マクロプルーデンス政策とは
国際通貨基金(IMF)は、金融機関の健全性確保だけでは金融システム全体の安定を保証できないと指摘し、リスクの蓄積を見つけ出して緩和する体系的なアプローチを「マクロプルーデンス政策」と説明している。これは、金融危機を招く可能性のあるクレジットの過度な膨張や資産バブルを抑え、システム的な混乱が実体経済に及ぼすコストを減らすことを目的とする。
テーゼ:現政権のマクロプルーデンス政策
1. 規制負担の軽減と「実質的なリスク」への集中
2025 年 6 月の金融安定監督評議会(FSOC)議事録によると、議長のスコット・K・H・ベッセント財務長官は「過度に重い規制を取り除き、実質的なリスクに集中し、イノベーションを奨励する」と表明した。連邦準備制度理事会(FRB)のボウマン理事も、補完的レバレッジ比率の再調整や資本規制の見直し、デジタル資産やコミュニティバンク監督への対応を強調している。連邦預金保険公社(FDIC)と通貨監督庁(OCC)は、銀行検査から「評判リスク」の文言を削除し、金融機関が暗号資産関連業務に柔軟に関与できるようガイドラインを再整備している。
2. デジタル資産政策と成長志向
トランプ政権は 2025 年に「デジタル金融技術の強化に関する大統領令(EO14178)」を発令し、暗号資産市場を「革新と経済発展のため重要」と位置づけ、公的ブロックチェーンへのオープンアクセスやステーブルコインの活用を推進、中央銀行デジタル通貨(CBDC)導入を禁止している。同年には「戦略的ビットコイン準備と米国デジタル資産備蓄の設立に関する大統領令(EO14233)」を発し、政府が押収したビットコイン等を備蓄し、追加取得を戦略的に行うことを指示している。
3. 「公平な銀行業」命令と評判リスクの撤廃
2025 年 8 月の大統領令「すべてのアメリカ人に公正な銀行サービスを保証する命令(Fair Banking EO)」は、政治的・宗教的信条等を理由に特定業界が金融サービスから排除される「デバンキング」を問題視し、金融監督機関に対し評判リスクに基づく指導の撤回や「非政治的なリスク評価」への転換を命じている。同命令は、規制当局に評判リスクを用いたガイドラインや規則の修正・撤廃を検討するよう指示し、こうした規制は「政治化されたデバンキング」を助長するとしている。
4. 気候リスク指針の撤回
FRBと他の銀行規制機関は 2025 年 10 月、気候関連金融リスク管理原則を撤回した。彼らは「既存の安全性・健全性基準で十分であり、金融機関はすべての実質的なリスクを考慮すべきだ」と理由を述べ、気候リスクに特化した規制が不要との立場を明確にした。
アンチテーゼ:批判と懸念
1. システミックリスク拡大の懸念
非営利団体 Better Markets は、2025 年 9 月の FSOC 会合に関する声明で、資本規制の緩和や大銀行合併の認可、ストレステストの弱体化などが金融システムを不安定にすると批判し、FSOCが大手ノンバンクのシステム的リスク指定を拒否したことや気候リスクの取組みを放棄したことを問題視した。
2. 気候リスクの無視に対する反発
グリーン・セントラルバンキングの記事は、気候リスク原則の撤回を「政治的な動機によるもので、リスク管理の原則に反する」と批判し、FRB副議長マイケル・バーがこの決定を「論理を欠く」と非難したと伝えている。記事では、気候関連リスクが増大する中で規制撤回は金融システムにリスクをもたらすと指摘している。
3. 規制軽視への懸念
CISL(ケンブリッジ大学サステナビリティ研究所)は、トランプ政権の「ターボチャージされた規制緩和」がシステムリスク管理能力を弱体化させていると警告し、短期的には利益を増やすが長期的には金融危機を招きかねないと述べている。
弁証法的総合と考察
- 行政の意図:トランプ政権は、金融のイノベーションと経済成長を重視し、過去の規制が金融機関や新興産業の成長を阻害していると考える。そのため、規制負担を軽減し、暗号資産やデジタル金融の活用を推進するとともに、評判リスクなど抽象的な概念に基づく監督を撤廃している。
- 対立する視点:一方で、規制緩和が金融システムにシステム的リスクを積み上げ、気候変動や暗号資産市場のボラティリティなど新たなリスクを軽視しているとの批判も強い。特に、気候リスクや大手ノンバンクの監督から手を引くことは2008 年のような危機の再発を招くと懸念されている。
- 統合的視点:マクロプルーデンス政策の本質は金融システム全体の安定を確保することにあり、成長促進の政策とリスク抑制の規制はトレードオフではなく補完関係にある。デジタル資産の活用や金融包摂を推進しつつ、システム的リスク(特に気候リスクや暗号資産価格の急変動)に対するモニタリング・資本規制を維持することが重要である。規制を撤廃する場合でも、その代替となるリスク管理枠組みや透明性の向上策を示さなければ、長期的な金融安定は損なわれる。
要約
マクロプルーデンス政策は、金融システム全体のリスク蓄積を監視・抑制することで経済への悪影響を防ぐ政策である。現行のトランプ政権は規制負担の軽減とデジタル資産推進を掲げ、FSOCや銀行規制当局に対し実質的なリスクにのみ焦点を当てるよう求め、評判リスク指針や気候リスク原則を撤回した。一方、これらの規制緩和はシステム的リスクを高め、気候関連金融リスクやノンバンクの監督を放棄することへの懸念が専門家や市民団体から提起されている。従って、成長とイノベーションを促進しつつ、システム的リスクの監視と適切な資本規制を維持するバランスの取れた政策が求められる。

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