はじめに
世界経済の議論では、新自由主義とニューケインジアンという二つの潮流が対峙しながらも絡み合い、グローバルな政策変化を生み出してきた。弁証法的な分析とは、ある理念(テーゼ)に対しその矛盾や限界を映し出す反対理念(アンチテーゼ)が現れ、両者の対立から新たな統合(ジンテーゼ)が生じる過程を捉える方法である。本稿では、新自由主義をテーゼ、ニューケインジアンをそのアンチテーゼとして捉え、世界の潮流をこの枠組みで考察する。ここでは資料の出典を示すが、結論部分などでまとめの形で重複して提示することはしない。
新自由主義の台頭とその矛盾
ケインズ的福祉国家への反動
第二次世界大戦後の先進国では、政府支出による完全雇用を目指すケインズ的な政策が主流だった。しかし1970年代の石油危機とスタグフレーションはこの枠組みの限界を露呈させた。東京財団の報告によると、新自由主義は「市場メカニズムへの深い信頼と政府介入への疑念」を特徴とし、自由貿易と国際投資の自由化が効率性を高めると信じられた。この風潮は、マーガレット・サッチャーやロナルド・レーガンの政権が掲げた「小さな政府」への志向を生み、規制緩和・減税・社会保障削減が進められた。また、ワシントン・コンセンサスに象徴されるように、国際通貨基金や世界銀行が新興国に対して同様の政策を推進した。
金融資本主義と世界的危機
新自由主義は1980〜90年代に世界的な政策規範となったが、その帰結は一様ではない。東京財団の報告は、米国では「グリーンスパン時代」と呼ばれる金融政策への過度な信頼により、株式や不動産など資産価格の上昇が経済の好調さを演出したものの、実体経済の成長は限定的だったと指摘する。この資産バブルは2007〜08年のサブプライム危機で崩壊し、世界金融危機へと発展した。報告はまた、危機後の長期停滞や低成長、さらには所得格差の拡大により、新自由主義への信頼が大きく揺らいだことを強調する。
グローバルな反動
新自由主義の限界は経済だけでなく政治にも影響を与えた。米国の学生新聞デイリー・イリニは、移民の急増や所得格差の拡大が欧米でナショナリズムやポピュリズムを台頭させ、2016年のトランプ当選や英国のブレグジットがそれを象徴していると指摘する。こうした反動は、新自由主義的な「自由市場・自由貿易」への信任が崩れたことを示しており、グローバルな潮流の変化を促す要因となっている。
ニューケインジアンの登場とその意義
理論的背景
1970年代のスタグフレーションはケインズ主義への批判を強め、新古典派の合理的期待革命が台頭した。しかし同時に、一部の経済学者は価格や賃金が短期的に硬直的(スティッキー)であることを重視し、マクロ経済にミクロ経済的な基礎を与えようとした。これがニューケインジアン(新ケインズ派)である。経済学用語集によれば、ニューケインジアンは「価格と賃金の硬直性」を中心概念とし、この硬直性が不完全競争や情報の非対称性によって生じると説明する。では、経済主体が合理的期待を持つものの、市場の失敗や情報の不足により価格の変更が遅れるため、政府による金融政策や財政政策が景気安定化に有効であると説かれている。
ニューケインジアンの特徴
ポリコノミクスもニューケインジアンの特徴を整理している。そこで強調されるのは、企業が完全競争ではなく独占的競争の下で価格設定を行う点である。さらに、合理的期待が市場の失敗によって歪められるため、他者が価格を変えないという予想が価格硬直性を生む。価格変更に伴う「メニューコスト」も調整を遅らせ、失業や生産の停滞が生じるため、政府による限定的な介入が正当化される。
政策への影響と第三の道
ニューケインジアンは、古典的ケインズ主義よりも市場メカニズムを重視し、政府介入を市場の失敗を補完するための最小限の措置と位置付けた。そのため、1990年代以降に登場した「第三の道」政治と親和性が高かった。ジャコビン誌の分析によれば、1970年代のスタグフレーションで戦後ケインズ主義が失墜すると、アイビーリーグを中心とする学者がニューケインジアン理論を発展させ、スタンレー・フィッシャーやラリー・サマーズ、ジャネット・イエレンらが政策に影響を与えた。彼らの理論は、財政出動よりも金融政策による物価安定を優先し、失業率を抑え過ぎるとインフレが加速するという「NAIRU(非加速的インフレ率失業)」概念に基づいて、賃金要求を生産性に合わせるよう政府が誘導すべきと主張した。
このニューケインジアンの枠組みは、ビル・クリントン政権やトニー・ブレア政権など中道左派の第三の道政策に採用された。彼らは市場競争を受け入れつつ、教育や研究への投資など供給側の強化を図り、金融市場の期待に沿うよう財政赤字削減を進めた。ジャコビン誌によれば、この路線は独立した中央銀行によるインフレ目標と財政緊縮を軸とし、労働市場の柔軟化と「人材への投資」を推進したが、同時に社会保障削減や格差拡大を招き、2000年代の好況の陰には家計負債や資産インフレが存在した。
限界と批判
ニューケインジアン経済学は、1990年代から2000年代にかけて学界の主流となったが、2008年の金融危機を予測できなかったことで批判を浴びた。投資情報サイトの解説によると、ニューケインジアンは価格・賃金硬直性と市場の失敗を重視する一方、合理的期待と効率的市場を前提とするため、危機の前兆を見逃しやすいという。また、財政赤字が貯蓄を刺激するという主張や物価安定偏重の政策が長期停滞を招いたとの批判もある。
新自由主義とニューケインジアンの弁証法的関係
新自由主義は、自由市場を絶対視し政府介入を極力排除することをテーゼとして掲げた。それに対しニューケインジアンは、価格や賃金の硬直性に注目し、市場の失敗を是正するための限られた政府介入を認める点でアンチテーゼとなる。しかし、ニューケインジアンは古典的ケインズ主義のような積極的な財政出動を否定し、インフレ抑制と供給側強化を重視するなど、新自由主義の枠内にとどまる側面がある。ジャコビン誌が指摘するように、第三の道はニューケインジアン理論を用いて市場競争を肯定しつつも社会投資を掲げ、結局は財政緊縮と労働市場の柔軟化を正当化した。このように、新自由主義とニューケインジアンは対立しながらも相互補完的に作用し、「市場重視+限定的介入」という統合された政策枠組みを形成した。
統合の矛盾と新たな潮流
この統合が持つ矛盾は、世界金融危機やCOVID‑19パンデミック、気候変動といったショックにより露呈した。自由化と規制緩和は金融システムの脆弱性を高め、財政緊縮は公共サービスの後退と格差拡大を招いた。グローバルサプライチェーンの混乱や長期停滞は、需要面・供給面の双方で国がより積極的に介入する必要性を示した。東京財団は、世界金融危機以降に「セキュラースタグネーション」(長期停滞)や自然利子率の低下が議論されるようになり、需要創出策の必要性が高まったと述べる。同様に、ニューケインジアンの枠組み内でも、気候危機や貿易分断を扱う新しいモデル(例えば気候ダメージを組み込んだニューケインジアン気候モデルなど)が登場し、従来の供給側偏重を修正する動きがある。
ポスト新自由主義への模索
以上の対立と矛盾から、世界は「ポスト新自由主義」へと向かう模索を進めている。第三の道を支えたニューケインジアン的政策が格差や不安定を招いたことへの反省から、近年は再び積極的な財政政策や産業政策が復権しつつある。ジャコビン誌は、バイデン政権の初期政策や各国のグリーン投資を「供給側進歩主義」と称し、インフラ投資・気候対策・産業再建を重視する新たな潮流として捉えている。しかし同時に、右派ポピュリズムや新保守主義も台頭しており、排外的なナショナリズムと国家主導の資本主義が結び付く危険もある。民主主義ジャーナルは、ポスト新自由主義の将来が「多民族民主主義に基づく新しいニューディール」になる可能性とともに「排他的で権威主義的な経済体制」への転落もあると警告している。
結語
弁証法の観点から見ると、新自由主義というテーゼが市場重視と小さな政府を追求した結果、金融危機や格差拡大という矛盾を生んだ。ニューケインジアンは、この矛盾を補完するアンチテーゼとして市場の失敗に介入する理論を提唱したが、インフレ抑制や供給側重視を掲げる限りで新自由主義の枠組みに依存した。その結果、第三の道的な政策が世界を席巻したが、これもまた新たな矛盾(財政緊縮と不安定化)を生み、ポスト新自由主義的な構想が模索されている。世界は今、自由市場と政府介入の新たな均衡を探る過渡期にあり、気候危機やデジタル化、人口動態の変化といった課題への対応が、新自由主義とニューケインジアンの対立を超える新しい政策パラダイムを要求している。


コメント