背景:オランダのボックス3税制改革
オランダでは貯蓄や投資の所得を課税する「ボックス3」が長年問題視されてきました。従来は資産の実際の利益ではなく想定収益率を基準に課税しており、最高裁判所から違憲判決が出たため2025年に新制度が提案されました。政府が2025年5月に提出した「実際収益ボックス3法案」は、投資の実際の収益(所得や価値の増減)を課税対象とする資本増価税(capital growth tax)と、不動産やスタートアップ株式の譲渡益を課税対象とするキャピタルゲイン税の2本柱で構成されています。資本増価税では、株式や暗号資産、預金などの資産を年初と年末の公正価値で測定し、評価益(含み益)と所得を毎年課税しますが、未実現の損失は控除できます。なお、不動産とスタートアップ株式についてはキャピタルゲイン税が適用され、売却時(実現時)に課税されます。
2026年2月時点では、この法案は2028年の施行を目指して審議中であり、政界では含み益課税の廃止を求める声もあります。一方、2026年1月には多くの議員が資本増価税を支持しており、暗号資産界では資本流出や投資家の国外移住を懸念する声があがっています。
IFRSの金融商品会計と含み益の扱い
国際財務報告基準(IFRS)では、金融資産の測定と収益認識について詳細なルールが定められています。IFRS 9では、金融資産は公正価値を損益(FVPL)、公正価値をその他包括利益(FVOCI)、償却原価の三つのカテゴリーに分類されます。公正価値で測定する資産は期末ごとに市場価格を反映し、
- FVPLの場合:損益計算書に未実現損益を含めて認識します。例として、額面10万ドルの債券を94,205ドルで購入し、年末に97,430ドルに上昇した場合、金利収益11,305ドルに加え、評価益1,920ドルが損益計算書に計上されます。
- FVOCIの場合:期末の評価益はその他包括利益(OCI)として資本の部に計上され、売却時に初めて損益計算書へ振り替えられます。
このようにIFRSでは公正価値評価による含み益の認識が財務報告の透明性向上に重要だとされます。一方で、これは企業報告のためであり、課税の基準を定めるものではありません。IFRSは「会計利益=課税所得」とすることを求めておらず、各国の税法は会計基準から調整を行うことを前提としています。
含み益課税と金融システムへの影響
潜在的なメリット(テーゼ)
- 公平性の向上:現在のボックス3では想定収益率に基づき一律課税しているが、資本増価税では実際の価値変動に基づくため、高収益者への課税強化と低収益者の負担軽減が期待されます。
- IFRSとの理論的整合性:会計上は公正価値を認識する資産について評価益を計上するため、未実現利益に課税する考え方は経済的利益の発生時点に着目する点でIFRSの公正価値測定と親和性があります。
- 財源確保:遅延による税収損失は年間23億ユーロとも試算され、財政健全化の面で政府は即効性のある施策を求めています。
潜在的なデメリット(アンチテーゼ)
- 流動性リスクと資本流出:資本増価税では資産の評価益に対し年毎に税金が発生するため、キャッシュフローがない投資家は資金繰りのために資産売却を余儀なくされることがあり、資本流出の懸念が強まっています。
- 国際的整合性の欠如:オランダ税理士協会の調査によれば、資本増価税を採用している国は調査対象の12か国中存在せず、制度は国際的に孤立しています。
- 政治的不安定さ:2026年2月の国会では連立与党が未実現利益課税の廃止を示唆しており、導入が確約されているわけではありません。政策の不確実性は投資家の信頼を損ない、税制の一貫性を欠く要因となります。
- 行政コストと評価の困難:毎年1月1日と12月31日の資産評価額を基に税額を計算するため、納税者も税務当局も膨大な評価・管理作業を負うことになります。非流動資産や未上場株式の評価は不確実性が高く、紛争の火種となる恐れがあります。
総合的考察(シンテーシス)
弁証法的にテーゼとアンチテーゼを統合すると、以下のような示唆が得られます。
- IFRSはあくまで会計基準であり、課税のための直接的な根拠ではない。未実現損益の認識は投資家への情報提供を目的とし、課税との間には適切な調整が必要です。IFRSの公正価値測定を税制に取り込む場合でも、所得税法で流動性への配慮や損失繰越などの救済措置を導入する必要があります。
- 実現ベース課税への回帰と、公正価値情報の利用の両立が考えられます。オランダ政府内でも、ボックス3をキャピタルゲイン税へ移行する構想が浮上しています。未実現利益に基づく評価情報を申告させつつ、税金は実現時に支払う方式や、一定の繰延納税制度を導入することで、税収確保と流動性リスクのバランスを取ることができます。
- 制度導入の段階的アプローチが望ましい。財政需要や公平性の観点から未実現利益への課税を完全に否定できない一方、突然の全面導入は市場にショックを与えるおそれがあります。まず大口の投資家や特定資産に限定して試行し、影響を評価したうえで範囲を拡大する手法が考えられます。
結論
オランダのボックス3改革は、未実現含み益課税という大胆な試みとキャピタルゲイン課税への回帰という相反する潮流がせめぎ合う「実験段階」にあります。IFRSでは金融商品の公正価値測定によって未実現損益を会計上認識するため、税制が経済的利益の発生時点を捉えるという理念自体は否定できません。しかし、実務面では流動性不足や資本流出、評価コストなど深刻な問題が指摘されており、2026年2月時点で政治的合意も揺れています。最終的な制度設計では、IFRSの情報性を生かしつつ、課税時点を実現ベースにするなどの緩和策を組み合わせ、金融システムへの影響を抑えることが求められます。
要約(引用元省略)
オランダ政府は2025年に提出した法案で、株式や暗号資産などの含み益を毎年課税する資本増価税と、不動産やスタートアップ株式の売却益を課税するキャピタルゲイン税を提案しました。資本増価税では公正価値で評価した未実現利益にも税金が掛かり、損失は控除できます。IFRS 9では金融商品を公正価値で評価し、未実現利益を損益計算書またはその他包括利益に認識するため、この税制は一定の理論的裏付けを持ちます。しかし、含み益課税は国際的に類例がなく、流動性リスクや資本流出、評価コストの増大が懸念されます。2026年2月には連立与党が未実現利益課税の廃止を検討しており、実施は不透明です。今後の制度設計では、IFRSの公正価値情報を活用しつつ実現ベース課税や繰延制度を組み合わせ、金融システムへの影響を抑えることが重要とされます。

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