貴い再生産力」を資本家に譲り渡してしまいます。資本家はこの労働力を用いて賃金の2倍の価値を生み出す一方、労働者は賃金を生活必需品に交換して消費するので、それを再び獲得するために再び労働力を売らざるを得ません。したがって労働者の賃金は資本家にとっては生産的な資本の一部であるのに対し、労働者にとっては単なる生活費であり、蓄積されません。
労働者の労働が生み出す矛盾
労働が資本と自らの貧困を同時に生み出す
『グルントリッセ』では、生きた労働が自らの生産物と向き合ったとき、労働は自らの現実を資本として「自分に敵対する力」として対象化するため、労働者は「豊かになるどころか、むしろ貧しくなって」生産過程から出てくると描かれています。労働過程で生み出された剰余価値は資本に転化し、労働者には必要労働に対する賃金だけが支払われます。その賃金による消費は資本の再生産のための要素であり、労働者の再生産も資本家の利益に従属しています。これにより、労働者は自分の生活力を再生産するための消費に追われ、資本家のもとから解放されるような実績を蓄積できません。
労働と資本の対立的連関
労働者は賃金を得ることで生存しますが、その賃金を支払う資本は労働力を利用することで自身を増殖させます。マルクスは「資本によって労働力と引き換えに手放された生活手段が労働力への再転化である」と述べ、労働者の個人的消費さえも資本の再生産過程の一環であると指摘します。資本家は労働者の消費を必要最小限に抑え、労働者が貧困から脱せないようにして再び労働力を売らせます。こうした相互依存でありながら対立的な関係をマルクスは矛盾と呼び、これが資本主義を動かす内的原動力となります。
弁証法的視点
矛盾の単位:労働と資本の統一と対立
弁証法は、社会的・自然的現象を対立する要素の統一と闘争として捉える方法です。マルクス主義の弁証法によれば、現実は物質的条件の中に内在する矛盾によって発展し、矛盾の解決はより高度な形態への移行をもたらします。ウィキペディアの説明では、マルクス主義的弁証法は「社会的関係の中にある矛盾を強調し、対立する二つの力の関係から発展が生じる」と述べ、すべてのものが内部に対立を含み、量的変化が質的変化へと転化し、矛盾の「否定の否定」によってより高い段階が成立すると説明されています。
資本主義社会における労働者と資本家の関係はまさにこの矛盾の統一です。労働者は自らの労働力を売ることで生活し、その労働が資本の価値を増殖させます。資本は労働者なくしては存在し得ず、労働者も資本なしには生存できません。しかし両者の利害は対立し、労働者は自らが生み出した価値から疎外されて貧困にとどまり、資本家は労働者を従属させつつ富を蓄積します。この矛盾こそが資本主義の発展を推進し、やがて変革の契機となると弁証法は考えます。
否定の否定:矛盾の解決と社会的変革
弁証法では、矛盾は単に平衡状態を破るものではなく、新たな統一を生み出す原動力です。資本主義の矛盾が深化するにつれ、労働者は自らの貧困と資本の富の対比を通じて現状を否定しようとします。この否定は単なる個人的な不満ではなく、社会的関係の再編を伴います。マルクスは『グルントリッセ』で、労働者が生産過程から貧しくなって出てくることによって、労働の客体化が労働者にとって「自己の非存在としての存在」になると指摘しました。この自己否定を乗り越えるには、労働者と資本の分離そのものを否定し、生産手段を社会的所有に転化することが必要になります。
労働者が生産手段を握る(個別資本家としてではなく、集団として所有する)ことで、労働と資本の対立は止揚されます。社会化された生産手段のもとでは、生産物の価値が共有され、賃金という形での再生産ではなく、各人の労働に応じた分配と社会的な蓄積が可能になります。労働者の活動はもはや資本を増殖させるための手段ではなく、社会の豊かさの創造そのものであり、そこで初めて労働者の実績が積み上がると言えるでしょう。
まとめ
- 資本主義では労働者の作り出す製品や価値は資本家の所有となり、労働者に還元されるのは賃金だけです。賃金は労働力の再生産に必要な生活手段に交換されて消費され、労働者自身には蓄積が残りません。このため労働者は毎日労働力を売り続けなければ生きていけません。
- 労働者の個人的消費は表面的には自分のための消費ですが、資本の側から見れば資本再生産の一要素であり、労働者階級の再生産は資本家の利益のために恒常的に維持されます。
- 労働者の労働は剰余価値を生み出し、その価値は資本として蓄積されます。一方、労働者は必要労働分の賃金しか受け取れず、その賃金は消費によって消えてしまうため、労働者の実績は資本の拡大という形でしか残りません。
- 弁証法はこの対立を「矛盾の統一」と捉えます。労働者と資本家は相互依存しつつ利害が対立し、その矛盾が資本主義の発展と危機を生み出します。弁証法的発展は矛盾の解決をめざし、対立する関係の否定を通じてより高次の社会的統一を生み出します。
- この観点から見ると、労働者の真の実績は個人的な職能や賃金ではなく、社会全体で生産手段を共有し、労働の成果を自らのものとして蓄積できる仕組みを作り出すことにあります。資本主義の矛盾を止揚し、資本と労働の分離を克服することこそが、労働者が主体的に積み重ねるべき実績となるでしょう。

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