なぜ米国は大統領を裁けるのか:弾劾裁判の思想

米国憲法では、下院が連邦公務員を告発する権限(弾劾)を持ち、上院が裁判所としてそれを審理する制度を設けています。下院は過半数の賛成で「弾劾条項」を採択すると、対象者は「弾劾された」ことになります。その後、上院が「弾劾裁判」を行い、出席議員の3分の2以上が有罪票を投じれば罷免が決定します。罰則は職務からの除名と将来の公職資格剥奪に限られ、刑罰は別の司法手続きで追及されます。

弾劾は英国の議会慣行に端を発し、合衆国憲法制定時に取り入れられました。制定会議では、罪状として「treason」「bribery」に加え「high Crimes and Misdemeanors(重大な犯罪や不正行為)」という曖昧な表現が採用されました。ジョージ・メイソンは「maladministration(不当な行政)」を用語に含めようとしましたが、ジェームズ・マディソンが曖昧すぎると反対し、英国法で使われたこの表現が採用された経緯があります。下院は調査を行い、司法委員会が案件を扱って過半数で採択すると、弾劾管理人が上院で検察役を務めます。

下院は歴史的に60回以上弾劾手続きを開始しましたが、実際に罷免まで至ったのは8名(いずれも連邦判事)に過ぎません。大統領では、アンドリュー・ジョンソン、ビル・クリントン、ドナルド・トランプの3人が下院で弾劾されましたが、上院でいずれも無罪となっています。2024年には国土安全保障長官アレハンドロ・マヨルカスが弾劾されましたが、上院は「高犯罪や不正行為に該当しない」として訴えを棄却しました。

弾劾裁判の弁証法的考察

権力抑制と責任追及(テーゼ)

弾劾裁判は、公務員の不正を早期に摘発し、権力の濫用を抑止するための制度です。下院が告発の役割を担い、上院が裁判官として公正に審理することで、政府機関間のチェック・アンド・バランスが保たれます。上院の3分の2という厳しい有罪要件は、単なる政争による罷免を防ぎ、制度の重みを保つ仕組みと言えます。

政治的武器化の危険性(アンチテーゼ)

一方で、「high Crimes and Misdemeanors」という基準が具体的に定義されていないため、弾劾が党派的な政治闘争の道具として用いられる可能性もあります。下院は単純過半数で弾劾条項を可決できるため、多数派が政治的意図で弾劾に踏み切ることも可能です。近年、弾劾が頻発している現象に対しては、「制度が乱用されると本来の抑制機能が損なわれる」との懸念が示されています。

法と政治の均衡点(ジンテーゼ)

弾劾裁判は法制度でありながら、政治的判断が不可避な側面を持ちます。フレーマーたちは「曖昧な条文」と「厳しい有罪要件」という二重の仕組みを設け、権力濫用を抑制しつつ制度の乱用を防ぐバランスを試みました。上院での無罪判決が多いことからわかるように、弾劾は本質的に政治と法の交点にある制度であり、厳格な適用と自制心の両方が求められます。マヨルカス長官の弾劾棄却は、法的基準による抑制が働いた例と言えるでしょう。


要約

  • 制度の概要:下院が弾劾条項を可決し、上院が裁判を行うことで、高犯罪や不正行為を行った公務員を罷免・将来の公職資格剥奪する仕組みです。
  • 曖昧さと抑止力:弾劾事由の曖昧な定義は柔軟性をもたらす一方、党派的利用の危険を孕んでいます。上院の3分の2要件は乱用を防ぎます。
  • 歴史的事例:下院は60回以上弾劾手続きを行い、8名の連邦判事が罷免されました。大統領の弾劾は3例すべて無罪となり、2024年のマヨルカス長官弾劾も上院で棄却されました。

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