序論
過去の金本位制では、米国や英国など一国が自国通貨と金の交換を保証し、金準備を自国の中央銀行や海外の金庫に保管することで国際金融の安定を支えていました。しかし1980年代以降の新自由主義的な金融緩和とマネーサプライの膨張により各国通貨の価値が希薄化し、金は安全資産としての地位を回復しています。前回の議論では、実質金利の低下と中央銀行による金買い増しによって金と金鉱株のバリュエーションが過去最高水準に達していることを確認しました。こうした状況下でBRICS諸国はドル依存からの脱却と自律的な決済システム構築を目指し、金を含む複数通貨バスケットに裏付けられた国際通貨構想(「ユニット」や「BRICS Pay」など)を検討しています。本稿では複数の国が基軸通貨の裏付けとして金を積み増す必要があるのか、そして国際的な金需要は未曽有の規模に膨らむのかを弁証法的に検討します。
テーゼ:多国間通貨の裏付けとしての金保有が国際需要を押し上げる
- BRICS諸国の金積み増しと新通貨構想
BRICS諸国はドル建て決済への依存を減らすため、金備蓄の拡大とデジタル決済基盤の構築を進めています。最新報道によれば、BRICSが検討する新しい決済通貨「ユニット」は40%を金、60%を加盟国の通貨で裏付け、金はキロバー単位で会員国内に保管し、mBridgeなどのブロックチェーン型決済台帳にエスクローされる仕組みが提案されています。これは各国が独自に金を積み増し、中央集権的な清算機関に依存しない構造を持ちます。 - 中央銀行の金需要は過去最高水準
世界の中央銀行は2022年から3年連続で年間1,000トン超の金を購入し、2025年も第2四半期だけで166トンを買い増しています。世界金評議会によると95%の中央銀行が「今後1年で世界の金準備は増加する」と回答し、43%が自国の金準備を増やす意向を示しました。同調査ではドル準備を減らし金や他通貨への分散を進めるとの回答が73%に上り、金の国内保管を拡大する意向も増えています。BRICS加盟国だけで公式金準備の約20%を保有し、特にロシアと中国で全体の7割以上を占めます。こうした大口需要は金価格の上昇要因となり、今後の通貨統合に向けて各国がさらに金備蓄を増やす可能性を示します。 - デドル化と経済圏拡大
BRICSは地域間貿易の決済を自国通貨や金で行う構想を進めており、2025年にはサウジアラビアやインドネシアなどを加えた「BRICS10」として世界人口の46%、GDPの37%を占める経済圏となりました。新通貨が導入されれば参加国は国際取引の保証として金保有を増やし、ドルに替わる多極的な基軸通貨体制が出現するとの期待が高まります。金が限定的な資産であることを考えると、複数の国が同時に準備を積み上げれば需給逼迫が起こり、金価格がさらに高騰する可能性があります。 - マネタリズムの金融緩和と金への逃避
量的緩和による実質金利の低下とマネーサプライの急拡大は投資家の金需要を押し上げています。金鉱株も生産コストを下回る低利資金と高い金価格に支えられて利益が急増しており、金に対するレバレッジ効果を求める資金が流入しています。今後、多国間通貨の裏付け資産として金が選ばれれば、金融緩和によって生み出された過剰流動性が一段と金市場に流れ込み、国際的な金需要は「未曽有のもの」となるという見方が成り立ちます。
アンチテーゼ:多国間通貨の実現性と金需要の過剰評価
- 新通貨は完全な金本位制ではない
インタビューでは、金を裏付けとするBRICS通貨構想でも各国が金を保有する必要は必ずしもないとの指摘がありました。経済評論家ジム・リカードは、金本位制では銀行に持参した紙幣と引き換えに金が受け取れたが、BRICS構想では金交換義務がないため「彼らは金を所有する必要も買い増す必要もない」と述べています。つまり「ユニット」は名目価値の安定を図るために金をバスケットに組み入れるだけで、実際の兌換性を伴わない可能性が高いということです。 - 経済格差と政治的障壁
BRICS諸国は経済規模や政治体制が大きく異なります。中国とインドの経済規模は突出していますが、ブラジルや南アフリカの金準備は100トン規模にすぎず、新通貨を運営する共通中央銀行の設立には相当な調整が必要とされています。2025年のBRICS会議ではプーチンや習近平が欠席し、新通貨への議論は後退したと報じられました。また、制裁や戦争の影響でロシアの商業銀行は2024年末までに金保有を半減させ、中国も価格のボラティリティを理由に買い入れを一時停止するなど、加盟国の金買い増しは一枚岩ではありません。 - デジタル決済と通貨バスケットの台頭
BRICSが注力するmBridgeやBRICS Payは、中央銀行デジタル通貨(CBDC)や電子台帳を利用した跨境決済システムであり、金という物理資産への依存を必ずしも前提としていません。mBridgeのプロトタイプは各国通貨を直接決済可能にするもので、ドルやSWIFTを迂回することが目的であって金の裏付けは二次的です。こうした技術革新により、金を大量に蓄積しなくても国際決済の自立性を高める選択肢が増えています。 - 金需要の循環性と供給応答
金需要は景気循環や価格に敏感であり、金価格が過熱すれば宝飾需要は減速しスクラップ供給やリサイクルが増えます。中央銀行の購入も絶え間なく増えるわけではなく、2024年には中国が一時的に購入を休止し、世界的な金需要は四半期ベースで減少しています。長期的には金採掘技術の進歩や新規鉱山の開発により供給が拡大し、需要の増加を打ち消す可能性もあります。
ジンテーゼ:構造的な金需要増と多極通貨体制への慎重な予測
テーゼでは、多国間通貨の裏付けとして金を積み増す動きが国際的な金需要を押し上げると論じました。アンチテーゼでは、新通貨が完全な金本位制ではなく政治的・技術的な障壁が大きいことから金需要の過剰評価を指摘しました。両者を総合すると以下のような見解が導かれます。
- 中央銀行の金需要は構造的に増加するが上昇率は限定的である。世界的な債務増大やドル覇権への不信感が金を準備資産として重要な位置づけに保ちます。世界金評議会の調査でも大多数の中央銀行が金準備の増加を見込んでおり、BRICS諸国の金積み増しが国際需要を支えます。しかし、新通貨の裏付けに必要とされる金量はバスケット全体の一部にすぎず、各国が必要以上に金を積み増すとは限りません。
- 新通貨構想は長期的な計画であり、短期的な需給に過度な影響は与えない。BRICS通貨の実現には共通の金融政策機関や法的枠組みが必要であり、これには数年から十数年かかる可能性が高い。mBridgeなどデジタル決済の普及やSWIFT代替システムの整備が先行し、金に裏付けられた完全な兌換制度が導入されるとは限りません。
- マネタリズムの金融緩和と通貨多極化が金の基調を支える。量的緩和がもたらす通貨希薄化と低実質金利は金と金鉱株の長期的な上昇基調を支えます。これに加え、ドル依存への警戒や地政学リスクが高まる中で複数の準基軸通貨が併存する多極通貨体制が進展すれば、金需要は構造的に底堅くなる。
- 投資戦略には循環性と分散を考慮する必要がある。金価格はサイクル性が強く、短期的な投機的過熱と長期的な構造需要の両面を持つ。投資家はマネーサプライや実質金利、中央銀行の購入動向に加え、BRICS通貨構想の進展を注視しつつ、金鉱株や他の資産クラスとの分散を図ることが重要です。
要約
歴史的には米国や英国などが単独で金兌換を保証する金本位制を運営してきましたが、現代では新自由主義的金融緩和のもとで金の価値が見直され、BRICS諸国による多極的な国際通貨構想が注目されています。テーゼでは、BRICSが計画する新通貨「ユニット」が40%を金で裏付ける構想や、中央銀行による過去最高水準の金購入が国際的な金需要を未曽有のものに押し上げると論じました。アンチテーゼでは、BRICS通貨は完全な金本位制ではなく、政治・経済的障壁やデジタル決済システムの発展により必ずしも大量の金を必要としないことを指摘しました。ジンテーゼとして、ドル依存からの脱却や金融緩和による通貨希薄化が金需要を構造的に支える一方、新通貨構想の実現性や循環的な需給バランスを考慮すると、将来の金需要は強いながらも過度な期待は禁物であり、投資家は長期視点と分散戦略を持つことが重要であると結論付けます。

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