序論
2026年の世界情勢は、地政学的な力学の変容、技術の急速な進展、脱炭素化と経済安保、社会の分断や若年世代の政治参加など、多面的な要素が絡み合う複雑な状況である。本報告では「依存からの覚醒と世界秩序の再構築」という視点から、各テーマの相反する側面(テーゼとアンチテーゼ)を対比し、それらが相互作用するなかで形成されるシンセーシス(統合)を検討する。
1. 国際秩序の揺らぎと安全保障
テーゼ: 戦後秩序への回帰と国際協調の必要性
- 第二次世界大戦後に構築された国際秩序は、NATOや国際連合などの枠組みを通じた集団安全保障と自由貿易体制を軸としてきた。
- 欧州諸国はロシアの侵攻に対抗して国防費の増額を決定し、NATOは国防費をGDP比5%へ引き上げる方針を示すなど、協調防衛の強化を図っている。
- 日本も防衛費をGDP比2%とする計画の前倒し実現を図り、対米同盟を軸とした抑止力を重視する。
アンチテーゼ: 米国の役割変容と多極化
- 2025年1月にトランプ氏が再び米大統領に就任したことで、米国の対外姿勢は内向き志向を強め、相互関税の導入や一部の安全保障義務の見直しが示唆された。米国は依然として拡大抑止を提供する一方で、停戦仲介などを通じて対ロシア融和に傾く動きもある。
- 新興国や中堅国は米国への依存を減らし、中国やロシアと独自の安全保障協力を構築し始めている。サウジアラビア・パキスタン間の防衛協定や、中東諸国の中国・ロシアへの接近はその例である。
- 戦後秩序の象徴である集団的安全保障が形骸化し、20世紀前半の戦間期と類似する不安定な多極化が進行する。
シンセーシス: 自律性の追求と重層的な安全保障
- 各国は米国依存を見直しつつも、完全な自立が難しい現実の中で複数のパートナーとの協調を模索している。欧州は対米関係に一定の距離を置きつつ、対中依存からの脱却も進め、自由貿易協定や防衛協力の多角化を図っている。
- 日本や韓国は同盟関係を維持しながらも、経済安全保障や技術協力により地域内の連携を強化する方向へ転じている。
- 新しい安全保障秩序は、一国への依存ではなく相互補完的なネットワーク構築が中心となる。「覚醒」とは、既存の枠組みに過度に依存する危うさに気付いた各国が、自国の戦略的自律性を高める試みのことと言える。
2. 世界経済の停滞と構造転換
テーゼ: サービス業が下支えする緩やかな成長
- 2024年の世界経済成長率は3.3%で、2025年・2026年も3%前後の緩やかな成長が予測されている。製造業は低迷しているが、ヘルスケアや観光などサービス業が堅調で世界経済を支えている。
- 物価上昇率は縮小しているものの高止まりが続き、国や地域ごとにインフレ要因が異なる。米国のサービス価格や欧州のエネルギー価格など、対象分野が多様化している。
- 先進国に比べ新興国は成長率が高く、アジアやインドは5%を超える成長を維持している。アジア5カ国(ASEAN-5)は4%前後の成長が予想される。
アンチテーゼ: 貿易量減少と高インフレによる停滞懸念
- 先進国の製造業不振と中国の内需不振、米国の関税政策が貿易の足かせとなっている。供給網の再編や関税の応酬は世界の貿易量を圧迫し、開放経済の恩恵が縮小しつつある。
- ロシア・ウクライナ戦争の長期化によりエネルギー価格の不安定化が続き、物価高騰と財政負担の拡大が家計を圧迫する。
- 米国では2025年以降に失業率が上昇し、賃金伸びが停滞、カードや学生ローンの延滞率が急増しており、景気後退への懸念が高まっている。欧州も成長の濃淡が大きく、財政赤字と高債務が政策余地を狭める。中国経済は内需刺激策の効果が限定的で、ディスインフレを背景に貯蓄志向が強まる。
シンセーシス: 経済安保と構造転換が成長モデルを再定義
- 世界経済の成長源は伝統的な製造業からデジタル・グリーン・医療など新産業への移行が進み、資本や労働の再配置が必要となる。AI・半導体など戦略分野へ資金が集中し、クリーンエネルギーや防衛需要が官製需要として経済を下支えしている。
- 経済安全保障政策の下、重要鉱物の確保やサプライチェーンの国内回帰が推進され、脱炭素・AI・デジタル化を柱とした国家戦略が各国で示されている。
- 今後の経済成長は、自由貿易と国際協調だけでなく、戦略的自律性と国内投資の拡大によって支えられるという二重構造に移行する。
3. テクノロジーとAIの進化
テーゼ: AIと自動化が生産性を飛躍的に向上
- 基盤モデルの性能向上により、一部のタスクで人間の専門家を超える能力が実現し、メディア制作やソフトウェア開発などで急速な普及が進んでいる。
- コスト効率が劇的に改善し、業界別に特化したAIの開発・導入が本格化している。AIエージェントが自律的に知的タスクを実行し、フィジカルAI(ロボット・自動運転)が実世界の作業を担う可能性が高まっている。
- 巨大データセンター建設が進み、Stargate Project など5GW規模のAI施設が計画されるなど、AIインフラ投資が拡大している。
アンチテーゼ: 雇用・倫理・安全保障へのリスク
- AIの急速な普及は雇用喪失や所得格差の拡大を招き、マルウェア生成やディープフェイク拡散など犯罪リスクも高める。著作権や人格権の侵害、不正確・有害な出力による安全性への懸念が広がっている。
- 電力需要の増大による環境負荷や電力コスト上昇が制約要因となり、AIチップから電力供給へのボトルネックが指摘されている。国家安全保障の観点では、自律型兵器や生物化学兵器への転用リスク、サイバー攻撃への脆弱性が問題となる。
- データガバナンスやプライバシー保護の枠組みが各国で未整備であり、良質なデータの獲得競争が新たな不均衡や規制闘争を生む。
シンセーシス: 社会的ガバナンスと倫理的枠組みの構築
- AIの利用は、生産性向上とイノベーションをもたらす一方でリスクを伴うため、国際的な規制と倫理基準の整備が不可欠である。EUはオムニバス法による開示負担の軽減と同時に透明性・説明責任を求め、日本はサステナビリティ基準委員会を通じて基準を導入しようとしている。
- AIインフラ投資は再生可能エネルギーとの組み合わせや効率的なデータセンター設計を促進し、電力需給問題を緩和する方向へ進む。
- 人間とAIの協調を重視し、教育や再訓練を通じて新しい産業への労働移動を支援することで、AI普及の利益を広範に共有する道筋が求められる。
4. 気候変動・ESGとサーキュラーエコノミー
テーゼ: 脱炭素と循環経済の推進
- GHG排出削減や自然資源利用の効率化を求める声が高まり、低炭素な循環資源の利活用やリサイクル技術の高度化が課題となっている。
- 経済安全保障と脱炭素が結びつき、重要鉱物の国内確保やサプライチェーンの循環化が政策課題として浮上している。
- 日本では資源有効利用促進法の改正、EUでは重要原材料法や循環型経済法案などが予定され、国際プラスチック汚染防止条約の策定やグローバル循環プロトコルなどの枠組みが検討されている。中国は再生可能エネルギー設備容量を2035年までに6倍以上にする目標を掲げている。
アンチテーゼ: 気候政策の停滞とESGの揺り戻し
- 2035年目標でも2℃目標の達成は難しく、COP30では適応指標では合意したものの脱炭素ロードマップがまとまらず、グローバル合意形成が難航している。
- 米国はパリ協定離脱を公表し、気候リスク管理を軽視する政策へ転換した。FRBは気候リスクに関する国際ネットワークを脱退し、SECによる気候情報開示の導入も停滞している。
- 欧州は脱炭素と産業競争力の両立に苦慮し、電気自動車目標の見直し圧力が高まっている。中国はGHG排出のピークアウトが遅れ、アジア諸国も循環経済移行に時間を要している。
- ESG投資は理想から現実的な規制・標準へと揺り戻しが起きており、米国では国際枠組みへの参加停止や情報開示義務の緩和が進む。
シンセーシス: 脱炭素と経済競争力の調和
- 脱炭素への歩みを止めずに競争力を維持するためには、再生可能エネルギーのコスト低下や蓄電技術の進歩、循環型のサプライチェーン構築が不可欠である。
- 各国が一律の目標を追うのではなく、国情に応じた実現可能なロードマップを策定し、炭素国境調整措置(CBAM)や排出量取引制度といった政策ツールを組み合わせる必要がある。
- ESGは現実的な規制と透明性に基づき、企業活動を変革する基準として再定義される。生物多様性COP17では遺伝資源の配列情報に関するルールや企業行動規範が議論され、投資家向けの開示基準が整備される見通しである。
5. 地域別の政治経済動向
米国
- トランプ政権は関税政策を柔軟に運用し、市場の反応次第で関税率を引き下げることもある。2026年11月の中間選挙に向け、民主党はニューヨーク市長選など地方選挙の教訓を活かし巻き返しを狙う。
- 米経済は失業率上昇と個人債務の延滞率増加が重荷となる一方、サービス業を中心に雇用が支えられている。物価安定が消費マインドの鍵となり、関税政策がインフレや家計に与える影響が注視されている。
- 「Trump Always Chickens Out(TACO)」との揶揄が示すように、強硬姿勢と市場への配慮の間で政策が揺らいでいる。
欧州
- 極右を含む右派勢力の台頭が進み、一部加盟国では政権入りする動きも見られる。対米関係の相対化と対中依存脱却が進み、FTA交渉を通じた貿易多角化を志向している。
- 経済成長には濃淡があり、ドイツ・フランス・北欧・東欧は低成長が長期化する一方、アイルランドやスペインでは相対的に高成長が維持された。財政赤字と政府債務の高止まりにより、成長維持と財政健全化の両立が課題。
- 脱炭素、安全保障、高齢化など中長期課題が積み重なる中、欧州は統合の求心力と遠心力の間で綱引きを続けている。
ロシア・ウクライナ
- ウクライナ戦争は5年目に突入し双方に巨額の人的・物的損害を与えている。トランプ政権は停戦交渉を仲介し、領土割譲やウクライナの兵員数制限を含む和平案を提示するが、ウクライナにとって厳しい内容となっている。
- 戦争コストでロシアの経済成長は減速し、財政赤字が拡大している。ウクライナは資金難と人員不足で疲弊し、政権への信頼が揺らぐ。欧州に戦火が飛び火するリスクも指摘される。
- 戦後秩序を揺るがすこの戦争は、領土の不可侵原則や国家主権の尊重に対する国際社会の意識を試す局面となっている。
中国
- 習近平主席への権力集中が進み、「新質生産力」や科学技術の自立を掲げる政策が推進される。米中戦略的競争が続く中、国家安全保障の強調と先進技術確保を重視する姿勢が目立つ。
- 内需拡大が唱えられるが、投資と輸出に依存する構造が続き、ディスインフレを背景に消費者の貯蓄志向が強まる。地方財政は中央政府支援で再建されつつあるが、土地使用権譲渡収入の減少が続く。
- 対外的には新興国・途上国への関与を強化し、日本との関係は2025年11月以降急速に悪化した。尖閣諸島や経済制裁を巡る摩擦が継続し、日中関係は低空飛行となっている。
アジアその他
- 韓国では「共に民主党」の李在明氏が大統領に就任し、実用外交と経済構造改革を掲げる。輸出の鈍化と建設不振が続く中、AIや半導体投資が成長をけん引すると期待される。防衛予算をGDP比5%まで引き上げる方針。
- 台湾の頼清徳政権は少数与党で政策運営が厳しい。中国は台湾の政治的安定を揺さぶる工作を強めており、封鎖リスクは高まるが直接侵攻の可能性は低い。
- 中東では米・中・露の競争が再編され、アラブ諸国は対米依存を減らしつつ多方面に関係を拡大している。ガザ・レバノンは表向き停戦状態だが低烈度の紛争が継続し、イラン核問題や紅海でのフーシ派攻撃など地政学リスクは根強い。湾岸産油国は脱炭素とAI・デジタル化を柱とした国家変革を急いでいる。
新興国・金融市場
- 新興国の多くは対米輸出への依存度が高く、米国関税政策の影響を受けやすい。ベトナム、インド、バングラデシュなどは輸出多角化を急いでいる。
- 金融市場ではAI関連株がバブル的上昇を経験した後に選別の動きが強まり、電力需要拡大を背景にクリーンエネルギー関連への投資が再注目されている。化石燃料への投資低迷は将来の供給リスクを孕み、銅やアルミなど重要鉱物の価格が地域差を広げながら上昇している。
- 金や銀はソブリンリスクのない価値保存手段として需要が高まり、地政学的緊張やドル離れに対するヘッジ機能を果たしている。
結論 — 依存からの覚醒と再構築へ
2026年の世界は、戦後秩序の揺らぎと多極化、経済の低成長と構造転換、AIや脱炭素といった技術・環境分野の急激な変化など、多数の相矛盾する力の作用点に立っている。弁証法的に整理すると、古い秩序や依存関係は否定されつつも完全には消えず、これらの要素と新しい自律・多様化の動きが相互に影響し合いながら、新たな世界像が形成されつつある。
世界は単純な善悪二元論ではなく、相反する潮流の統合により進化していく。安全保障では多国間ネットワークと自立の追求が両立し、経済ではサービス業と新技術が成長を支える一方で保護主義や格差問題が残る。AIと脱炭素は巨大な可能性とリスクを併せ持ち、適切なガバナンスが求められる。地域ごとに異なる動態を踏まえながら、相互依存の危うさを認識し、持続可能で包摂的な世界秩序を再構築する努力が必要である。

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