1970年代から1980年代にかけて、アメリカの経済政策は大きく変化しました。ニクソンショック(1971年)を契機に、スタグフレーション(1970年代)を経て、最終的にレーガノミクス(1980年代)へと至るこの期間は、金融政策と財政政策の大きな転換点となりました。
① ニクソンショック(1971年)
背景:
- 第二次世界大戦後、アメリカはブレトン・ウッズ体制(金本位制と固定相場制)を主導。
- しかし、1960年代のベトナム戦争や**「大いなる社会」政策**(リンドン・ジョンソン政権による福祉政策)による財政赤字の拡大で、ドルの信認が低下。
- 他国が金とドルの交換を求め、米国の金準備が減少。
政策:
- 1971年8月15日、リチャード・ニクソン大統領が**ドルと金の交換停止(ドルショック)**を発表。
- 固定相場制の崩壊(事実上の金本位制の終了)。
- 為替市場は変動相場制へ移行。
- ドル安が進行し、輸出競争力は向上したが、インフレ圧力も高まる。
② スタグフレーション(1970年代)
背景:
- 1973年、第一次オイルショックで原油価格が約4倍に。
- 1979年、第二次オイルショックで再び原油価格が高騰。
- 結果として、インフレ(物価上昇)と景気停滞が同時進行(=スタグフレーション)。
- ケインズ経済学の枠組みでは「インフレと不況は同時に発生しない」と考えられていたため、従来の政策では対応が困難に。
政策:
- 財政政策(拡張的)
- ニクソン政権:一時的な物価統制(賃金・価格の凍結)を行うも、失敗。
- ジェラルド・フォード政権(1974-1977):インフレ対策として「WIN(Whip Inflation Now)」政策を提唱(実効性なし)。
- ジミー・カーター政権(1977-1981):景気刺激策として財政赤字拡大。
- 金融政策
- FRB(連邦準備制度)は低金利政策を維持 → インフレ抑制に失敗。
- 1979年にポール・ボルカーがFRB議長に就任し、大胆な金融引き締めを開始。
③ ボルカー・ショック(1980年代初頭)
背景:
- 1970年代の失策でインフレ率は15%超、失業率は7%超の危機的状況。
- FRBは「マネーサプライ(通貨供給量)の管理」を重視し、従来の金利政策から転換。
政策(超金融引締め):
- FRBは政策金利を一気に20%超まで引き上げ。
- 結果、短期間でインフレは収束(1983年には4%以下)。
- しかし、高金利の影響で景気は大幅に後退し、失業率は10%超に。
④ レーガノミクス(1981年~1989年)
背景:
- **ロナルド・レーガン大統領(1981-1989年)**が就任。
- 「供給サイド経済学」に基づき、規制緩和・減税・歳出削減を掲げる。
政策:
- 減税(財政政策)
- レーガン税制改革(1981, 1986)
- 最高税率を**70%→50%→28%**に段階的に引き下げ。
- 法人税率も引き下げ、企業の投資を促進。
- 歳出削減(ただし軍事費は拡大)
- 社会保障支出は削減(福祉関連)。
- しかし、「強いアメリカ」を掲げ、軍事費(冷戦政策)を大幅増加 → 財政赤字拡大。
- 金融政策(FRBの独立性維持)
- ボルカーの金融引締めを継続し、インフレを完全に抑え込む。
- 金利は徐々に引き下げられ、1980年代中盤には安定成長。
- 規制緩和
- 労働市場・エネルギー・通信・航空業界などで規制を撤廃。
- 企業の競争力を向上させる一方、格差拡大を招く。
総括:金融・財政政策の変遷
時期 | 政策の主軸 | 主な政策 |
---|---|---|
ニクソンショック(1971年) | 為替制度改革 | ドルと金の交換停止、固定相場制崩壊 |
スタグフレーション(1970年代) | 拡張財政+低金利政策 | インフレ悪化、景気後退 |
ボルカー・ショック(1979-1982年) | 強硬な金融引締め | 政策金利20%超、インフレ抑制 |
レーガノミクス(1981-1989年) | 減税+規制緩和+軍事拡張 | 減税、歳出削減、軍事費増、金融安定 |
結論
- ニクソンショックで金本位制が崩壊し、変動相場制が定着。
- 1970年代の金融・財政政策の失敗(低金利と拡張財政)でスタグフレーションが発生。
- ボルカーの金融引締めでインフレは収束するも、一時的に大不況を招く。
- レーガノミクスにより、経済成長と低インフレを達成したが、財政赤字と貧富の格差が拡大。
この流れがその後のクリントン政権の財政再建(1990年代)やリーマン・ショック(2008年)の金融政策へとつながっていきます。
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