ホッブズの「社会契約説」を基に、マルクスの共産主義を批判するには、まず両者の思想の根幹にある政治権力とその必要性に着目する必要があります。ホッブズの社会契約説は、国家の役割と秩序の維持に焦点を当て、権力の正当性を論じます。一方、マルクスの共産主義は、最終的に国家の消滅を目指す思想であり、両者の間には根本的な矛盾があります。以下、政治権力の必要性という軸で、ホッブズの思想を活用してマルクス主義を批判する論理を展開していきます。
ホッブズの社会契約説と政治権力の必要性
ホッブズは、その代表的な著作『リヴァイアサン』において、人間の自然状態を「万人の万人に対する闘争」と定義しました。自然状態においては、人間は自己保存のために互いに戦い、無秩序と混乱が支配するとホッブズは考えます。この混乱から脱するために、人々は「社会契約」を結び、共通の権力(国家)に服従することで安全と秩序を確保します。
ホッブズによれば、**強力な中央権力(リヴァイアサン)**は、社会の平和と安全を維持するために不可欠です。国家は人々の契約によって生まれ、権力を持つことで私利私欲に基づく争いを抑え、法と秩序を確立します。ホッブズの社会契約説は、個人の自然な自由を放棄してもなお、共同体全体の安全と秩序のために権力の存在が必要だと強調しています。
マルクスの共産主義と国家消滅の理想
マルクスの共産主義において、最終的な目標は「階級の消滅」と「国家の消滅」です。彼の理論では、資本主義は労働者階級(プロレタリアート)を搾取する不平等なシステムであり、これを打倒するためにプロレタリア革命が必要です。革命後、暫定的に「プロレタリア独裁」が樹立され、国家が労働者階級の利益を守りつつ資本主義の残滓を清算します。
しかし、マルクスの理論では、最終的には国家は消滅し、無階級社会が実現することで権力や抑圧の必要性がなくなるとされています。この段階では、人々は自発的に協力し、資源や生産物が平等に分配され、政治権力や強制力を必要としない完全な共産主義社会が実現するという理想が描かれます。
ホッブズの視点からマルクスを批判する
ここで、ホッブズの社会契約説を基に、マルクスの共産主義を批判します。
マルクス主義における国家消滅の理想
マルクス主義の最終目標は、国家と階級の消滅にあります。資本主義が打倒され、プロレタリア独裁を経た後、すべての人々が平等に資源を享受し、権力や支配を必要としない社会が実現するとされます。ここでは、国家は一時的なものであり、最終的には権力を必要としない無政府的な社会に到達することが前提とされています。
ホッブズの社会契約説による批判
ホッブズの社会契約説の立場からすると、国家や強力な政治権力の消滅は危険であると批判できます。ホッブズは、人間が自然状態に戻れば、利己的な欲望や権力欲に支配され、社会は再び「万人の万人に対する闘争」の状態に陥るとしています。人間の性質が完全に変わることはなく、抑制力のない社会では、自己保存のために人々は再び争い、秩序が崩壊する可能性が高いと考えます。
マルクスが描く国家消滅後の平等社会は、ホッブズに言わせれば、理想主義的であり、現実的ではないとされるでしょう。人間は本質的に競争的であり、権力のない社会では再び混乱が生じると考えます。したがって、ホッブズの視点からは、強力な国家の存在が必要不可欠であり、国家消滅は新たな不平等や暴力を招くだけであると主張します。
政治権力の抑制と管理の必要性
この批判から導き出される統合命題として、国家や政治権力の抑制と管理の必要性が浮かび上がります。ホッブズの論理では、完全な無政府状態や権力のない社会は混乱を招く可能性が高く、したがって、一定の秩序やルールを維持するための権力は不可欠です。
一方で、マルクス主義が批判するように、過剰な権力集中や権力による抑圧は避けるべきであり、権力の存在が不平等を助長する可能性もあります。この矛盾を解決するためには、権力の抑制と管理が適切に行われる社会が求められます。すなわち、政治権力は完全に消滅するべきではないものの、その存在は常にチェックされ、個々の自由や平等が保証されるような仕組みが必要です。
結論
ホッブズの社会契約説をもとにマルクスの共産主義を批判すると、政治権力の完全な消滅は非現実的であり、むしろ混乱や新たな不平等を生み出す可能性があるという結論に至ります。ホッブズは、人間の本性を前提とした秩序維持のために権力を必要とする立場をとっており、共産主義の理想的な無階級社会は、人間の性質を無視した過度な理想主義だと批判されます。
結論としては、権力の存在を認めつつ、それを抑制し、管理するシステムが必要であり、強力な中央権力と人々の自由のバランスをとることが現実的な社会運営の鍵であると言えるでしょう。したがって、マルクスの共産主義は理想としては魅力的ですが、ホッブズの視点から見ると、国家消滅の思想は現実的な限界に直面していると結論づけられます。
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