古代のカシュガル:多民族と交易の始まり
タクラマカン砂漠の縁に位置するカシュガルは、紀元前一千年紀にはユエジ・烏孫・サカといった遊牧民族が往来し、オアシスに集落を築きました。この地域は東西交易路の結節点であり、民族や文化の交流によって都市が発展しました。2世紀前半にユエジの勢力が拡大しクシャーン帝国が興隆すると、カシュガルはローマとも交易する巨大商都として栄えました。クシャーンの弱体化を受けて漢帝国が軍政長官府を置き、東アジアの政治勢力が進出しました。遊牧民の自律性(テーゼ)に対し周辺帝国の官僚支配(アンチテーゼ)が衝突し、交易と外交を通じて国際的な都市文化が形成されたことがジンテーゼとして現れました。
唐代と仏教文化
618年成立の唐王朝は西突厥との争いを通じてタリム盆地に進出し、635年・639年にはカシュガルの王が唐に朝貢しました。僧の玄奘は帰路にカシュガルを訪れ、数百の寺院と多くの僧侶を記録しています。カシュガル人はインド系の文字を改良し独自の風習を持ち、農産物や手工業が盛んでした。唐とウイグル勢力が西突厥を破ったものの、チベット帝国の侵攻や安史の乱により統制が弱まり、一時期チベットが支配しました。中央集権的な支配(テーゼ)と遊牧帝国や地域勢力の抵抗(アンチテーゼ)がせめぎ合い、多宗教の共存と文化的多様性という形で合成されました。
イスラーム化とカラハン朝
8〜9世紀にウイグルやトルコ系部族が台頭し、イスラームが徐々に浸透します。10〜11世紀にはカラハン朝がカシュガルを首都とし、イスラームを国教として定めました。アルスラン・カンの下でカシュガルは中央アジア全域に影響力を持つ都市となり、法学者マフムード・カーシュガリーが『テュルク語辞典』を著しました。仏教・多宗教世界(テーゼ)とイスラーム化(アンチテーゼ)が衝突し、最終的にイスラーム文化が優勢となり、都市は学問と宗教の中心へと再統合されました。
モンゴル支配とティムールの破壊
13世紀のモンゴル帝国時代には、チンギス・カンがウイグル人を保護したため破壊は少なかったものの、14世紀後半にティムール軍が都市を壊滅させました。15世紀に再建されましたが、政治経済の中心はサマルカンドやブハラに移り、カシュガルの地位は低下しました。比較的平和な共存(テーゼ)はティムールの軍事的破壊(アンチテーゼ)によって一度断ち切られ、再建後は交易路の一都市として生き残る折衷的な形(ジンテーゼ)となりました。
清朝による征服とヤクブ・ベクの反乱
18世紀後半、清朝はジュンガル部族を討伐して東トルキスタン全域を併合し、カシュガルは清の軍政下に入りました。その後もアファク・ホージャの子孫らが反乱を起こしましたが、1864年にヤクブ・ベクが蜂起してイェッティシャール国を建国しました。ヤクブ・ベクはロシアやイギリスと条約を結び独立を保とうとしましたが、1877年に死去すると清軍が再征服しました。中央集権的支配(テーゼ)とイスラーム王国の独立運動(アンチテーゼ)が対立し、最終的に清朝の統治が回復しウイグル社会に清の制度が浸透する合成が成立しました。
中華民国期と東トルキスタン共和国
清朝崩壊後、新疆の統制は弱まり各地で反乱が続きました。1933年にはカシュガルでウイグルやキルギスの指導者が集まり東トルキスタンイスラーム共和国が宣言されましたが、回族軍閥の攻撃で翌年崩壊しました。1944年にはイリ地方で第二次東トルキスタン共和国が成立しソ連の支援を受けましたが、1949年に中国人民解放軍が進駐し新疆全域が中国に組み込まれました。民族自決(テーゼ)と中国の統一志向(アンチテーゼ)が争い、最終的に自治区としての枠組みが成立しました。
中華人民共和国時代:自治と統合
1955年に新疆ウイグル自治区が設置され、民族自治と経済開発が掲げられました。文化大革命では多くのモスクや歴史建造物が破壊され、1980年代以降の改革開放で鉄道や道路が延伸し漢族移民が流入しました。1999年からは「西部大開発」政策の下、都市の近代化と工業化が進みました。経済成長と安全保障を優先する国家政策(テーゼ)と民族文化の保護・自治要求(アンチテーゼ)が衝突し、観光用に一部の伝統地区を保存するという折衷案(ジンテーゼ)が進行しています。
現代の変容:開発区と観光都市
2010年にはカシュガル経済開発区が正式に承認され、東アジア・南アジア・西アジアへの物流拠点として国際的な経済都市を目指しています。特別な支援政策によりインフラ整備や税制優遇が進み、2024年には地域のGDPが1600億元を超え、対外貿易額も大幅に増加しました。近年は「一帯一路」構想と中国パキスタン経済回廊の玄関口として注目され、観光資源として旧市街の一部が保存されていますが、多くの伝統家屋が取り壊され住民が移転させられたことから文化の空洞化を懸念する声もあります。開発と文化保存の対立が続き、完全な解決には至っていません。
まとめ
- 多民族・交易の始まり: 遊牧民族とオアシス文化が出会う場として、カシュガルはクシャーン帝国や漢帝国の支配と地元自律の間で交易都市として形成された。
- 宗教・文化の融合: 唐代には仏教やネストリウス派が隆盛し、カラハン朝のもとでイスラームが定着した。
- 征服と破壊: モンゴルに保護され、ティムールによる破壊と再建を経て政治的地位は低下した。
- 共和国の夢と挫折: 1930〜40年代に二つの東トルキスタン共和国が樹立されたが、中国中央の軍事力と外交で消滅した。
- 現代の統合と矛盾: 新疆ウイグル自治区として経済開発とインフラ整備が進む一方、旧市街再開発や文化政策はウイグル人のアイデンティティに緊張をもたらし、国家主導の開発と民族文化の保護要求の矛盾が続いている。

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