1. 現状認識
近年、米国の株式市場は AI 関連銘柄や強い企業収益を背景に記録的な水準に上昇した。2025年10月にはダウ平均・S&P500・ナスダックが揃って最高値を更新し、ダウ平均は史上初めて4万7,000ドル台に到達、年初来でもナスダック約20%、S&P500約15%、ダウ平均約11%の上昇となった。同じ頃、米国のマネーサプライ(M2)はパンデミック時の金融緩和で急増した後、2025年6月に過去最高の22.02兆ドルに達し、前年比で約4.5%の増加となり、金融引き締めから拡張へ転じた。中央銀行のバランスシートは2020年3月の4兆ドル弱から2022年3月には8.5兆ドルへと拡大し、投資家が保有する現預金やマネー・マーケット・ファンドも急増した。量的緩和で金利が低下し、リスク資産への投資を促すため、株価上昇と貨幣供給の増大は同時進行していると言える。
2. テーゼ:金融緩和が貨幣価値を毀損する
2.1 マネー供給増と通貨安
量的緩和(QE)は中央銀行が国債やモーゲージ証券を大量に購入して長期金利を引き下げ、流動性を供給する政策である。QEによって金融資産の利回りが低下すると資金が国外に流出し、通貨需要が減るため通貨は下落しやすくなる。米連邦準備制度理事会は2020年のパンデミックショック後、政策金利がゼロ近傍に張り付いたためQEを実施し、2020年から2022年にかけて保有資産を4兆ドル弱から8.5兆ドルへ拡大した。この結果、M2は2025年6月時点で22.02兆ドルと過去最高を更新し、需要預金とマネー・マーケット・ファンドが急増している。通貨供給が急増すると物価や資産価格は上昇し、名目通貨単位あたりの購買力は低下する。
2.2 QEによる資産価格インフレ
QEは金利を下げるだけでなく、中央銀行が買い入れた資金が投資家の手元に残り、その資金が株式などリスク資産に向かうことで資産価格を押し上げる効果がある。これにより株価や不動産価格が上昇し、資産を持つ層の資産価値が増える一方、賃金上昇が追いつかなければ実体経済との乖離(バブル)が拡大する。米国では2025年6月時点でマネー・マーケット・ファンド残高が7.7兆ドルに達し、投資家が抱える「待機資金」が膨張している。こうした資金が株式市場に流入すると短期的にはさらなる株価上昇をもたらすが、企業利益の裏付けがなければバブル崩壊時に通貨と資産の信認を損なう危険がある。
2.3 インフレによる実質価値の低下
インフレは消費者物価だけでなく、株価の見かけの上昇にも影響する。例えば2021年以降の米国株の名目上の上昇率が39%であっても、インフレ調整後の実質上昇率は15%にまで縮小するといった分析がある。インフレは名目株価を押し上げる一方で実質的な購買力を削り、投資リターンを目減りさせる。インフレ率が高止まりすれば家計や企業の購買力が低下し、貨幣の価値は毀損する。したがって、量的緩和が継続しマネー供給が増え続ければ、物価上昇による通貨価値の低下(インフレ税)が避けられない。
3. アンチテーゼ:株価上昇が貨幣価値を毀損するという主張
3.1 株価上昇による需要喚起とインフレ
株価の急騰は投資家や消費者の「資産効果」を通じて支出を増やし、需要を喚起することがある。国際通貨基金は、株式市場のラリーや拡張的政策が全体的な需要と経済成長を一時的に押し上げ、経済の供給能力を上回ると「需要プル型インフレ」が生じると指摘している。つまり、株価上昇自体が消費を刺激し、結果的に物価を押し上げて貨幣の購買力を下げる可能性がある。
3.2 株式バブルと購買力の錯覚
株価が過度に上昇すると、人々は資産価値が増えたと感じて消費や投資を拡大し、実体経済以上の需要を引き起こす。こうしたバブルは崩壊時に市場と経済に深刻なダメージを与えるだけでなく、バブル期に膨らんだ名目資産価値が実質的にはインフレによって目減りしている点を見落としがちである。名目上の株式市場のリターンは高く見えても、実質リターンは大きく縮小する。株価上昇が続く間、貨幣価値はインフレによって裏側から削られている。
3.3 強い株式市場が通貨高を招く側面
一方で、株価が上昇すると世界の投資家がその国の株式を買うために資金を流入させ、通貨を買う圧力が高まる。この資本流入は通貨をむしろ高く保ち、輸入品の価格を抑えることで物価上昇を抑制する効果を持つ。また株価が実体的な企業利益や技術革新の成果によって支えられている場合、通貨価値は強い経済への期待に支えられやすい。そのため、株価上昇が必ずしも貨幣価値の毀損に直結するわけではないことに留意する必要がある。
4. ジンテーゼ:貨幣価値に対する複合的理解
4.1 株価上昇は金融緩和の帰結である
米国の株式市場の強さは、パンデミック後に実施された大規模な金融緩和と財政刺激策による流動性供給が重要な背景となっている。FRBはQEによって長期金利を引き下げ、企業の資金調達コストを低下させたため収益性が高まり、M2が過去最高を更新して需要預金やマネー・マーケット・ファンドに資金が滞留している。この状況は株式市場に「乾いた火薬」を供給し続けており、株価上昇は通貨価値の毀損の原因というより、金融緩和が引き起こした結果と言える。
4.2 資産効果と物価上昇の相互作用
株価上昇によって資産効果が生じ、消費や投資が拡大することで需要プル型インフレが発生しやすくなる。しかしこれは金融緩和に伴うマネー供給増が背景にあり、株価上昇が単独で貨幣価値を下げるわけではない。むしろ、通貨供給の増加と名目資産価値の上昇が同時に進むことで、貨幣価値の実質的な下落が起こる。
4.3 成長と生産性の役割
通貨価値の変動はマネー供給だけでなく、経済の生産能力や技術進歩にも左右される。中央銀行が金融緩和を行っても、生産性向上や供給能力の拡大が伴えば物価は安定し、通貨価値の毀損は抑制される。逆に、金融緩和が成長に結び付かず、資産バブルとインフレだけを招けば通貨価値は大きく毀損する。したがって、株価上昇を評価する際は、その背景にある実体的な経済成長とマネー供給のバランスを総合的に見る必要がある。
5. 結論と要約
米国では2025年までに株価が大きく上昇し、主要株価指数は史上最高値を更新した。一方、パンデミック後の量的緩和と財政政策によりマネーサプライは22兆ドル超に増加し、金融市場に豊富な流動性が供給された。QEは金利を低下させることで資本流出を招き、通貨を下落させる傾向があり、資産価格を押し上げる効果も持つ。インフレは名目株価の上昇を実質リターンよりも大きく見せ、株式市場の好調さの裏で購買力が低下している。国際機関も株式市場のラリーや拡張的政策が需要を刺激し、供給能力を超えると需要プル型インフレを招くと指摘する。株価上昇は主に金融緩和の帰結であり、株価そのものが通貨価値を毀損するわけではない。むしろ、株価上昇は資産効果や投機心理を通じてインフレ圧力を高め、金融緩和による貨幣供給増と相まって貨幣価値を低下させる。通貨価値の維持には、金融政策だけでなく経済の供給能力拡大と生産性向上が不可欠である。

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