漢字「戸」の本来の意味
「戸」はもともと「扉」や「家屋、戸口」を意味する漢字で、日本語では「戸数(一戸、二戸)」のように「家・世帯」を表すことがあります。しかし、青森・岩手の地名で使われる「戸」は特異で、通常の読み方(と/こ)ではなく「へ」と読みます。この場合の「戸」は、元来の「扉」ではなく地域区画や施設を示す言葉と考えられています。つまり、単に門や家を指すのではなく、この地方の歴史的背景と結びついた特殊な意味で使われているのです。
地名における「戸」の由来説
「戸」が地名に現れる背景にはいくつか説があります。平安時代以降の北奥羽地方(現在の青森東部~岩手北部)では馬の産地として知られ、行政や牧場経営の区画名に「戸」が使われました。主な説を以下にまとめます。
- 牧場(馬場)の木戸説:古くから馬産地であったこの地域では、各牧場に「木戸(きど)」(柵の扉)が設けられ、その所在を「○番目の木戸」と呼んだと考えられます。例えば「三戸(さんのへ)」は三番目の牧場、「七戸(しちのへ)」は七番目の牧場があった場所という説です。
- 九戸(くのへ)制度説:北奥羽に置かれた大きな郡「糠部郡(ぬかのぶぐん)」を、一から九までの「戸」(部、区画)に分けたという考え方です。この場合の「戸」は「地区」を意味し、たとえば「七戸」は「第七地区」を指します。九つの「戸」に属する地域があり、それぞれの番号がそのまま地名になりました。実際に一戸~九戸までの地名が存在します(後述)。
- 柵戸(きへ)説:古代からこの地には「柵戸」と呼ばれる軍事拠点が置かれたという説もあります。大和朝廷が蝦夷(えみし)平定のため北進した際、前線基地や関所として設けた「柵戸」が地名の由来になったというものです。朝廷側の「柵戸」が転じて「戸」の地名になった可能性があります。
- その他の説:このほか、地域で生産された雑穀「ヒエ」が「戸」の語源になったとする説や、伝承・神話的な説明などもありますが、学術的には上記の牧場説や地区区分説が有力視されています。
これらの説が示すように、地名の「戸」は単なる「扉」ではなく、主に馬産地としての区画や施設に由来する言葉と考えられています。
「〜戸」のつく地名と分布
東北地方(青森県南部から岩手県北部)には「戸」が付く地名が多く、具体的には以下の市町村名が挙げられます。
- 青森県:三戸町(さんのへ)、五戸町(ごのへ)、六戸町(ろくのへ)、七戸町(しちのへ)、八戸市(はちのへ)
- 岩手県:一戸町(いちのへ)、二戸市(にのへ)、九戸村(くのへ)
これらは数の順に並んでおり、一戸から九戸まで揃っています(ただし、四戸「しのへ」は現在の行政区画にはありません)。古くは三戸町と五戸町の間に四戸とされる地区があったと伝えられ、八戸市内の櫛引八幡宮が「四戸八幡宮」と呼ばれる例もあります。※また、岩手県内には「四戸町(しのへまち)」が現存します。
このように「〇戸」という地名は一帯の九地域区画を示すものとされ、古来から住民の姓にも一戸~九戸があるほど地域に根付いています。各地名の前の数字は、上記の牧場や地区の区分番号と考えられています。
時代ごとの変遷と地域文化
- 古代~中世(平安~鎌倉時代):奥羽地方では平安末期頃から「糠部郡」が置かれ、代々馬産地として重要でした。奥州藤原氏(平泉の藤原氏)の時代には駿馬が年貢とされ、糠部の馬は上質で知られました。郡内は「九戸四門の制」によって九つの区画(戸)と周囲の四方に柵戸が置かれたと伝わります。朝廷や武家社会ではこれらの馬を「戸立(へだち)」という単位で管理し、供進した記録も残ります。
- 戦国~近世(南北朝~江戸時代):鎌倉以降、南部氏(みなみべし)の支配下に入り、現在の青森県南部地方や岩手県北部は南部藩領となりました。馬産地としての伝統は続き、各「戸」は藩の年貢牧場として重要視されました。江戸時代には領主の支配も相まって、馬だけでなく米や雑穀の生産も盛んになり、地域独自の農業文化が発達します。
- 近世~近代(明治期以降):明治維新後、廃藩置県によって南部地方の各地は青森県(旧弘前藩・盛岡藩領)に編入されました。地名としての「○戸」はそのまま残され、1889年の町村制で正式な行政区画名になりました。たとえば七戸町、八戸市などが成立し、四戸以外の1~9戸は現代の市町村名として現在に至ります。四戸だけが公的地名から消失しましたが、先述のように伝承や神社名にその名残が見られます。
文化面では、これらの地名に由来する伝承や行事も見られます。たとえば青森県八戸市周辺では、豊穣を祈る「えんぶり」という春の祭りが古くから伝わります(当初は田畑の豊作と馬の繋養を祈念する芸能でした)。また、地域では馬や農産物の生産が今なお盛んで、馬肉食文化や地元の穀物栽培などが続いています。
他地域の類似例
日本国内で一から九までの数字に「戸」を付けた地名がこれほど揃っている例は、この青森・岩手北部に限られ、非常に特異です。ほかに「戸」を冠する地名はありますが、数字による連続性や同様の由来はほとんど見られません。その意味で、これらの「〜戸」の地名は当地独自の歴史・文化の産物といえます。例えば全国にある「戸」は普通「戸田」「戸倉」など別の語源で使われますが、数詞+戸の形は北東北特有のものです。
以上まとめると、青森・岩手の「戸」地名は、漢字そのものの意味(扉・家)とは異なり、中世以来の馬産・行政区画と深く結びついた呼称です。数字と合わせて「第○地区」「第○牧場」を示すこの呼称が、そのまま地域名として残り現在に引き継がれています。
要約
「八戸」「三戸」など青森・岩手地方の地名に使われる「戸(へ)」は、本来の漢字の意味である「扉」や「家屋」とは異なり、歴史的には馬産地の区画を示す特殊な呼び名として発展しました。これらの地名は、平安時代から南部地方の行政区画や牧場の番号(例えば三戸は「3番目の牧場」)を表しており、当時の行政制度「九戸制」が由来という説が有力です。一戸から九戸まで数字が連続する形で残っているのは全国的にも特異で、この地域独自の歴史・文化的背景を反映しています。
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