以下は、田内学『きみのお金は誰のため』の内容を踏まえ、弁証法(三段階の論法)で論じたものです。
序論:本書の背景と問題意識
田内学は、元金融トレーダーの経験を活かし、貨幣や経済の仕組みを中学生の主人公が謎解き形式で学ぶ小説『きみのお金は誰のため』を著しました。作品では、お金には価値がない、お金では問題を解決できない、みんなで貯蓄しても意味がない――という逆説的な謎を提示し、貨幣の役割や資本主義が抱える矛盾を探ります。
第一段階(テーゼ):お金を中心とした従来の価値観
一般的な資本主義の価値観では、お金は豊かさや安全の象徴とされ、人生の目的や目標にまで置き換えられてきました。老後資金の不足が取り沙汰されると、多くの人が「とにかく貯金しなければ」と不安に駆られ、将来のために今やりたいことを我慢する傾向があります。この価値観は、年金基金を通じた国債投資で金利収入を得れば問題が解決するというように、個人が資産を増やすことが社会全体の救いになるという幻想を生み出します。しかし、金利収入は政府(つまり納税者)が支払うものであり、結局は他人の負担を増やすことと表裏一体です。お金を増やしても総量は増えず、誰かの財布から移動するだけであるという事実は、従来のテーゼに潜む矛盾の芽となります。
第二段階(アンチテーゼ):田内の批判と代案
田内は、貨幣は人と人が助け合うためのツールであり、価値は労働や生産から生まれると指摘します。彼は「みんなでお金を貯めても、将来イスに座れる人数は変わらない」と表現し、貯蓄という行為が社会全体の資源を増やすものではなく、椅子取りゲームを加速させるだけであると批判します。少子化による労働人口の減少という構造的問題を抱える日本では、お金があっても物の供給が減り物価が高騰するため、貨幣の価値は相対的に低下します。また、昔は近所付き合いなど貨幣を介さない助け合いが身近に存在したが、現代都市では人間関係が希薄になり、頼れるものが金銭しかないという心理が「貯めなきゃ」「稼がなきゃ」という強迫観念を生んでいる。田内は、お金だけに依存するのではなく、仲間を作り、信頼関係を築くことが大切だと強調しています。
第三段階(ジンテーゼ):新しい価値観の提案
テーゼとアンチテーゼの対立から、以下のような統合的視点が浮かび上がります。
- 貨幣は手段であって目的ではない:貨幣は信頼の記録に過ぎず、価値の創出は人間の労働と社会関係に基づいている。将来の安心を確保するためには、個人の貯蓄だけでなく、教育・医療・保育など社会基盤への投資を通じて「イスを増やす」ことが必要である。
- 連帯とコミュニティの再生:貨幣で解決する選択肢は重要だが、それが唯一の方法となると「稼がなきゃ」という強迫観念が強まる。近所付き合いや家族・友人間の助け合い、地域コミュニティなど貨幣を介さない関係を再構築することで、お金への過度な依存から解放される。
- 社会的投資の重視:貯蓄を通じた資本市場への投資も必要だが、その目的は単に利子を得ることではなく、社会全体の生産性や福祉を高めることにある。田内が指摘するように、お金は全体として増えない以上、未来へ贈与(教育やインフラへの投資)を行うことで、みんなのイスを増やし、格差と不安を緩和することができる。
結論と要約
田内学は、『きみのお金は誰のため』を通じて、貨幣の価値と役割を根本から問い直しています。従来の「貯金こそ安心」というテーゼに対し、彼は「お金は移動するだけで総量は増えない」「お金は人を助けるための道具だ」と反論しました。そのうえで、貨幣に依存し過ぎず、教育や社会的な投資、そして人間関係の再構築によって、真の豊かさと安心を実現すべきだと提案しています。この弁証法的考察を通じて、お金を貯めることだけに縛られず、「私」から「私たち」への発想転換が求められていることが浮かび上がります。
最後の要約
本書が示すメッセージは、「お金は価値を生むものではなく、人と人の信頼をつなぐための道具であり、貯金という個人の安心の追求だけでは社会全体の問題は解決しない」というものです。田内学は、少子化による労働力不足の中で、皆がイス取りゲームのようにお金をため込んでもイスは増えないと指摘し、社会全体のイスを増やすために教育や福祉、コミュニティに投資することの重要性を説きました。彼の議論は、貨幣中心主義から人間と社会の価値を中心に据え直すことの必要性を示しています。

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